知らず知らずに影響を受ける
1981年に米国GE社のCEOに就任したウェルチ氏はその著書にこう書いている。「表面的に私は自信に満ちているように見え、私を知る人は私のことを自負心が強くて誇り高く、果敢で性急で強いと言う。しかし心の内で私は大きな不安を抱いている。多くの人の前では自分の言語障害(どもり)と闘わなければならず、身長を聞かれた時には、自信を持って実際の身長5フィート8インチ(約173センチ)より1.5インチ高く答えるのである」と。
ウェルチ氏が吃音という障害を乗り越えられたのは母親の励ましのおかげだ。母親は吃音に悩んでいる彼に「あなたが聡明すぎるから、舌が大脳の思考の速度に追いつかないのよ」と言った。この一言が彼の劣等感を払拭し、物事の見方を変えさせ、自分と他者を上手に励ます人に変えたのである。
「母は私を足の不自由な者と扱ったことがありません。過ちを犯したら厳しく罰せられました」と話すのは、台湾出版界のリーダーで、小児麻痺で子供の頃から車椅子に乗っている大塊文化の郝;明義・董事長だ。母親の厳しいしつけの影響で「過ちを犯したら罰せられるのは当然。人は恥を知り、改めなければならない」と考えるようになったという。その母親は彼が13歳の時に亡くなったが、郝;明義は今も常に母がそばにいるように感じており「母がいなければ私はいませんでした。身体だけでなく魂もです。『今の自分』は母の影響を大きく受けています」と語る。
中華圏で大人気の歌手のジェイ・チョウ(周杰倫)も、複雑な芸能界で生きていくにあたって母親の葉恵美が最大の支えだと語っている。そしてシングルマザーとして自分を育ててくれた母に感謝して「母さんの話を聞く」という歌も作り、この歌は広く愛唱されている。息子の成功について、葉恵美は特別な教育をしたわけではなく「好きで選んだ道なんだから、全力でピアノを練習しなさい」と教えてきただけだと語る。
極地マラソンの世界チャンピオンで、4月6日に北極マラソン再制覇のために出発した林義傑は20年以上前に母がくれた腕時計を今も大切にしている。
林義傑が母親とともに小学校の入学式に向う途中、母親は突然文房具店の前で立ち止まり、日本製のカシオの腕時計を買ってくれた。母は彼の目の高さまでかがみ、お母さんは遠くに仕事に行くから、自分で時間を管理し、学校が終わったら下のおばあさんの店で待つように、と言い聞かせた。こうして教えられた時間の概念によって、林義傑は一分一秒を大切にして規律正しいスポーツマンとしての態度を養ってきた。
国籍や専門分野を問わず、子供は幼い頃から母親に大きな影響を受けているようだ。

馬英九・新総統は「父は理論家、母は実践家」と語ったことがある。その温和で誠実なスタイルは母・秦厚修(右)の「批判されて進歩する」という教えによるものだ。