ハンデを持つ子供たちを愛する
「一般に障害者への就職指導と言うと、クリーニングや洗車、リサイクルなどの重労働が多いのですが、喜憨児は違います」と話すのは喜憨児執行長の武庭芳さんだ。脳性麻痺の子供を持つ同基金会の蘇国禛理事長と蕭淑珍夫人は、基金会設立前に日本に視察に行った時、シェルタード・コミュニティのパン屋で知的障害者が働いているのを目にし、これは行けると感じた。そして日本の事例に倣って「終身ケアと終身教育」を行なうことを決めたのである。
パンや洋菓子作りの技術の指導では、高雄で非常に有名な「小王子ベーカリー」の支援を得ることができた。そして、喜憨児基金会は97年に高雄市内に最初の喜憨児ベーカリーを開き、知的障害を持つ青年たちにパンやケーキの作り方と販売方法を訓練した。最初は地域の人々から疑問視されたが、話し合いや試食などを通して少しずつ地域に受け入れられていった。
大きなサポートを得て
最初のベーカリーを開いて間もなく、喜憨児は連合勧募の引き合わせで、幸運にもシティバンクから大きな支援を受けることとなる。97年、シティバンク・グループの基金が台湾の公益団体を支援することとなり、シティバンク・ファンドのオスターガード総裁がニューヨークから高雄の喜憨児を訪れた。そして、その革新的な理念に共鳴し、10万米ドルの寄付と500万台湾ドルの無利息融資を決めたのである。さらに喜憨児のアフィニティ・カードを発行し、クレジットカード使用額の0.35%を喜憨児に寄付することが決まり、これによって毎年数百万の寄付が得られるようになった。広告面でもシティバンクの協力が得られ、喜憨児は一挙に知名度を高めたのである。
政府からの支援も得た。高雄市の放置された官舎には公設民営の形で福祉商店を開くことができ、台北市庁舎では80坪のスペースにベーカリーとレストランを開き、また労働委員会ビル1階にも店舗を出すことができた。政府や自治体から場所や資金の支援を受け、今では全国20ヶ所に店舗を持っている。
こうして事業は軌道に乗り、喜憨児は他者に頼らずに歩めるようになった。昨年は、喜憨児の総経費1億6927万のうち福祉事業収入が54.2%を占め、政府補助が28.1%、企業や民間からの寄付金が17.7%で、さらに残高が156万元に達した。
公益と市場のバランス
だが「喜憨児」と銘打ったパンや食品は、完全に知的障害者の手になるものとは限らず、名称を利用して同情を買っているという批判もある。
「公益団体は利益を求めてはならないわけではなく、その目的が違うだけです。長期的発展のためには公益と市場のバランスを取らなければなりません」と武庭芳執行長は言う。最初は善意で買った人も、味や質が良くなければ二回目は買わない。そのため、ベーカリーでもレストランでも、品質管理や商品開発は専門家の手に委ねており、現在は管理部門、調理師、ケーキ職人など合計150名の正規職員を雇用している。
これは現実的な問題だと武庭芳さんは言う。喜憨児は本来の主旨に背いてはおらず、便宜的な措置は長期運営のためだと言う。
知的障害者のサポートが喜憨児の本旨だが、すべての知的障害者が喜憨児のケアの基準に合うわけではない。武庭芳さんによると、ソーシャルワーカーの評価を経て、まず現場で3日間働いた後、危険認知や安定性が欠けている場合や、職場から逃げてしまう重度の障害者は不適合とされ、1ヶ月の観察を経た後、正式な受入れが決まる。現在は60余名が訓練を受けている。
1年にわたる訓練の間、基金会は毎月3000〜5000元の「奨励金」を支給し、訓練を終えたら、そのままシェルタード・ワークショップとして基金会の設立した喜憨児レストランやベーカリーで働く人もいれば、他の職場へ紹介されてサポート雇用を受ける人もいる。現在は、モスバーガーやピザハットなどの飲食チェーンが喜憨児の訓練を受けた障害者を雇用している。
喜憨児基金会では、毎年200名の知的障害者の訓練と就職をサポートしており、現在は20店舗で30人近い障害者がフルタイムで働いている。彼らの初任給は心身障害者保護法の規定にしたがって法定最低賃金の7割となっており、その後は業績によって調整する。1ヶ月1万元余りの給料は決して多くないように思えるが、それでも家庭の負担を軽減することができ、障害者は達成感と人生の方向を見出すことができる。
わずか10年の間に、喜憨児基金会は高い知名度を持つ民間組織となり「喜憨児」の三文字は、すでに知的障害者の代名詞となっている。このような成果は幸運を示すだけではなく、NPOにおける創意の重要性を示していると言えるだろう。