猫の手も借りたいシングルパパ
世の中の変化が速く、多くの父親は自分の仕事が子供に尊敬されないという不安を抱いている。離婚率の上昇も大きな不安要素だ。
離婚率の上昇で、母親か父親が一人で子育てをする家庭が増えている。そうした中で台湾に特有の現象は、シングル・ファーザーが全体の35%で、他の国が平均1割なのを大きく上回っている点だ。
その原因は「跡継ぎ」という観念にある。林万億教授によると、台湾では離婚時に夫の実家が介入することが多い。実家の支持を得られるため、離婚時に台湾の男性は子供の親権を要求し、裁判所も男児の親権を父親に認めるケースが多い。
お茶の販売と占いで生計を立てている黄元成さんは、娘が2歳半の時に離婚した。今は娘は小学校に通っているが、これまでいろいろなことがあり過ぎて、自分がどうやってここまで来たのか良く分からないぐらいだと言う。
離婚した頃、黄さんは保険の営業をやっていて、時間的に比較的自由だったため、娘を自分で育てることにした。3歳になった時、台中の姉に一年間あずけ、週末に会いに行った。そして黄さんの母親が同居するようになって、再び娘を引き取ったのだと言う。
離婚する時、妻の唯一の要求は娘の親権だった。だが「彼女はまだ若かったので娘を連れていたら再婚は難しいだろうと思いました。一方、私はたぶん再婚しないだろうと思ったので、子供は私の元で育てた方がいいと思ったのです」と言う。娘を育てるために、中国大陸での商売も諦めなければならなかったが、黄さんは悔いていない。
「ただ、娘には悪いことをしたと思っています」と言うのは、人の借金の保証人になってしまったために、返済に追われて子供と過ごす時間がなかったからだ。祖母も遊び相手にはならないので、娘は一日中テレビを見ているという状態だった。
会うのも離れるのも辛い
離婚したために、子供と離れ離れになってしまう父親も多い。
娘が4歳の時に離婚した陳板さんは、妻と共同で親権を持つこととなったが「女児は母親と一緒の方がよい」という理由で、陳さんは2〜3週間に一度しか会うことができない。初めの頃は、久しぶりに会った娘を先妻の家に送っていく時、娘は父親と別れるのが嫌でいつも泣いていた。だが2年ほどたつと、娘は「お父さんは消えてしまうわけではない」ことが分かったようで、別れ際にごねることはなくなった。
陳板さんの娘は今は中学に通っている。陳板さんは幼稚園の卒園式の時には父親としてすべての行事に出席したが、今は同級生のいる場には出ないようにしている。と言うのは、娘の同級生が知っている父親は自分ではないからで、そのために娘を困らせたくないからだ。娘にとって、陳板さんと母親、そして継父は「客家人」と「国語人」という別の種類に属する。娘は陳さんと話す時には今も客家語を使うそうだ。
一緒に暮らしてはいないが、陳板さんは「娘は永遠に娘です。娘は私の喜びの源です」と言う。二度離婚した彼は、恋愛や結婚は長く続かないこともあるが、父と子の感情は永遠のものだという。
運送会社で働く朱さんは、数年前に過ちを犯し、妻以外の女性との間に息子を持つこととなった。これを知った妻から離婚を求められた時、彼は家へ帰ることを決意した。それから2年、誰もその息子のことは口に出さず、連絡もしていないが、心の中では申し訳ないと思っている。ただ、家の長男は思春期の難しい時期にあり、娘は病気で治療が必要なため、経済的にも心理的にも手が回らない。
「縁がないのでしょう。その息子と一緒に暮らすことはできないのですから、自由にさせてあげようと。邪魔をしてはいけないと思っています」と朱さんは言う。70歳ぐらいになれば、自分が死んだ後のことも考えて、考え方も変わるかも知れないが、と言う。
血のつながった子供と離れ離れになる原因は他にもある。単身赴任で家族と別れて暮らす父親も少なくない。
40代の王さんが大陸に赴任した時、息子はまだわずか3ヶ月だった。数ヶ月ごとに台湾に帰るたびに、まるで風船を膨らませるように息子は大きくなっていたが、息子は彼を見知らぬ人のような目で見る。ある時など、久しぶりに帰宅した彼を見て恐がり、ソファーの後ろに隠れて泣き出したという。
異郷で寂しい思いをしている王さんは、週に一度は家に電話をかけて息子と話をしている。しかし、海外での暮らしが長くなると、息子との共通の話題もどんどん少なくなり、いつも「試験の成績はどうだ」とか「新しい友達はできたか」という問いかけばかりになる。
実際、王さんは息子の将来に焦りを感じている。「他の地域に比べて、台湾の子供は恵まれすぎていて苦労を知りません」と話す王さんは、子供はあらゆる面で学び、苦労をして、何でもできるようにならなければ競争力は身につかないと考えている。そのため、彼は夏休みに帰国すると、絵画、将棋、水泳、英語、ピアノ、スケートなど、さまざまなカリキュラムに参加させる。自分が身近にいなくても、無駄な時を過ごさせたくないからだ。
悲しみの中で
子供を近くで見守ってやれないことは多くの父親にとって大きな苦痛だが、父親にとっての最大の衝撃は、子を失うことであろう。
作家の黄春明さんは、自殺した息子の黄国竣さんの命日に、詩を発表した。「国竣は家で飯を食わない」という詩である。
「国竣よ/家で飯を食わないのは分かっている/だから先に食うぞ/でも母さんはいつも、少し待とうと言う/待ち続けたら、母さんは結局何も食べない/あの一袋の米を、ずいぶん食べているが、まだあんなに残っている/虫もわいてきた/母さんは、お前が家で飯を食わないのを知っているから/もう料理をする気がない/母さんも電気釜も/炊飯の水加減さえ忘れてしまった」
年老いた父が、亡き息子を思う痛みがひしひしと伝わってくる。
同じ米に無数の物語があるように、同じ時代にも数え切れない父親の物語がある。年に一度の父の日が来る。子供たちよ、父の心を知っているだろうか。