一つの灯りは、一つの教室、そして遠くの村の希望も照らすのです。
雨季の山あいは、いつも通り小雨が舞い、空は雲っています。子供たちと村人たちが村の小学校の簡素な教室にやってきました。梁の蛍光灯は屋内全体を照らしています。人々はテレビの前に座り、映し出された人々の動きをじっと見ています。これがタイとミャンマーの国境の山あいのクレイキー村の光景です。
去年、台湾、アメリカ、タイ、マレーシア、ミャンマーからのボランティアが、クレイキー村にほど近い小川に簡単な小型水力発電施設を設置しました。村の小学校に電気がついてテレビも見られるようになり、とても喜ばれました。蓄電池を使うことで、家でも電球が点けられるようになったのです。

力をあわせて水力発電の心臓部、発電機を設置しているところ。これが完了すれば、村に電気が来るのです。
台北のNGOグループが来た
クレイキー村は少数民族カレン族の集まる小さな集落で、タイ西北のターソンヤン県にあり、公道から9キロも離れています。去年、村民が力を合わせ山の中に産業道路を作るまでは、公道まで歩いて3時間もかかりました。産業道路ができて、四輪駆動車が出入りできるようになりましたが、雨季はぬかるんで危険で、徒歩以外、方法がありません。山間部のカレン集落は、焼き畑農業と漁猟採集の伝統的な農業で生計を立てていますが、人口の増加、耕地の制限、現代化と自然災害などの影響で、集落の多くはすでに自給自足を維持できなくなり、次第に貧困に陥っていったのです。
3年前、タイとミャンマーの国境の難民と辺境の村を支援するNGOグループ「台北海外ピース・サービス(以下TOPS)」が、この村初の小学校建設に協力し、カレン族の青年が担任教師として着任しました。活動会議、定期的な指導監督、「能力構築訓練ワークショップ」を通じ、カレン族の教師たちが教育だけでなく、コミュニティーワーカーのような任務を担う力をも持てるようにしたのです。これによって緊急医療、環境保護、公衆衛生、有機農業などコミュニティのさまざまな活動を進めるためです。
クレイキー村はタイとミャンマーの国境にある山あいの村々の典型です。まだまだたくさんの村が、徒歩しか交通手段がなく、インフラも公共サービスもない状況なのです。こうした村は、長い間、政府からの支援がなく、村には簡単な給水システムはあるものの、電力設備ははるか遠い夢です。日が落ちると、子供たちはろうそくの弱い光で、宿題をしなければなりません。
2002年の春、アメリカから来た4人の大学生が、TOPSスタッフの協力の下、クレイキー村に卒業論文のための調査に訪れ、実行可能な小型水力発電計画作成に取り掛かりました。計画を作り海外基金会に経費を申請、賛助を得られることになりましたが、計画全体は彼らが帰国した後、延期されてしまいました。

山間にはごく簡単な堰しか作れませんが、それでも原理と濾過の機能は充分に考えなければなりません。
寄せ集めの志願軍
長年、タイで再生エネルギーの研究に取り組んできたアメリカのカリフォルニア大学バークレー校のPHDクリス・グリーセンさんは、アメリカの大学生のフィールドワークの指導教官でもあります。グリーンセンさんは2003年の初め、TOPSのスタッフとともにクレイキー村を訪れ、水力発電の計画と実行に協力しました。彼らは斧で道を切り開き、メジャー代わりの10メートルのロープで距離をはかり、2つの枯れ枝を削った測量棒と水平儀を手にジャングルに踏み入るとすぐ測量と計測を始めました。
クリスさんは、データの記録を続け、簡単な設計図を描き、他の人も仕事を分担して、パイプの設置予定ルート、貯水池の位置や設置方法、発電施設の形式や具体的な位置の測量などをしました。
面白いことに、この人々はまるで工事専門チームのようですが、実際は臨時に召集された寄せ集めなのです。彼らは村人たちと現地に赴き、立ち止まってはタイ語、英語、中国語、カレン語で討論します。
村で一晩休んだ後、私たちは前日からの仕事を続けましたが、その日は村人の一部も仕事に加わりました。将来的に、作られる電力は村の小学校や寺、道の照明などの供給されるため、僧侶、教師、村の長老も話し合いと計画に加わったのです。将来は村人がすべて工事の責任を負い、TOPSは建材や設備、技術指導を担当します。きっと台湾なら、こうした水力発電所の建設は、政府が計画し、建設会社が工事を請け負うことになるでしょう。
測量の間、アメリカの大学生の予算評価が間違っていることがわかり、それにちょうどイラク戦争でPVC水道管が値上がりしました。海外からの援助費が計画実行には足りないのです。さらに水の流れがゆるやかで、水道管をもっと長くする必要があることにも気付きました。工事開始前に、計画のコストと予算は大きく膨らみましたが、この寄せ集めの工事チームはこの困難で自信をなくすことはありませんでした。一方でクリスさんが支援機関に予算増加の可能性を打診し、また一方でTOPSが立替や差額補助で建材を購入し始めました。私たちは任務のため、協力し団結したのです。
ここ何年か台湾では第4原発の建設について論議が続いていますが、山の小さな村にとっては、数10個の蛍光灯にしか電気を供給できない小型発電装置でも、彼らの生活にとっては大事件なのです。村人の熱心な参加で、水力発電設備の建設工事はわずか8ヶ月で完成、設備が作動すると、電力はすぐに村の小学校や寺の蛍光灯を灯したのです。

何日にもわたる苦労の末、タイとミャンマーの国境地帯での任務は完了しました。子供が蛇口から水を汲んでいるのを見るのと感動します。
成功の経験を再現
クレイキー村の成功で、TOPSはここからさらに徒歩で3時間かかるイウェイジョ村にも支援を提供しました。またその数ヶ月後に水力発電設備建設の要求も出しました。現地の調査と評価の後、私たちはこの村から約1キロの近場に、落差が大きく水力発電装置の設置に適した滝を発見しました。話し合った結果、村人たちは喜んで賛成してくれました。彼らは、電力が村の発展にとっていかに大切か知っているのです。
私たちが2度目にイウェイジョ村を訪れた時、驚くべきことに村長の家に2本の蛍光灯がありました。それは前回の私たちの調査の後、村長が待ちきれなくなり、山を降りて教室に付けるために買ってきた蛍光灯だったのです。村長の愛すべき行動は、さらに私たちの使命感を強くしてくれました。
初歩的な計画が完成した後、続いてまた現実的な問題に直面しました。経費の問題です。不景気で募金は減少しており、TOPSにはこの計画のための資源がありませんでした。スタッフが山に通って地元の住民と話し合った結果、TOPSのパートナーであるカレン族文化・環境ネットワーク(KNCE)と協力することになり、共に正式な計画書を作成、各国の国際組織に経費と建材の補助を申請しました。
特に大切なのは、水力発電施設は無償で地元に寄付されますが、運営継続のためには、現地の人々がその後の管理や維持の費用を捻出しなければならないことです。援助チームがこの地を去った後もこの施設のメンテナンスが続けられ、効力が失われないようにするためです。
この問題に対し、イウェイジョ村は水力発電委員会を設置し、小額ずつ集金して関連施設のメンテナンス基金を設けることにしました。同じ頃、隣のクレイキー村でも似たような組織ができました。目的は資源の地域発展への有効利用です。

小型の水力発電設備を設置する専門家が足りないため、私(左)もグリーセンさんを手伝ってクレイキー村の水路を測量しました。
コンセンサスを模索
はっきり言って、水力発電計画の予算はそれほど高くはありませんが、皆が一生懸命、意思疎通を図って資金を集めます。私には、これが地域発展活動のポイントに思えます。個人がお金を出して、業者に発注し工事してもらえば、村への電力供給という目的は達成できます。しかし村人と話し合う機会はなくなってしまうでしょう。村がただ一時の施しを受け入れるだけだと、かえって悪影響をもたらします(自然環境や伝統的な生活の破壊など)。このため、この地域型の水力発電計画は、ただハードウェアを提供するだけではなく、その過程で学びあうことがより重要なのです。
こうした計画の推進は実に繁雑で時間のかかるものですが、大切なのは話し合いを継続させ、村人が村のものになるこの発電設備を自分たちで建設し、この公共財をいかに管理し運営していくかを学び、将来この経験から他の問題を解決していけるようにするという点です。
私はというと、この経験で完全な発展支援計画の作成と推進を学びました。簡単に言えば、それは精神と時間を費やして話し合い、その中からより適切な形を模索することです。支援活動そのものが長い道のりだからです。
2003年末、着工の日が次第に近づいてきましたが、海外の経費賛助はまだ明確な答えがありませんでした。もしこの年の1〜2月の農閑期を逃すと、村長の蛍光灯はまた1年間そのままです。TOPSは特別予算を組んで必要な設備と建材を購入することを決定、このプランも順調に他の国際組織の協力を得られました。例えばBBC(ビルマ・ボーダー・コンソーシアム)は米や食料を、カトリック系NGOのCOEERは公務車両を建材の運搬に提供してくれました。オランダの医療チームZOAは専門の技術者を派遣し、タイ政府に地元の人の難民キャンプ外出許可を申請し、今回の実習への参加を後押ししてくれました。

この水柱の勢いを見れば、発電機が充分に機能することがわかります。
全村総動員
TOPSはまるで牽引車のように、異なる出身の人々を団結させ資源をまとめて、2004年の初めからイウェイジョ村の水力発電のために努力しました。まず村で買った建材を産業道路の一番端まで運び、それから数日間は、村人たちが徒歩で6時間かけてケーブル、水道管、発電機、コンクリートなどの建材を村に運び入れました。
続いて各協力チームが再びイウェイジョ村を訪れ、建設工事を進めました。村民会議で人々は3つの作業チームに分かれ、それぞれ貯水池、引水管、発電機、ケーブルの施工を進めました。村人たちは何日間も熱心に技術者の作業を手伝い、民族衣装を着たおばあさんたちまでもがキセルをくわえて腰を曲げながら運搬を手伝いました。村全員が協力する光景は実に感動的でした。
2回に分かれた7日間の工事期間で、難民キャンプからの技術者は、本格的な訓練を受けていなかったにも関わらず、現地の材料と建材を有効に用い、彼らが得てきた経験と技術を発揮し、学校や教会に電力を供給する小型水力発電設備の建設を村人と成し遂げました。彼らはジャングルを縦横無尽に駆け巡り、ミャンマー軍の政権に長年抵抗を続けてきた人々だったのです。
このうち、キャンプから来た若い学生のプウェイ・ドーさんは、私にこの計画に参加でき、発電装置の設置過程を学べてとてもうれしい、感謝していると話してくれました。彼は、今後またこうしたチャンスがあればぜひ参加したいし、カレン族の地域発展の活動だけでなく、ミャンマー国内でもこの経験を活かしたいと言いました。
水力発電装置は、最後の日の調整とテストの後、順調に作動し始め、十分な電力を提供しました。まさに、今晩からは電気の下で生活できると技術者のフォン・チャイさんが約束したとおりになったのです。
人々の心が成功をもたらす
その日の夜、人々の歌声につられて村の小さな教会に行くと、村人たちが笑顔で賛美歌を歌っている姿が見えました。彼らは「電気の灯りの下で聖書が読め、賛美歌が歌えることは実にすばらしいことです、本当にありがとう」と言いました。村の女性は、これからは夜も布が織れますとうれしそうでした。
村のもう一方では、村長と村人が学校の教室で、水力発電についての知識を真剣に学んでいました。彼らは夜、学校で大人の識字教室を開くことにしたのです。
灯りが点いているのを見ると、さまざまな感慨がわきあがってきました。前の晩、人々は火を囲んでおしゃべりに花を咲かせていましたが、その火はまさに山あいの静かな夜に溶け込んでいました。しかし蛍光灯の灯りの下で、私は前日のその雰囲気を懐かしく思っていたのです。恥ずかしいことですが、都会から来た私は、山村の暗闇も残したいと思っていたのでした。
この2つの計画に参加できて本当に楽しかったです。社会学科で学んだ私は、人々が団結して水力発電装置を建設することなど考えたこともありませんでした。村人の笑顔は、活動の最大の収獲です。
最後に、多くの国々から来た友人たちの協力と、台湾の人々がTOPSの海外援助発展計画を支持して長年募金を続けてくださったことに感謝します。皆さんの支持がなければ、私たちはタイとミャンマーの国境でこれらの人々と仕事もできず、もちろんそれを完成させることもできなかったのですから。