1970年代、人材を育てる教師は誰からも尊敬され、羨ましがられる職業だった。難関の台北第一女子高校に合格しても、教師になるために女子師範専科学校に進む人も少なくなかった。80年代から90年代にかけては、教師は安定した職業として人気があった。大学を出ても良い就職先が見つからない時、教員資格を取るというのは悪くない選択だった。だが、近年は様子が変わってきたようだ。師範大学を出ても就職先が見つからない教職浪人も少なくない。現職の教師は次々と押し寄せる教育改革の波に直面し、予定通り退職できるかどうか不安を抱いている。教師も大変な時代を迎えた。
教師の置かれた環境が厳しくなるに従い、同情の声がある一方で、さまざまな疑問も出ている。教員は免税という長年の政策が、全国の教員20万人に原罪として重くのしかかる。保護者が教師を訴え、教師と生徒が裁判で争うという事件も報じられる。「師道」は衰退し、教師の立場はますます難しくなる。
揺れ動き、混乱する時代にあって教師は板ばさみになり、自らを守らなければならなくなった。批判精神の旺盛な教師は改革者となって新たな道を切り開こうとするが、大部分の教師は数々の壁にぶつかり、そこから抜け出す道を探している。
ここ百年、世界の教育思想に大きな影響を及ぼしてきたイギリスの社会学者、ハーバート・スペンサーは、教育は未来に属するものだと述べた。では未来の主人公を育てる教師は、自らをどう位置づければいいのだろうか。
もうすぐ9月28日、教師の日(孔子の生誕日)である。台北市介寿中学のある先生によると、以前ならこの日に生徒や保護者が感謝を込めてカードやプレゼントを送ってきてくれたそうだ。だが最近は、こちらから話さなければ、大部分の生徒は教師の日など覚えていない。以前のような「感動を分かち合う」関係が懐かしいと言う。
「決して生徒に尊敬を強要しているわけではありません」と話すこの先生は、形式によって際立つ意義を重視している。感謝することは、人としての基本だからだ。
ここ2年、教師の日の様子は以前とはまったく違い、教員たちが街頭に繰り出して抗議のデモ行進をするようになった。2001年、台湾で初めて10万人に上る教員がデモを行ない「団結と尊厳」を求めた。社会から「教員への課税」を求める声があがり、それに対して「教員組合の結成」が彼らの尊厳を守るための具体的な手段となったのである。昨年の教師の日にも1万人近い教員が「教育改革10年の混乱を改善しよう」「子供たちに希望と喜びを」「総統の政権を実現しよう」と訴えて街頭に繰り出した。

最近は保護者の発言力が強くなり、少なからぬ教師がその対応に困っている。保護者が学校教育の助けになるかどうかは教師のEQにかかっている。
教師の憂鬱
当時、全国教員組合の理事長だった張輝山さんはデモの後で、教員のデモの目的は課税への反対ではないと語った。もともと7月末に、すでにデモを行なうことは決まっていたが、8月末に行政院が所得税法の改正を決め、小中学校教員の免税措置を撤廃する提案をしたため、それに反発してのデモと捉えられてしまったが、実際はそうではなかったのである。
張輝山さんによると、これまでの免税措置は、政府が教師は教育に専念すればよいと考えて決めたことであり、もし社会全体がそれを不合理だと考えるなら法の改正は当然のことだが、「税を納めていないという理由で教員を辱めるべきではない」と言う。だからこそ「納税権を求める」というスローガンが出現したのである。
わずか数日の間に十万人がデモに参加することになるとは組合も予想していなかった。これは、教員の多くが将来に対して不安を感じているからで、環境の大きな変化に直面して心の葛藤を解消できないという大きなエネルギーが爆発したからだと張輝山さんは考えている。
教育という神聖な専門分野が消費の対象となることにも多くの教員は耐えられない。「教育は百年先の人を育てる事業であって、営利市場ではない」「教育は流行商品ではなく、活きた人を対象としたものだ」と多くの教員は話す。
「ここ20年、世界の最大の趨勢は市場化です。市場化の法則がさまざまな分野の秩序を崩壊しています」と、社会評論家の南方朔さんは教師の役割変化の原因を説明する。市場の法則から見ると、教師は教育サービスの提供者に過ぎず、学生は教育サービスを買う消費者ということになる。こうした考えから、大学では学生が教師を評価して点数を付け、小中学校では保護者が教師に点数をつけるようになった。こうして教育界の権威と自主規範も崩壊したのである。

十年にわたる教育改革の評価はさまざまで、子供たちの勉強のプレッシャーはかえって強まっている。写真は十字架を背負うというパフォーマンスで重苦しい抗議を表現する教師。
教育改革の野火
教師たちが直面している最大の衝撃は、この十数年にわたる教育環境の変化だ。
昨年、全国の教師十数人と一緒に『教改野火集』を書いた林栄梓さんはこう説明する。教育改革は、官僚と大学教授と専門家が中心になって計画し、その実施を現場の教師に要求してきたが、それがうまくいかないと一般教員が保守的で非協力的だからだと責任を押し付けられる。そこで彼らは声を発することに決めたのである。九年一貫制度への改革では現場からのフィードバック制度がなく、郷土言語教育では政治と専門性が衝突し、教科書の出版の遅れと記載ミスが頻発するなど、次々と厳しい批判が続く。
「権威主義から自由化へ、価値観の一元から多元へ、エリート教育から国民教育へ」と十年にわたって進められてきた教育改革を見ると、重点教科のカリキュラム改革、教材の自由化、そして成績評価や入学方式の多様化、教員養成の多様化などが挙げられる。さらに系列的に見ると、高校・大学の増設、高等職業学校のコミュニティ化、基礎学力テスト実施、小学校での英語教育や母語教育の開始などがある。
政治大学教育学科の周祝瑛教授によると、世界各国が教育改革を進めているが、台湾のように資源と関連措置が不足する中、短期間でこれほど大規模な改革を行なってきた事例は世界にも例を見ないという。
この急激な変革の中、一つひとつの政策が直接的、間接的に一般教員の仕事に影響する。『教改野火集』には、そうした現場教師たちの困惑が書かれており、それは教育改革の理念と実践の落差の大きさを浮き上がらせ、また教育改革の成果が上らないことに対する教師たちの憂いが感じられる。

教育改革の波は次々と打ち寄せ、教員は学校の内外で数々の挑戦にさらされている。教師という仕事をどう位置づけるかは次の世代にも関わる問題だ。
教え方を変える九年一貫制度
教育改革において、教育現場に最も直接的に影響を及ぼすのは、九年一貫カリキュラムの実施だ。中でも教科の統廃合については今も論争が続いている。
いわゆる「統合教学」というのは、社会科の場合、それまで別々の学科だった歴史・地理・公民を「社会領域」という一教科にまとめ、音楽と美術と演劇を合わせて「芸術人文領域」という一教科にすることだ。問題は、中学の段階ではすでに教科の細分化が進んでいたため、教員が第二、第三の専門分野をわずかな期間で習得するのは難しいという点にある。「全国の教員が第二の専門を懸命に学ばなければならず、そのために授業の準備時間が減り、生徒との対話も少なくなります。その皺寄せはどこに来るでしょう」と林栄梓さんは問いかける。
以前は音楽と美術は週に2時ずつだったが、今は芸術人文が週に3時間である。台北県教員組合前理事長の張美英さんによると、3時間を1時間半ずつに分けることはできないため、今月は音楽1時間に美術2時間、来月は音楽2時間に美術1時間と配分することとなる。だが、こうした時間割変更の手続で教師も生徒も混乱し、多くの学校では時間割も作れなくなっていると言う。
学科の統合には、専門を異にする教師同士の討論やチームワークも求められる。これまで一人で専門の教科だけを教えてきた習慣を変えなければならない上に、人間関係や授業スタイルも考えなければならず、それは容易なことではない。
教材の変化への対応も教師には大きな挑戦だ。各出版社の教科書の長所・短所を研究し、何度も会議を開いて検討し、評価も提出しなければならない。教科書の版は次々と新しくなり、授業の準備に以前より時間がかかる。以前のように何年も同じ内容の授業を続けるわけにはいかなくなったのである。

「万世の師の模範」とされてきた孔子の像が立つ校内。だが昔ながらの教師の形は急激な時代の流れの中で消え去ろうとしている。新たな教師の形はどうあるべきか、皆が関心を寄せなければならない課題だ。
生徒の競争力を心配
多くの教科が統合されるのに伴って基礎教科の授業時間が少なくなり、先生方は生徒の学力レベル低下を心配している。花蓮県寿豊小学校の黄木蘭校長は次のように指摘する。九年一貫制度は教材内容の簡略化と授業時間の短縮という内容を伴っている。週に10時間だった国語は5時間に、算数や理科は6時間から3時間に減り、その結果、生徒の基礎学力は低下していると言う。
張美英先生も不安を隠さない。30年にわたる教員生活において、ここ数年は生徒に申し訳ないと感じるようになったそうだ。今の生徒たちは将来、国際的な競争で負けてしまうと思われるからだ。
さまざまな問題はあるが、九年一貫制度が実施されてから数年、先生たちの授業方法は確かに変ってきた。台北県新埔中学の李川信先生は「社会」と「芸術人文」の2教科を教えるために、音楽や美術の先生と共同で教材を研究するようになり、違う角度から教科を見つめ、グループで検討することで大きな収穫を得たと話す。「以前の図画工作の授業では、材料を子供たちに与えるだけで、鑑賞について指導することはほとんどありませんでした」と言う。今は音符を使って色を表すことを指導しているそうだ。
台北県福和中学で国語を教える林一善先生は、九年一貫制そのものについてはよく分からないが、過去の膠着した教え方を変えたいと考えてきた。そこで8時間目の補足用の時間に生徒たちに詩を読ませることにした。詩のタイトルを消しておいて読ませ、想像力を働かせてタイトルをつけさせるのである。これをやっていくうちに、冷ややかな表情で詩を読もうとしなかった生徒がついに読み始めたという。「生徒の心をつかんだという感覚は素晴らしいものです」と林先生は言う。
李川信先生は、一人では難しくても数名の先生とチームを作って一緒に新たな教育方法を創出していけば、それが見本になり、他の教師も変ってくると考えている。そこに校長や事務のサポートが加わって協力体制が整えば、よりスムーズに進む。例えば、自分で教材やカリキュラムを作りたいという教師の授業時間を減らしたり、「研究教師」制度を設けて興味や専門に応じて分業したりすることも可能だ。

授業が終わると生徒は一目散に帰っていくが、先生は急いで宿題を採点する。この後にも会議用のレポート作成などたくさんの仕事が待っている
保護者の権限が拡大
カリキュラムの変化で教師も変革を余儀なくされているが、学校の権力の再分配によって教師は難しい立場に置かれている。「教育における権威体制を打破する」という教育改革思想の影響で、近年は保護者の権限が拡大してきた。保護者が学校教育に参画すれば助けになると考える教師も少なくないが、保護者との交流の結果は必ずしも良いとは言えない。一部の保護者の強い干渉を受けると、多くの教師は衝突を恐れて譲歩してしまうからだ。
台北市民生小学校の林雪香先生は次のような例を挙げる。ある先生は昔ながらの授業スタイルで、パソコンのパワーポイントなどを使っていなかった。すると保護者が連名でその教師を担任から外すよう求めてきて、学校側も、その教師に期限を定めて改善するよう求めた。他の先生たちは、この先生の受けた侮辱に不満を抱いているという。
自分は学歴が高く開放的だと考えている保護者の中には「小学生に多くの宿題は必要ない」「遅刻ぐらいしてもいいではないか」と言う人もいる。林雪香先生は、親がこのような態度では、生活指導のしようがないと訴える。
かつては当然のこととされていた体罰も、現在はタブーである。台北県大豊小学校の呂先生は、授業中に子供たちがあまりにもうるさく、何度注意しても聞かないので、生徒たちの掌をたたいたところ、2〜3人の掌が青く腫れてしまった。呂先生は正直に強くたたきすぎたことを認めて謝罪したが、保護者は連名で担任を変えるよう求め、議員やマスコミも呼んできて騒ぎ立てた。さいわい公聴会で、ある保護者が呂先生のまじめさを評価してくれたため、異動だけで収まったという。
中学になると、受験が近づいてくるため、教師や学校に対する親の要求も違ってくる。
介寿中学の李先生は、受験中心の教育は間違っていると考え、何人かの先生と一緒に「フレキシブル課程」の時間を利用して環境問題や読経などを扱おうと準備していた。だが、やはり保護者から時間の無駄で受験に影響すると反対され、学校からも支持が得られなかった。

肌を露にした先生たち。これは弱者に関心を寄せる一般教員協会が行なったパフォーマンスで、ビンロウ売りのアルバイトをする生徒と教師の関係を考えさせようというものだ。
煩雑な仕事に疲労困憊
時代は変り、学校も変った。教師の直面する課題はますます厳しくなるが、一般には学校の先生と言えば今でも「休みが多く、給料が高く、楽な仕事」だと思われている。
「マスコミは教師の大変な面を報道してくれません」と話すのは介寿中学の李先生だ。多くの教員は朝の7時には学校に到着し、5〜6時まで生徒に付き合う。9年生(中3)の担任になると夜まで生徒の勉強に付き合う。具合が悪くてもなかなか休めない。3日以上休む場合は代講を申請できるが、2日以内は申請できず、同僚に迷惑をかけるだけでなく、生徒にも影響するため、無理をしても出勤しなければならない。
近年は教育改革政策が次々と打ち出され、研修や会議、コンクール、レポート提出などが続く。「上が成果をあげたいと思えば、下の私たちは協力するしかありません」ということで、仕事は煩雑でストレスはたまる一方だ。
ベテラン教師の中には、最近のカリキュラムの大幅変動に適応できず、早めの退職を申請する人もいるが、それもなかなかかなわない。
昨年7月、台北県埔墘小学校の張麗珍先生は退職を申請したが県に却下され、教育部前に跪いて懇願するという行動に出てマスコミをにぎわせた。彼女は教員になって31年、最近は体力も衰え、九年一貫制度改革のストレスで夜も眠れなくなり、生徒にも迷惑をかけるのでリタイアを決意した。しかし二度の申請も、県の財政難で退職金が支払えないという理由で受理されなかった。
この事例は、台北県教員組合の推進もあって全国的なテーマとなり、教育部は教員退職金のために3年間で300億の予算を地方に割り当てたため、退職ブームが起きた。だが、この3年が過ぎたらどうなるのか、多くの教員は将来順調に退職できるのか、確信を持てずにいる。
教師が直面するのは教育改革だけではない。最近は生徒の問題も増えている。都市部の学校では、控えめの見積もりでも、1学級に2〜3人の生徒が情緒障害や家庭の問題を抱えている。「ネット売春や家庭内での性的侵害を経験した子供も見てきました」と話すのは台北市北政中学の李曼韻先生だ。これらの問題は、学校教師の専門の範囲を超えており、他の専門機関のサポートが必要になる。
張美英先生によると、最近の中学教師は担任の学級を持ちたがらなくなっているという。子供たちの抱える問題が複雑すぎるからだ。生徒が包丁を持って教師を脅迫するような事態も生じており、経験の浅い先生には受け止められない。

このジーンズ姿の先生は、生徒がケンカした時に叱るのではなく、生徒たちに演劇をさせて何が問題なのか考えさせる。
学校内のさまざまな現象
社会が変り、教育政策が激しく議論されている今、教師はどう自ら処すべきなのか。今後の道をどこに見出すべきなのだろうか。
「どうするべきか、生物としての本能に従うしかありません」と林栄梓先生は言う。林さんは同志と手を組んで読書会を組織し、ネットを通して教師間の学習と交流を深め、積極的に社会と対話している。
もっと激しい手段に訴える教師もいる。昨年、彰化県彰安中学の呉麗慧先生は教育部前に跪き、学校での能力別学級の問題を訴えた。これが注目されて、後に公共テレビが「魔鏡」というドキュメンタリーを制作し、大きな話題になった。しかしこの結果、呉先生は同僚や保護者から責められることとなった。
一方、保守的な、または苦い経験をしたことのある先生の多くは、表立った行動はせず、保身に努める。「頑張っても評価されませんし、少しでも問題を起こすと保護者から責められますから」と正直な気持ちを話すのは大豊小学校の呂先生だ。若い呂先生だが、保護者から告訴されるという苦い経験から、今は控えめに行動している。
『教改野火集』によると、最近は小中学校教員の11.25%が大学院を受験している。忙しいのになぜ多くの人が大学院に通うのか。「2年後に大学院を出れば給料は上がり、学校での地位も上がり、保護者や校長もその人の教育方法に口を挟めなくなるのだから、こんなにありがたいことはない」と同書にはある。
積極的でも保守的でもない、大部分の中間派の先生はどうだろう。
「喝采を受けることはないが、本分をつくして働き、子供たちに価値のある何かを学んで欲しい」「自分の子供に対するのと同じように、人の子供を扱う」など、昔ながらの教師の奉仕と貢献の精神は、まだ生きているようだ。

21世紀の教師は権威ある役割を演じることはない。生徒との関係の変化が、教師の思考と習慣にも変化を迫っている。
教師の主体性を取り戻す
しかし今は「今日学んだものが明日は古くなる」時代だ。新たな教育思想は子供が「能動的学習体」となることを期待しているが、教師はどう変ればいいのだろう。
「今では社会的競争の圧力は教師も他の職業も変りません」と話すのは師範大学教育心理・指導学科の林世華助教授だ。「学校は象牙の塔」「教員の環境はシンプル」といった時代は過去のものとなった。
生徒と教師の関係も変りつつある。師範大学教育研究センターの潘慧玲主任は「教師が教え、生徒が聞く」という権威者としての教師の役割はなくなり、生徒を導く役割を果たさなければならないという。以前は「何を教えるか」を考えたが、今では「生徒はどう学ぶべきか」を考えなければならない。カリキュラムについても「教員は実行者の立場からカリキュラムの計画者へと変るべきです」と潘主任は言う。
そのため、将来の教員は名実ともにプロでなければならない。長年、教育改革を推進してきた万芳中学の周麗玉校長は、プロの教員には理論的根拠が必要だと指摘する。担当学科の概念に精通しているほかに、社会学、心理学、教育哲学などの基礎がなければ革新的な教育プログラムは立てられない。
周校長は、九年一貫制度を例に挙げる。「九年一貫」の精神も領域も新しいものではなく、従来の課程標準の中に明記されていた。ただ、以前の台湾の教育体系は教員のために全てお膳立てをしていたため、急に開放されて、どうしたらいいのか分からなくなったのである。
周校長は水泳の授業に喩える。以前は上の者が、まず平泳ぎを教えてからクロールを教えるという順番を定めていたが、今は25メートル泳げるようになるという目標が定められるだけで、やり方は先生に任される。それぞれの先生が専門の力を発揮すればよく、能力のある先生は金メダル選手も育てられる。
小中学;校の;教員・;生徒数;と;教員年齡層の;変;化
教員一人当;た;り;の;生徒数;一学;級の;平均生徒数;50歳;以上の;教員の;割合
| 中学;校 2003年度 1994年度 10年間の;変;化 |
|
|
15.0% 16.0% -1% |
| 小学;校 2003年度 1994年度 10年間の;変;化 |
|
|
10.1% 22.0% -11.9% |
改革にチャレンジ
8月初旬、全国教員組合前理事長の張輝山さんは「台湾教師学会」を設立した。張さんは、教育改革が始まって以来、制度や形式は変ったものの、多くの教師はまだ動き始めていないという。それは政府が教員養成の重要性を直視せず、投資を惜しんでいるということの他に、より根本的には教師自身の思考習慣が変っていないことにある。多くの教師は「生徒は教師に従うべきで、私は上から要求されたとおりにやればよい」と考えている。「算数が構成主義の教え方に変ったが、自分には分からないので、教え方を教えて欲しい」という考えである。教師はこうした「複製者」の役割を脱するべきだと考える張輝山さんは、その新たな価値観を提唱するために台湾教師学会を創設した。
人本教育基金会の理事を務める史英さんは、教師のプロフェッショナリズムを次のように解釈する。現代の民主社会において、教育は国家の目標や親の目標を実践するものではなく、ひとりひとりの子供が自分の潜在能力を発揮し、自分の目標を達成できるよう促すものだ、と。
「台湾大学の教職課程の最初の授業で、私は進学主義に負けてはならないと学生たちに言います」と史英教授は言う。保護者は進学競争に勝つことを求めるが、教師は教育の本質を貫き、保護者や社会への対応も学ばなければならない。今後の教員教育ではプロとしての勇気も教えていく必要があるという。
教室を抜け出して
「教員は担当の教室を抜け出し、カリキュラム開発や学校運営に参加するべきです」と話すのは学校革新の趨勢を研究する潘慧玲さんだ。今後の学校は成果志向ではなく、教員と学校が一つの共同体にならなければならない。学校の教員組合や評価委員会などの組織の設立も、教師に参加権をあたえるもので、それを通して教員の公的事務に関わる能力を育てる狙いがある。
1995年に「教員法」が成立してから、教員組合と評価委員会とPTAが学校の運営や人事に影響を及ぼす重要な団体になった。学校の方針や人事権について以前は校長が最終決定権を持っていたが、今は校長も上記三つの組織を通さなければならなくなった。
権利が分散されたわけだが、現在までのところ、教員の教組への参加意欲は高いとは言えない。多くの教員は仕事が忙しくて余裕がなく、あるいは組合は「権力を争う」組織だという印象から傍観している人も少なくない。
全国教員組合の常務理事を務める呉忠泰さんによると、多くの教師の組合に入る目的はより良い待遇や福祉を獲得すること、また「万一被害にあった時に」訴え出る場所を求めてのことで、教育の理想を実現するためと考える人は少数だという。
「教員は今は組合の保障があるので、教育の理想を堅持することができます」と話すのは台北市景美中学PTA会長の邱永順さんだ。学校の教組がうまく運営されれば、大きな力を発揮できるはずだ。多くの親は教師の士気が高まることを願っており、校務会議でも教組からの提案には大半の人が賛成するという。
新たなモデルはどこに?
近年は教育改革が壁にぶつかり、各界から検討の声が上っているが、そうした中で「教員こそ教育発展の最大の動力」「教員は教育改革成否の鍵をにぎる」といった声も少なくない。学界では教員に改革への動機を持たせ、改革の力を発揮させる方法の研究も始まっている。
では、先生たちは自らの役割をどう位置づけているのだろう。呉忠泰さんによると、現段階では、そのようなことを深く考えている先生は少なく、全国教組での議論も多くないと言う。「今はベテラン教師が次々と退職して従来のモデルが失われ、新しいモデルを模索しているところです」と話す呉忠泰さんは、チョークはITに劣るのだろうかと問いかける。昔の教師のどこを変え、どこを残すべきなのだろう。
新たな「師道」の確立が求められる中、呉忠泰さんをはじめ何人かの先生が努力を始めている。まだ長い道のりだが、期待して見守りたい。