島は船で海は道
はるか7000年前、オーストロネシア語族は海を越え、太平洋とインド洋に浮かぶ2万余りの島に広がっていった。それはどのようにしたらできるのだろう。史前館のオーストロネシア・ホール(南島庁)に行けばその答えが見つかるだろう。
オーストロネシア語族とは、オーストロネシア諸語の使用が見られる人々とその地理的範囲を指す。だが史前館を訪れると、展示教育係の係長・方鈞瑋は、オーストロネシア語族の定義や分布にはふれず、まず彼らの見た世界はどのようなものかという点から話を始めた。
展示場入り口に、馴染みのものとは少々異なる世界地図がある。それはメルカトル図法で描かれた地図で、東側が上になっており、異なる角度から見る大陸は海に包まれているように見え、またオーストロネシア語族の分布する島々は太平洋上に点在して地図の主役となり、一連の真珠のようにも石けり遊びの格子のようにも見える。
「オーストロネシア語族にとって島は船のようなものでした。船上の資源には限りがあるので、助け合わなければなりません。そして海は島々を隔てるものではなく、それらをつなぐ道でした」と方鈞瑋が説明する。オーストロネシア語族にはおそらく「定住」という思考方法はなく、血には「冒険」因子が多く流れていた。「彼らは近隣の島に出かけ、物々交換し、資源を得ることを好んだので、島同士の多くの交換ネットワークが築かれました。またそのおかげで、台風に襲われた時などに隣の島に避難するといったこともできる。今日で言うレジリエンスを持っていたのです」
島から島への移動が日常的な彼らは、海を縦横無尽に行き来する術を身につけた。15世紀、スペイン人やポルトガル人が海洋を探検し始めた時、たどり着いた島々にすでに人が住んでいるのに驚いた。当初は「きっと船が暴風雨に遭って島に流れ着いたのだろう」と考えたが、やがて彼らの優れた航海術に気づく。西洋で近代的な航海技術が発明されるより前に、オーストロネシア語族は星座や天候、海流などを利用して航海し、地球最後の無人島にまで移り住んでいた。もしニュージーランドへの最後の移住が14世紀頃だとすると、西洋人の世界探検より数百年早かったことになる。「ネットワークのある彼らは決して孤立しておらず、昔から現在に至るまで、台湾もまた、世界の脈動とともにあるのです」

オーストロネシア・ホールは「ここで台湾と世界は出会った」をキャッチコピーに、過去から現在に至るまで台湾がいかに世界の脈動とともにあり続けているかを語る、と方鈞瑋は説明する。