台湾は世界最大の自転車生産国で、質がよくて値段が安く、生産量が大きい、まさに自転車王国である。ジャイアントとメリダの両社は長年の努力の結果、世界でもトップクラスの大企業である。
近年は中国や東南アジアとの競争に直面し、台湾企業はこれまでの低価格のイメージを抜け出し、構造転換を図り、高級自転車に路線転換してきた。こういった傾向の中、自転車の元台湾代表選手・張勝凱は小規模経営の自転車ブランドCSKを確立した。その品質が世界各国のプロ選手に評価され、ホワイトハウスの大統領護衛官も愛用して、CNNなど国際的メディアが取り上げるようになり、注目を集めている。
ポニーテールにゴーグル、日焼けした逞しい張勝凱は経営者というより、長年戦場で戦ってきた騎士のようである。今年44歳の彼は自転車の代表選手だったが、引退後は小規模経営でCSKブランドを確立し、ハイクオリティで注文生産の高級自転車を専門に手作り生産し、国際的に高い評価を得た。ジャイアントとメリダに続いて、台湾の国際的自転車ブランドとなったが、また引退したスポーツ選手が自分の専門を生かし、事業を成功させた数少ないケースでもある。
これらの全てについては、張勝凱と自転車との機縁から語り始めなければならない。

産業は近年、高級路線へと転換している。写真はCSKのフレームを製作する台中の侑圓社の工場だ。
レース場での常勝軍
自転車選手としての始まりは遅かった。高三の時、映画好きの彼はデニス・クリストファー主演のアメリカ映画「ヤング・ゼネレーション」を見た。ストーリーは自転車の夢を追う若者たちが、困難に打ち勝ち目標を達成するというものであった。「見終わって、中毒のように自転車に夢中になり、母から貰う小遣を貯めて1年後に生涯最初の自転車を買いました」と言うが、その少年の情熱が30年近く彼を支えてきた。
その当時、張勝凱の家はレース用の犬のブリーダーをしており、大人になったら毎日犬の世話をする単調な生活が待っていると思った。「自転車で速く走れば走るほど、味気ない生活から遠ざかれるような気がして」と彼は語る。
通常、自転車選手になるには少なくとも3年の専門的訓練が必要だが、自由を求めて自転車に向かった陳勝凱は、コーチにもつかずわずか1年で全国チャンピオンになり、代表選手に選ばれ、天性の自転車の才能を証明した。
訓練に専念するため、陳勝凱は大学の体育学科への推薦を諦め、1980年代における台湾のトップ選手になった。ロードレースとモトクロスを得意とし、国際自転車台湾一周ツアーで、金3銀6銅6のメダルを獲得、一つの大会での最多メダル獲得を記録した。1988年には香港の国際レースで優勝し、台湾人選手として初めて自転車の国際的レースでチャンピオンとなった。
1990年、30歳になった陳勝凱は選手生活を引退し、経験を生かして高級自転車の組立パーツ輸入を始めた。しかし、ヨーロッパの高級品は実は台湾製で、「商標とデザインだけで大部分の利益を持っていくので、やりきれない気がしました」と話す。
その一方で、レースが台湾では少なすぎると、1991年から台北国際自転車招待レースを開催し、若い選手に競技の場を与えてきた。レース開催にはスポンサーが必要なため、次第にパーツ製造会社と親しくなり、自転車製造の知識を蓄えるようになった。
選手の経験に業界の人脈を加えると、プロ向けの高級自転車製造はそれほど難しくない。南投県在住の陳勝凱にとって、生涯の転機は1999年の台湾大地震である。台湾中部の南投県は被害が大きく、事業も打撃を受けた。この危機をチャンスに変えようと、新たにCSKブランドを作ることにしたのである。
CSKは陳勝凱のイニシャルである。「選手出身なので、自分の名前をロゴにしました。この人生のレースで負けるわけには行きません」と話す陳勝凱の選手時代は、常にトップを走る一匹狼だった。実業家となってからも、手探りで創業する独自の経営モデルを確立してきた。

ホワイトハウスから注文を受けて生産した星条旗デザインのオフロードバイク。
注文生産、サービス第一
台湾の自転車産業は委託加工から出発し、常に廉価な大量生産品を主力としてきた。陳勝凱のCSKはこれとは異なり、レース用の高級車を専門とする。
自転車生産は細分化されており、陳勝凱はフレーム部分を設計製造し、クライアントの注文によりホイールやペダルなど他の部品で組み立てる。CSKブランドの原料とパーツはヨーロッパからの輸入で、少量の高級品、フレームのカット、鋳造、塗装まで、専門の技術者が手作りで製作する。
自転車選手だった彼はプロの特殊なニーズを心得ていて「CSKはプロ向けに受注生産する、手作り限定生産の高級自転車なので、一般の大量生産とは市場が異なります」と説明する。
プロ用のレース車は、レースによって要求が異なる。長距離のロードレースでは、道路状況や地形に対応するため、振動を吸収できるグラスファイバーでフレームを作る。これに対して、平坦な競技場内のスピードレースでは、衝撃の吸収は重要ではなく、車体のカット面と空気抵抗が問題になる。車体が滑らかに抵抗を逃がせれば、逆風の影響を受けない。モトクロスとなれば車体は軽く、しかも柔軟かつ強靭であることが求められる。
ユーザーの身長、体重、体形も車体に影響してくる。体重150キロの南アフリカ代表選手から注文を受けた時は、車体を高くし、重量に耐えられるデザインとした。「私の選手時代、台湾の自転車はあまり洗練されていませんでした。自分で作るようになって、当時の夢が叶ったということでしょう」と陳勝凱は言う。
さらに、CSKではパーソナライズされた塗装も行う。例えば、結婚記念プレゼントであれば、奥さんの名前を入れるし、大渓のイチゴ祭ではイチゴを、アジア的精神を重視すれば東方不敗などとペイントする。張勝凱のアイディアの賜物である。
CSKの高い性能と塗装サービスはホワイトハウスでも認められ、星条旗を描いたマウンテンバイク4台を発注し、アウトドアスポーツを楽しむブッシュ大統領の護衛官が使っている。
丁寧な手作業のため、工場のラインのような量産はできない。高級路線のため、フレームから溶接、修正、ペイントまで完璧を求め、年生産量は1000台足らずである。3万〜40万台湾ドルの価格は富裕層向けである。
CSK自転車の顧客層はプロ選手と企業経営者である。何十万台湾ドルもする自転車は誰もが買えるわけではない。しかし、経済力がある自転車マニアにとって、注文に応じた限定生産で、しかも好みに応じたペイントができる高級自転車は、大量生産が主流のこの時代に他人と違う魅力を有し、ユーザーの優越感をそそる。

2002年、自転車選手の林志勲は釜山で開かれたアジア大会でCSKの自転車に乗って優勝した。
産業のグレードアップ
6年の努力の結果、CSKブランドは知名度を高め、CNNなどのメディアの取材を受けるまでになった。しかし、CSKには工場も従業員もおらず、張勝凱の設計により協力会社に委託して製造されているとは想像しにくい。
台湾の自転車産業は盛んで、技術レベルは高いのだが、張勝凱の起業当初、協力工場を見つけるのには苦労した。大抵の工場は生産量が大きくて回転が速く、利益率の高い注文を好み、CSKのように少量で手間がかかり、単価は高いが売上は量産車に及ばない注文に興味を示さなかった。それでも選手としての性格なのか、逆風の坂を上る時のように、逆境ほど闘志が湧くという張勝凱はついに協力工場を見つけた。台中県大甲の侑圓がその協力工場の一つで、フレームの製造を行っている。
侑圓の陳倉稟代表によると、台湾の自転車産業は長期に渡り廉価な大量生産戦略をとっていたが、中国と東南アジアの価格競争が始まり、優位を保てなくなっている。CSKと協力したのも、自分の工場を高級自転車向けに転換したかったからである。
大量生産なら一日300台以上製造できるフレームも、CSKのような丁寧な手作業だと20台がいいところである。張勝凱も毎週工場を訪ね、品質をチェックする。CSKの刺激により、侑圓も自社ブランドの高級自転車製造を開始し、すでに日本などに販売している。
台湾の自転車産業は少品種の大量生産を主としてきたが、CSKは多品種、高付加価値、少量生産路線である。その最大の課題は、新しい高級ブランドのイメージを打ち出せるかにある。
経済部工業局の2004年の統計によると、中国の自転車生産は7900万台に達するが、低価格車種である。これに対し、台湾では500万台足らずだが、平均単価は165米ドル、中国の32米ドルを大きく上回る。最近の輸出高は20%以上の成長で、台湾企業がグレードアップにより中国との住み分けに成功したと見られる。

張勝凱は1980年代、我が国のトップ選手だった。
国際的口コミ
世界のメーカーは、スター選手のスポンサーになったり、大規模な大会を開催してその知名度を上げるが、資金の乏しいCSKには難しい。張勝凱の言う国際的口コミ戦略で機先を制するしかない。
選手出身なので、世界各国の代表チームのコーチはかつてのライバルである。互いに親しいものだから、家族と自転車を担いで世界を回り、大規模なレースの現場で直接自社製品をプロモーションしてきた。製品のレベルが高いので、こういった手法で市場を開拓できたのである。
オーストラリア、日本、インドネシア、ベトナム、マレーシアなどの選手がCSK車に乗っているが、大メーカーではないので、大金を投じて スター選手のスポンサーとなることはできない。そこでCSKは、有名になる前の選手が最初に使う自転車と位置づけた。台湾の選手、林志勲が2002年の釜山アジア大会で新記録を出して金メダルを取った時の自転車もCSKであった。

2002年、自転車選手の林志勲は釜山で開かれたアジア大会でCSKの自転車に乗って優勝した。
起業はマラソン
CSKの台北ショップでは、張勝凱のコレクションであるイタリア製自転車が誇らしげに展示してある。「コルナゴとチネリで、世界最高級ブランド、自転車マニアの憧れです。台湾製のCSKが知名度を上げて、誰もがコレクションしたくなる幻の名車にしたいですね」と夢を語る。
成長を続け、CSKの高級イメージを高めると共に、将来は自分のニックネーム「Akai」でサブブランドを作り、一般向けの中級自転車市場に乗り出したいと考えている。
創業6年、様々なプランが頭の中にひしめき、60キロのマラソンを始めたかのようである。「やっと6キロ地点に来たところ、最後まで頑張った者が勝つと、選手としての経験が語っています」と締めくくった。

試合では優勝を目指し、製品では品質を追求する。ゴーグルをつけた彼は元台湾代表自転車選手の張勝凱、自分のCSKブランドで世界に打って出た。

試合では優勝を目指し、製品では品質を追求する。ゴーグルをつけた彼は元台湾代表自転車選手の張勝凱、自分のCSKブランドで世界に打って出た。

大渓のイチゴ・フェスティバルでひらめいた「イチゴ自転車」。