台湾では1998年に初のコミュニティ・カレッジが設立されてから、わずか6年間で各地に80余りものコミュニティ・カレッジが続々と設立され、地方の山間部や離島、先住民の村などにも作られた。現在、学期ごとの学生数は10万人近くに及び、台湾に新たな流れをもたらした。
「コミュニティ・カレッジ」という名称からは、大学の知識と理念が地域に根ざしたものであることがわかる。普通の習い事や社会機関、大学の社会人向け教育と最も異なるのは、「現代の公民の育成」を教育目標にかかげている点であろう。クラブ活動を奨励し、地域の人々に公的な仕事に参与する能力を養い、公民社会を形成するのが目的なのだ。
利益ばかりが重視される現代社会で、この崇高な理想をどのように達成していくのだろうか。何年もの実践と修正を経て、コミュニティ・カレッジはどの程度まで理想に近づいているのか。地元にはどんな影響や交流が生まれているのだろうか。
夕暮れの永和市内は、車や人々が行き交い、それぞれが家路を急ぐ。だが永利路の福和中学校では大勢の人がその門をくぐっていく。
中庭を過ぎると、温かみを帯びた光の中、ジャズ音楽の流れるカフェで数人の男女が丸テーブルを囲んでおしゃべりしている。別のテーブルでは2人の女性が授業内容について話している。カウンターの美しい女主人は焼きたてのお菓子やいい香りのジャージャー麺を出し、行き交う学生さんたちにあいさつする。
なごやかでゆったりとしたこのスペースが台北県永和コミュニティ・カレッジのカフェだ。台北市近郊の中和市や永和市から来る学生が毎日ここで歓談し語り合う場所なのである。壁には写真や水彩画など学生の作品が展示され、見上げれば鉄をはんだ付けしたモダンな照明がある。カウンターは「木工クラス」の傑作で、優雅な女主人も以前はそクラスの学生兼ボランティアだった。この手作り感あふれる場所を訪れれば、コミュニティ・カレッジの開放的な雰囲気を感じられるに違いない。

宜蘭コミュニティ・カレッジの人文景観写真研修クラブでは進士地域の歴史文化や四季の景観を写真に撮り、昨年末、展覧会を開いた。
フェミニズムのやさしさ
しばらくして、暗かった校内に電気がついた。2階の教室「新移民女性向け中文クラス」では、先生が台湾に嫁いできた外国人女性に中文の発音記号を教えていた。「中文は上から下、左から右に書きます」と教師は黒板で筆順を示し、学生たちに文を作らせた。次の「台湾の重要な祝日」の授業では別の教師が、端午節のボートレース、旧正月の爆竹などを紹介した。そして手作りの生春巻きや粽、餅などの食べ物を持ってきて学生にふるまった。
永和コミュニティ・カレッジのこの中文クラスの学生は、ほとんどが台湾人と結婚した中和、永和に住む外国人女性で、教師はこの学校のフェミニズム研究部のメンバーが担当している。今年45歳になる洪秀薇さんも教師の1人だ。以前は恥ずかしがり屋だったが、今は自信がうかがえる。フェミニズム研究部に入って3〜4年になる彼女は夫が自慢の典型的な専業主婦で、最初は参加を申し込んだが授業に出る気になれなかったそうだ。だが、勇気を出して出席した授業で女性のあるべき姿を知り、地域の外国人女性を助けることを考えるようになった。教壇で堂々と話す今の姿は、彼女自身も信じられないという。
この授業を受ける外国人女性は「南洋姉妹会」を結成し、フェミニズム研究部と交流している。洪秀薇さんは彼女たちの何人かと非常に親しい友人となり「家族に言えないつらさも話してくれる仲」になった。誰かに必要とされている感覚は、彼女にはとても大切なものなのだ。
「新移民女性向け中文クラス」は去年の「外国人女性識字クラス」の新しい名称で、コースはフェミニズム研究部が担当している。「最初は世新大学の夏暁鵑先生と共同でクラスを開きましたが、先生は学生の日常的なニーズに対応し、永和の地元のテーマを発展させてほしいとおっしゃいました」スタッフの孫銘徳さんは、フェミニズム研究部で中文クラスのコースをデザインする時、彼女たちの文化の主体性も尊重し、その文化を表現するチャンスを作るべきだと考えた。「将来は彼女たちが中国語で子供に自国の文化を紹介してほしいのです」と言う。
中文クラスは評判がよく、今年のコミュニティ・カレッジ全国シンポジウムの優良コース・コミュニティ部門でも優秀賞に選ばれた。審査の基準は「知識の解放」と「社会の改造」だった。

公的な活動への関心を育てるのもコミュニティ・カレッジの重要な目標の一つだ。今年6月、永和カレッジの生態保護クラブのメンバーは高山ケーブルカー設置反対運動に参加した。
知識を能力に
「知識の解放とは知識を能力に変えることで、自由、勇気、自信なども伴います」審査担当の清華大学社会研究所李丁讃教授は、授業が知識の伝達だけに留まると、生活と関係ないため日常は変えられず、知識の価値がなくなると述べる。
よいコースとは知識の解放や社会の改造だけではない。淡水コミュニティ・カレッジの「美術コース」のように芸術の中から自分を見つめ、自由を知ることができる授業もある。この授業は教室の中だけでなく外へ出て、地域の地図や隣近所の人々の肖像画を描いたり、鉄窓のデザインの美化などを通じ、地元を深く知り、人と地域の新しいつながりを作り出し、さらに淡水の庶民史発掘にもつながっていったのだ。
「しかし時には社会の改造だけが進んで個人の解放は行われないことがあります。これは奨励できません」李丁讃教授は、台湾に嫁いだ外国人女性のためのコースの中には、家庭や社会に溶け込むことを強調し過ぎる授業もあると指摘する。妻と母親という道徳的なプレッシャーをかけ、彼女たちの内面のパワーを発散させられないのだ。

宜蘭県進士地域の陳氏家廟「鑑湖堂」は双連
植物を引き受けたことからカレッジとつながりを持ち、付近の住民が子供づれで池の清掃をしにくるようになった。
多様なサークル活動
知識の解放、社会の改造はコミュニティ・カレッジの創立精神を反映したものだ。カレッジ提唱者黄武雄さんの考えでは地域関連コースの目的は学生に地域への関心を持たせることにあった。公的な活動への参加を通じ社会問題に取り組むことで、社会への関心を喚起し、学生が考え話し合うための具体的な材料を提供したいと考えたのだ。そこでいかにして忙しいビジネスマンや公共の行事に参加したがらない人々を引き込むかがカレッジの課題となった。
多くのコミュニティ・カレッジは、経費や学生数の不足から地域関連のコースを積極的には開講しない。だが公的な色合いの濃いカレッジは、サークル活動が実に盛んだ。
黄武雄さんの創設した永和コミュニティ・カレッジは、手本を示すため特に工夫を凝らし、部活動の対象は実に多様だ。特別アシスタントの周聖心さんは、当初は参加者が何人かわからないまま15〜16のサークルを作り、それぞれ5単位、学費免除、さまざまな援助などを用意した。また地域活動への参加を奨励するため、学校では計画作成を手伝い、関係機関に経費を申請した。
5年の努力を経て、永和コミュニティ・カレッジのサークルは大きく発展した。中庭にある建物の壁には、フェミニズム研究部、教育問題研究部、労働者研究部、家庭内暴力防止部、地域計画部、地方文化部、南洋姉妹部、自然環境部などさまざまなポスターが貼ってあり、台湾の主な社会問題を網羅して自分の足元から考えているのがわかる。
昨年発足した自然環境部は、有志が提供した2ヘクタールほどの河川の湿地を管理している。観察区の植物は花、薬草、野菜、ハーブの4つのエリアからなり、さらに深さの違う4つの池で絶滅に瀕した水生植物の保護をしている。
「台湾の原生植物を中心に集めています」部長の王福財さんは、最初は顧問からいろいろ教えてもらったが、長くやるうちに学生たちも1人で山の中に入っていったり休日には農場で作業をしたりするようになったと話す。「みんなこの自然農場が好きで、永和のカレッジを知り、授業を受けるようになったのです」周聖心さんは、人口密度の高いこの地域に緑地があることがうれしいと言う。
現在、ここはカレッジの11の自然や動物に関するコースの用地であるだけでなく、対外的にも開放しており、中和や永和から小中学生などが自然観察に訪れる。カレッジではこのためボランティアの解説員を養成し、見学に訪れる人々からのリクエストに応えている。
昨年、コミュニティ・カレッジのコミュニティ部門に入賞した「教育問題研究部」は、永和のもう1つの看板サークルだ。発足4年で中心メンバーが育ち、長期的に地域発展を考えていくかまえだ。
夏休み前、彼らは毎週月曜日に「数学キャンプ」を開き、中和や永和地域の親と幼稚園や小学校の教師50〜60人を集めてクリエイティブな数学教育の概念を伝えた。
「私たちは教育部のシンポジウムを聞きに行き、非常に勉強になりました。これを地元の人に伝えたいと思ったのです」古参のメンバー楊春貴さんによると、研修で数学と生活との関連づけ、考える数学、新教材の活用法などを話したそうだ。
こうした活動のほか、このサークルは偏った教育価値観を変えるために、熱心な親たちの声をまとめたいと考えている。公的な話し合いの場ではあまり反応がなかったため、その後PTAの会に出席したり読書会などをして人脈を広げ、地域により深く入り込むようにしている。
楊春貴さんは、カレッジに来る前は、他の人と同じく自分の将来と子供の教育のことしか考えていなかったという。だがカレッジに入ってからは、教育には構造的な問題があり、教材の編纂や校長選抜制度の問題などが教育に関わってくることを知った。またカレッジのディスカッションの雰囲気に影響を受け、さまざまな角度から問題を見られるようになった。また教育がひとりではできないことを実感し、公共の事務に熱心に参加するようになった。彼女は、視野が広がり大学生の子供たちとも話せるようになったという。

日本時代の校長宿舎は台北市文山カレッジの働きかけで取り壊される運命を免れ、文山公民会館として再利用されることになった。
専門家がやって来た
カレッジの地域への参与は、公民社会のひとつの理想的な形だ。だが地域の事情は実に複雑で、住民の利益に直接関わるし、公的な利益の面も考えなければならない。地域の問題に参与する場合、情熱だけでなく、しっかりした知識と先を見るビジョンが必要なのだ。
台北市文山コミュニティ・カレッジの蔡伝暉さんは、例えば細い路地を残すべきか開発すべきか、文化保存の原則に沿った地域発展に最も効果的な方法は何か、などを例に説明してくれた。地域住民やソシアルワーカーは文化や歴史の意義と地域区画、地域発展の知識がなければ、正確な判断は下せない。
そこでさまざまな専門家や民間団体をコミュニティ・カレッジや地域に取り込み、カレッジを住民と専門家が話し合う場にしようと力を入れている。
例えば宜蘭コミュニティ・カレッジでは、荒野保護協会宜蘭支部を招いて講座を開き、自然生態や環境保護の理念を伝え、学生を宜蘭の員山郷双連埤植物保護活動に参加させた。また登山協会や野鳥学会を招き、宜蘭の歩道の調査や関連のコースを計画中だ。
このほか文山コミュニティ・カレッジでは地域全体の発展という原則に照らし、先ごろ「文山公民会館」を設置した。これはコミュニティ・カレッジが地方の組織と民間団体をつないだ例の1つだ。

宜蘭コミュニティ・カレッジは町づくりスタッフを育てると同時に「町づくりファミリー」を推進している。写真は三つのコミュニティのメンバーが集まって経験を分かち合う様子だ。
旧宿舎の新しい希望
台北市木柵小学校の隣にある文山公民会館は、典雅な日本式宿舎でノスタルジックな雰囲気が漂う。裏庭の草がガラスに映り静謐で美しく、4年前の荒れ果てた姿は想像しにくい。「ここは哲学や芸術のコースを開くのに最適ですね」こう言うのは文山コミュニティ・カレッジの講師林淑英さんだ。
日本統治時代の木柵公民学校校長宿舎だったこの建物は、1999年に取り壊される予定だった。それが残されたのは、文山のカレッジとその地方発展関係の講座の努力による。
当時、カレッジでは地域発展の講座を開いていたが、学生が集まらなかった。その頃、放置された空間の再利用を考えていた自治体と協力し、コミュニティ・カレッジはこの日本式宿舎の保存をテーマに「地域開発コース」を開いた。そして町内会の会長や地域発展協会と共同で研究を進め、専門家も招いて授業を行った。すると予想外の大きな反響を得、地域開発に興味のある人々が集まった。コースが終わった後、メンバーはさらに「文山長期発展促進会」を結成、資金の工面、再建計画、住民の意見の聞き取り、工事の監督など一連の作業を行った。そして3年間の努力が実り、ついに竣工にこぎつけたのだ。文山コミュニティ・カレッジではその後、この会館で一連の文芸フェスティバルを開催するなどして、地元の芸術的な雰囲気を伝えている。

永和コミュニティ・カレッジの数学キャンプでは地元の親や教師数十人を招いて遊びを通して数学を学んだ。教材を使って空間を理解し推理力を培う。
公的資金の投入
コミュニティ・カレッジは民間団体、地方組織、地域住民をつなぐだけでなく、政府機関と民間の力を合わせる場にもなる。宜蘭のカレッジは、宜蘭県が枠を拡大して行った「地域発展人員訓練」で、県全体の町作りに大きな活力を生んだ。
「私たちは4年前に町作りコースを開きましたが、学生が少なく開講後も政治が絡んで実績が得られませんでした」宜蘭コミュニティ・カレッジの張捷隆学長によると、当時仰山文化教育基金会、宜蘭文化局も似たようなコースを開いていたが、それぞれ政治に関係しており、力を結集することはできなかった。その後、彼は県にそれぞれの経費を合わせてカレッジが統括することを提案、200万元あまりの経費でじっくり育成することを提案した。
「それまでの短期コースから、1年間180時間、2段階に分けて授業することにしたのです」学費は全額無料だが、前期の第1段階は理論関連の授業で、後期は計画を作成し、それが通ったら地域での実際の作業に入る。計画が通れば補助金を申請でき、20万元の経費も提供される。この優遇措置がやる気のある人々を呼び寄せた。昨年は40の地域から70人余りが参加、第2段階では選抜後に17の地域が残り、その後実際の作業を展開している。
羅東鎮の東安地域発展協会の李建東幹事長は、1年間のカレッジでのきびしい授業を通じ、町作りに対して情熱を新たにした。

人口の密集した都市の近郊で、台北県の永和カレッジの運営する生態エリアは自然にあふれ、多くの人が自然観察に訪れる。
「町作りファミリー」で新展開
「実家に戻ったばかりの頃は、暗い気持ちでした」李建東さんは、7年前に両親の世話と子供の教育のために宜蘭市内での商売をやめ、生まれ故郷に戻ってきた。故郷の思い出は人情味にあふれた木の文化だった。「以前、私はよく材木置き場の原木の上で遊んだり、母親と作業場で木の皮を削ってほうきで集めていました。でも今はそんな場所はなくなってしまいました」故郷のためになにかしたいと思ったが、地域の実務は面倒なことが多く、問題の根本的な解決方法は見つからなかった。
「授業に出て、私は新しい観念と地域運営のシステムを学んだのです」李建東さんは、地域の仕事で重要なのは「人」を変えることだと言う。以前の町作りと言えば、地域のために資金を得、設備をそろえてイベントをするなどだった。だがそれではだめで、住民の自発性を引き出し、ともに誰もが愛せる生活環境を作っていくことこそが重要なのである。
現在、東安地域は住民数十人でボランティアチームを結成している。メンバーの多くは退職者や教師で、「時間がある時に無理しないで来てくださいと言っているので、プレッシャーがないせいか、それぞれの得意分野で協力してもらっています」と李建東さんは笑う。
このほか李建東さんは、それまでの慣習の見直しもしている。例えば排水溝は以前は土木工事で作っていたが、今は近自然工法でできないか検討中だ。また昔は地域が立場の違うグループに分かれていることが当たり前だったが、現在は地域が1つの生命共同体であり、もしそれぞれが一歩ずつ譲れればより大きな利益につながると考えている。
また積極的に木材産業発展を構想中だ。以前は木材を切った後の木屑で糊やマッチを作っていたが、李建東さんは独特な質感の花瓶や置物を作り評価を得ている。地域に1軒だけ残された日本統治時代の木材加工場は地域の観光スポットに組み込まれた。また「地方木材文化館」の創設も最近の重要な作業となっているのである。
地域発展の枠組みをさらに安定させるサポート役として、宜蘭カレッジは「町作りファミリー」という組織を作っている。李建東さんは、学長でありながら3つのコミュニティからなるファミリーの指導員もしており、今年町作りコースに入った後輩と共に学んでいる。
ボランティア100人で町起こし
6月中旬のある週末、宜蘭市郊外の進士地域に行くと、入場無料の陳氏家廟の「鑑湖堂」には朝早くから観光客の姿が見られる。赤いレンガの福建南部式の建物は、前庭にある波立つ池に映り、池の周囲にはまた水生植物の生えた小さな池がある。さまざまな高さの緑草や蓮の花がゆれ、のどかな田園風景はまるで桃源郷のようだ。東側にある登瀛書院は立派なつくりで荘厳な雰囲気をたたえている。
日差しが強くなると、水生植物の池には、網を手にして植物の成長を邪魔する水草をすくいとる人々が現れる。中にはサンダルに履き替え、池を清掃をする人もいる。
「毎週土曜日は私たちの『湿地作業日』です」と言うのは鑑湖堂の主人陳文隆さんで、手伝いに来てくれているのはコミュニティ・カレッジのボランティアだ。新しく発足した「鑑湖堂文化教育基金会」には教師、エンジニア、建築士などすでに100人ものボランティアがいる。
鑑湖堂は、当初双連埤水生植物を引き受けることでコミュニティ・カレッジとつながりを持ち、いつのまにか自然教育推進をすることになった。学者肌の陳文隆さんは、宜蘭のカレッジの地方への貢献に感謝しており「以前は大学で勉強するチャンスのなかった多くの人も、生活が安定してからは学問の必要性を感じるようになりました」と言う。陳さんの言葉を借りれば、コミュニティ・カレッジは多くの地方の宝物を発掘している。例えば宜蘭唯一の進士である楊士芳住居にある古い井戸は、カレッジの調査がなければそのまま見過ごされていただろう。
陳文隆さんの心からの賞賛は、コミュニティ・カレッジの地域発展に対する最もよい形容と言えるのではないだろうか。