誰でも中絶できる?
優生保健法の庇護の下、台湾では現在、中絶手術は条件付で合法化されている。だが合法化以前から、望まぬ妊娠を非合法で解決する方法は行われていた。
当時の台湾省家庭計画研究所が行なった「家庭と出産」に関する調査によると、優生保健法がまだ実施されない1984年以前に、中絶手術の経験のあった女性は32%に及び、ほぼ3人に1人の割合だった。
優生保健法実施の1985年以降は、中絶件数も大幅に上昇し、台北市衛生局が1999年に行なった調査によると、成年女性の半数近くが中絶手術を経験していた。性経験のある未婚者でも、中絶経験は4割に上っていた。
驚くのは、これほど中絶の普及した台湾に「堕胎罪」があることだ。台湾の刑法第24章には「堕胎は有罪」と記されている。刑法第288〜292条の堕胎罪には、妊娠した本人の「自発的に或いは他者に従って堕胎した罪」、医師の「堕胎をさせた罪」と「営利目的で堕胎をさせた罪」、夫や男友達の「堕胎を教唆した罪」がある。
一昨年にあった、ある堕胎罪の刑事判決は、医学界や法曹界などで広く議論を巻き起こした。ある女性が中絶手術後に男友達から冷たい扱いを受け、別れ話を持ち出されたことがきっかけで、その男性と、手術をした医師とを「堕胎教唆」及び「堕胎をさせた罪」で訴えたのである。被告はいずれも有罪となった。
だが、堕胎罪で刑罰を受ける例は台湾では実際には多くない。その原因は20年前から実施されている優生保健法にありそうだ。
同法規は中絶を合法化する、いわば「恩恵的な」法規と言える。遺伝的疾病の罹患やレイプによる妊娠などに中絶が認められている以外に、第9条第6項では「妊娠や出産が心理的健康や家庭生活に影響を及ぼす場合は人工中絶を実施できる」とあり、いわば誰でもこれを理由に合法的に中絶ができるのである。「例外が絶対多数を占める」と言って、現状を笑う人もいう。
非合法手術の危険性
優生保健法によって非合法に中絶をする必要もなくなり、手術の安全性も大きく高まった。国泰病院産婦人科の鄭丞傑医師は昔を感慨深げに思い出す。1985年以前は、大出血や感染による腹膜炎といった中絶手術の後遺症で再び病院を訪れる女性が多く、医師の技術不足による深刻な医療事故も存在した。
ところが、優生保健法が作られた本来の目的は、女性の体の自主権を保証することでなく、人口抑制にあった。当時は「家庭計画」が推進され、出生率を下げるため、避妊薬や避妊具の配布だけでなく、中絶の合法化も行なわれたのである。
果たして優生保健法の成立直後、しかも実施前に出生率の下降が始まり、それまで1000分の20〜30あった出生率が、実施2年目には1000分の15ほどに下がった。同法規は確かに効果を奏したようである。
生命の始まり
胎児の生命権と女性の選択権と、どちらが大切かは議論のつきない問題であるが、いつを生命の始まりとするかについても見方は分かれる。受精の瞬間からとする人もいれば、心臓が鼓動を打つようになった時と考える人もいるし、母体を離れても生命が維持できる時点(約24週)と言う人もいる。または出産後初めて子供は独立した生命体になるとする考えもある。
生命の始まりがいつであれ、中絶手術をする婦人科医の心理は複雑だ。
産婦人科医は中絶によって利益を得るとか、中絶を勧めていると思う人もいるかもしれないが、実際は、未成年や未婚か否かに関わらず、たいていの医師がもう一度よく考えるよう助言していると、鄭丞傑医師は言う。ときには医師の言葉に本人も心を動かされ、手術を思いとどまることもある。
鄭医師によれば、中絶薬RU486の服用は妊娠7週以内、中絶手術は24週以内と優生保健法で規定されている。だが、胎児は6週で心臓が鼓動を打ち始め、8週で体のようなものが認められ、10週になると手足ができている。このような胎児に手術を施せば、どうしても殺すという感覚になる。このため国泰病院の院内規定では、18週以上の胎児には特別な理由がない限り手術はしないこととされている。
やむを得ぬ選択
未成年者の妊娠については、医学界でも考えが分かれるが、こんな風に考える人もいる。子宮の発育の未熟な未成年者は、出産にも中絶にもある程度のリスクを伴うという点では変わりがない。だが、中絶は手術さえうまくやれば、肉体的にも将来に影響を残さないというのである。また40年の歴史を持つ学生平安保険は、今年から時代のニーズに合わせ、高校生を対象に堕胎或いは出産を保険給付項目に入れた。
「もし、あなたの娘が未成年で妊娠したら、産んでもいいと思いますか」と産婦人科医の高添富さんは問う。だが、どちらを選ぶにせよ悩みや後悔を伴うことも、高医師は知っている。
このような心理的葛藤をどうすれば減らせるか。両派に分かれた、接点のない議論からどうやって解決の道を探るか。どうすればすべての子供が望まれて生まれてくるようになるのか。これらは難しいが、見つめなければならない問題である。