低迷を越え、満ちる熱気
台湾プロ野球の発展を振り返ると、台湾式応援は幾度もの変化を経験している。初期の応援は主にファンの自発的なものだった。たとえば、陳義信選手を応援する「飛刀組」、王光輝選手を支える「光輝組」など、素朴で力強い声援が台湾の草の根的ファン文化を形作っていた。
1990年に台湾初のプロ野球公式戦が開催され、プロ野球元年を迎える。当時の応援は球団が用意したブラスバンドの伴奏で、観客が一斉に声を合わせるスタイルだった。管楽器の迫力ある音と熱狂的な声援は、多くの人の記憶に残っている。
だが、1996年以降に相次いだ八百長事件が台湾プロ野球に大きな打撃を与え、初期の情熱的なファンたちは落胆し、球場の熱気が一時的に冷めてしまった。
転機が訪れたのは2010年代だ。Lamigoモンキーズ(現・楽天モンキーズ)が韓国式のエレクトロ音楽(電音)応援を導入し、新世代ファンの情熱に火をつけた。電子音の爆音とチアリーダーのダンスが、視覚・聴覚の両面で刺激を与え、各球団も次々と追随し、台湾の球場は「電音時代」に突入した。とはいえ「日本式ブラスバンド応援」と「韓国式電音応援」、どちらが良いのかは今もファンの間で熱く議論されている。
余さんはこう語る。「電子音楽は一気に盛り上がれるし、曲のバリエーションも豊富に展開できます。一方でブラスバンドの応援には温もりと厚みがあります。バンドの規模を大きくすれば、単音から多重ハーモニーへと発展し、音に深みとパワーが出ますね。それが心に響くんです」。現在、中信ブラザーズはシーズンを通してブラスバンドを常設し、味全ドラゴンズも特定のテーマデーにはブラスバンドを招く。他球団もアウェイ戦では奏者を呼ぶなど、さまざまなスタイルが共存している。余さんは「電音の多様性とブラスバンドの独自性、そのバランスをどう取るかが今後の応援の課題」と見ている。
陳教授も、台湾式応援は台湾文化の多くの面と同じく、「外来要素と地元の特色の融合」であり、台湾独自の形を生み出してきたと指摘する。低迷期を経ても、プロ野球ファン文化は消えることなく、応援という形で新しい出口を見出したのだ。「スポーツの現場で一番力強いのは、やはり人の声ですね」。陳教授は昨年の世界野球プレミア12で東京ドームを訪れた際の印象をこう話す。台湾ファンはわずか数百人だったが、全員が声をそろえて「台湾尚勇」と歌い上げるその迫力と込み上げる感動は、本当に心揺さぶられるものだった。まさにこの台湾式の情熱こそが、外国人にとって目を開かれるような驚きの体験となったのだ。
余さんも海外の友人に呼びかける。「ぜひ一度台湾でプロ野球観戦をしてみてください。きっと、応援がこんなにも違うのかと驚きますよ!」

台湾の多言語環境にくわえ、ユーモアあふれる言葉遊びも取り入れた応援スローガンは実に多彩だ。

台湾は2024年の世界野球プレミア12で優勝。市民たちは手作りの応援ボードを掲げ、優勝パレードをする選手たちを沿道で熱く迎えた。

余勤芹さん(中央)は、球場で楽器の響きを応援の起爆剤とすることにこだわる。台湾各地からプロ奏者を集め、音でファンの声援を燃え上がらせている。

2024年の世界野球プレミア12の会場では、応援ナショナルチームの音楽監督を務める余勤芹さんの指揮で、台湾チームのために力強い応援が響いた。(余勤芹提供)

球場に応援に行くときは、ユニフォームやキャップといった基本装備に加え、応援タオル、ヘアバンド、応援旗、マスコットのぬいぐるみ、グローブ、携帯扇風機、カメラ、冷感スプレーなども欠かせない。

観戦中の高揚感や、応援団が作り出す熱気は、他のどんなエンターテインメントでも味わえない感動をもたらしてくれる。

球場に足を踏み入れる。それは台湾ならではの日常であり、人と人とをつなぎ、思わず手を叩いて声を上げてしまうという文化体験だ。