現代的課程と信仰を結びつけた魅力
コミュニティ・カレッジのコース設計を始めた当初、呉茂成は社区大学と廟の双方が主体となって、広く意見を求めることを主張した。そこでコース設計は呉進池が担当し、コミュニティ・カレッジはそのサポートに回った。その当時、住民の参加を促すことができるコースを開発するため、呉進池は参拝に来る信者の年齢層を調査した。また朝皇宮の祭祀主神である保生大帝が医術で人を助けたという故事にちなんで、生薬について学ぶ青草薬コースを開設することにした。
コミュニティ・カレッジが開設されると、この青草薬コースはすぐに申込みで一杯になった。何回目かの期を重ねると、いつも申込みに漏れるが何とか参加したいと裏から頼みに来る人まで現れたものだと、呉進池は自慢そうに話す。この人気コースが、その後の青草薬クラブへと発展し、クラブのメンバーは薬草の効能を研究すると共に、生産販売チームも開設するようになった。ヘルシーでオーガニックな青草薬を養殖漁業に応用し、生産量を高めて地域産業の振興を図るというものである。
社区大学では、文化の祭典も推進している。民間信仰の習俗を巧みに運用して、大人にも子供にも分かりやすく廟の文化を再認識してもらい、広めるためである。そこで昔の神迎えの儀式にあっては、昔は神輿と民間芸能の陣が並ぶのがせいぜいの行列であったのが、今では社区大学のメンバーがベリーダンスや胡弓の演奏を披露するようになった。こうして、伝統と現代が結びついた台湾式カーニバルが出来上がる。
コミュニティ・カレッジでは、2011年に作家の小野を廟の広場での講演に招いたが、広場いっぱいを人で埋め尽くす大盛況となった。呉茂成によると、文化的資源が豊富な都市部であれば、講演やイベントは慣れっこになっているのであろうが、そういった文化イベントの少ない台江の人々にとっては、著名作家の講演などはまさに百年来の村の一大行事なのである。
文化の息吹を伝えようと、コミュニティ・カレッジでは朝皇宮と協力して、ナイトマーケットでの移動教室も推進している。屋台が居並ぶ通りに出かけていって、お爺ちゃん、お婆ちゃんや大人や子供が屋台料理を楽しむ合間に、その場でコンピュータを学んだり、本を借りたりして、自分の中の文化資産を蓄積して行くのである。
功徳から公徳へと地域をつなぐ
信仰、教育と社会参加の三つの機能を合わせ持つ朝皇宮では、さらには宗教を越えてカトリックの美善基金会との協力も試みている。メイクアップ・コースの参加者が学んだことを応用しようと、日頃は厳しい生活をおくる知的障害者のお母さんたちにメークを施すイベントを実施し、美しくなる姿を楽しんでもらっている。またマッサージ・コース修了者は、マッサージの技術を地域の家庭で働く外国人介護者に伝授し、高齢者の介護に使ってもらうという。「社区大学では、伝統文化において重んじられてきた功徳(善を積むこと)を、さらに公共性のある公徳に広げて行こうとしています」と呉茂成は説明する。
社区大学はさらに台江地区の住民を統合して、河川の保護と文化復興運動を併せて展開するようになった。2004年のこと、一旦は台江地区に台湾歴史博物館が建設される予定だったのだが、政府はこの地域には文化的資源が乏しいことを理由に、建設予定地を安平地区に変更すると方針を転換した。この文化が乏しいという理由が、住民の自尊心を甚く刺激し、その文化資源を集めようという団結意識を高めた。そこで、社区大学民俗文化コースと学びの廟のボランティアのチームが協力し、台江地区の代天宮などの廟を訪れて、各村の文化故事を収集し、地域の歴史や文化を掘り起こす運動に乗り出したのである。
2004年には、嘉南大圳(嘉南平原を灌漑する大水路)の水質汚染が発生した。この状況を目にして、呉茂成は海佃や安南など小中学校の教師や生徒と協力して、台江パトロール隊を結成した。この土地と環境に関心を持ち、河川の汚染状況を報告してもらうためである。現在では、パトロール隊はコミュニティ・カレッジと協力して、台江の河川モニタリングネットを形成している。
台湾各地で「学びの廟」ネットワーク
台江分校の開講講座は当初の数コースから現在の40コースにまで増加し、そこから発展した胡弓クラブ、車鼓(伝統芸能)クラブ、青草クラブと学びの廟ボランティアの4つのクラブを擁するまでになった。参加者数も当初の数十人規模から現在では1200人に増加し、海尾寮に文化の息吹を伝えている。
台江地区全域にある15の村廟もこれに参加し、学びの廟ネットが形成された。「学びの廟ネットは教育チェーンであり、朝皇宮が直営店なら、その他の廟はフランチャイズ店なのです」と、呉進池は話す。
ここは今では、台湾全土のコミュニティ・カレッジや地域再生運動の視察拠点となり、宜蘭、苗栗、雲林などの県の廟からも見学に訪れているし、さらに中国大陸の晏陽初平民教育発展センターなど、国際的なNGOグループも視察交流にやってくるようになった。
しかし、呉茂成によると、歴史的に台湾の廟はそもそも教育と社会参加、信仰の機能を兼ねていたのだが、時代が移り、そんな役割が忘れられてしまっただけだという。しかも、廟の中には落ちこぼれの生徒が集まるといったマイナスのイメージまでついてしまった。これに対して、「私たちは、朝皇宮がかつて有していた廟の本来の機能を取り戻しただけなのです」と彼は語る。
「学びの廟」モデルを進めることは、若者のUターンの道となるとも呉茂成は考える。「台湾の学校教育は、一貫して若者に故郷から旅立つことを奨励する存在だったのです。こうして多くの人材が僻遠の故郷から都会に飛び立ちますが、そこから故郷に戻ることを奨励はしてきませんでした」と彼は言う。学びの廟モデルが台湾に広まれば、これまでは故郷に帰る理由がないと思っていた若者も、学びの廟を機会として故郷に戻ってくるかもしれない。
「台湾全土の319の郷鎮(町村)にはそれぞれ廟がありますが、それがこの学びの廟の運動に参加し、現地に即した地域観を形成することができれば、地方から台湾を変える力となるでしょう」と、呉茂成は言う。村の学びの廟の伝統が伝えられていけば、これまでとは異なる学習の道がここから生まれてくるに違いない。