ガラス流行の時代
台湾の板ガラス工業が発展し始めたのは戦後になってからだ。「新竹玻璃」と「台湾玻璃」の2社が初期に技術を取得し、板ガラスや型板ガラスの生産を開始した。板ガラスが国内で生産されるようになり、川下の自動車産業や建築、家具、内装などの業種も盛んになったことから、大小のガラス取扱業者が増えていった。
劉勁廷さんの父親はガラス職人に弟子入りし、1979年に自ら「明順玻璃行」を創業、すでに50年近い歴史を持つ。劉勁廷さんによると、当時は主に、スクーター「ベスパ」のフロントガラス切断と、現場でのガラス設置をしていたそうだ。
模様の入った型板ガラスは住宅に広く用いられ、ヒノキやアルミの窓枠と組み合わせたり、飾り棚などにつけられていた。「昔は型板ガラス製造の技術的ハードルが高かったため、厚みは2~3ミリほどしかなく、安全性と防音性は高くありませんでした。今は強度の高い厚さ5ミリ以上のものが作られていますが、質感や透光性は昔のものの方が優れているように思います」と言う。
劉さんは業界の作業方式を話してくれた。現在は業者が工場に発注すると、工場がその注文に従って切断して現場に直接配送し、職人は取り付けるだけでよい。だが、昔は工場から届いたガラスの切断や磨き、穴あけなどはすべて職人が行なったため、職人はあらゆる技術に精通していたのである。
在庫の圧力もガラス取扱店が負担しなければならなかった。海棠花の型板ガラスの場合、240×120センチのものが工場から箱単位で届いた。「ですから、今もある在庫は父が発注したものなのです」と劉勁廷さんは言う。

「明順玻璃行」と「手手Hands」が協力して制作した製品。木とガラスを組み合わせたもので、古き良き素材を現代の暮らしによみがえらせる。