科学者は研究人生における「一期一会」を願う。一生のうち一度、世界を揺るがすような運命の出会い。だがそんな幸運に巡り合える人はわずかだ。中央研究院植物及微生物学研究所の特任研究員である邢禹依博士の場合、2011年に母校の米コーネル大学でシンポジウム「アジアの水稲」に参加した際に、台湾の食糧作物として学名と採集者だけが記録された「Eccoilopus formosanus (Rendle)A.Camus(syn. Spodiopogon formosanus Rendle)」と出会った。そしてそれが彼女の50年余りにわたる農業研究での「一期一会」となった。
「学名のformosanus(フォルモサ)の部分に、はっとしました」台湾の食糧作物でまだ聞いたことのないものがあったのかと驚き、興奮したのだ。会議後に尋ねると、その標本が英国キュー王立植物園に120年近く保存されているという。「干ばつに強い陸稲を探し、私と助手の徐子富は台湾じゅうの原住民集落を回っていましたから、原住民の穀物には詳しいつもりでした」初めて耳にする、しかも実体のわからないこの古い「新作物」に、刑禹依は不安を抱いた。百年余り前に採集され、学名もある。つまり当時は普遍的な作物で主食の一つだったかもしれない。だが2011年になるまで世界のどの食糧研究報告にも登場していないということは、とっくに消滅したのではと。

干ばつや病虫害に強く「賢い」タイワンアブラススキは、株の3つの部位でそれぞれ異なるワックスを分泌する。写真はさやの部分のワックスで、触れるとすぐに落ちる。
海外に親戚の多い孤児作物
民族植物学と古生物学を研究するユニヴァーシティ‧カレッジ‧ロンドン考古学研究所のドリアン‧フラー教授がこの会議で初めて触れた、かつての台湾の食糧作物。それに驚いたのは刑禹依だけではなかった。学名だけで画像のない報告に会場じゅうがざわついた。参加者はいずれも世界トップクラスの農業や植物の専門家だったが、誰もその作物を知らなかったのだ。「フラー教授もそれを見たことはなく、日本の竹井恵美子教授を通して知ったもので、これは『孤児作物』で台湾だけに存在する」と言うのです。
2019年末、世界で唯一その作物を研究するチームのリーダーとして、刑禹依はケンブリッジ大学で講演し、第一段階の研究成果を発表した。台湾固有種「タイワンアブラススキ」、学名「Eccoilopus formosanus (Rendle) A. Camus」、英語名「Taiwan Oil Millet」はC4植物であり、乾燥や暑さ寒さ、病気、害虫、塩分、水害にも強く、光と窒素肥料の利用率も高いなど、さまざまな厳しい環境に適応し得る、植物界最強のサバイバーと言えた。「アブラススキは多年生植物で、北東アジアのあちこちで見かけます。竹井教授の記録によれば、降雪地帯でも発見され、よく育っていたとあります」アブラススキは食べられるが、穂をつけるとすぐ粒を落とすため収穫が難しく、しかも脱穀に手間がかかり粒も小さく、食用にされることはあまりないという。
「台湾の耕作限界地でよく見られるアブラススキはある日突然自然変異を起こし、粒が落ちず、株も直立して枝分かれが少なくなりました。こうして台湾固有種のタイワンアブラススキが誕生したのです」それに続く時代には、台湾島に暮らしていたオーストロネシア人が貢献したと刑禹依は考える。「彼らは粒の大きい元気そうなものを選んで植えました。先人の知恵はすばらしいです。3000年余りの間に食べるための人為的淘汰がなされたのです」
研究によればタイワンアブラススキの粒は、栄養のつまった胚の部分が体積の3分の1を占める。蛋白質や、亜鉛、マグネシウム、カルシウムなどのミネラルも含み、現代の主要穀物と比べても数倍の含有量を持つ。また、ほかの穀物には少なく、人体では作られない必須アミノ酸も含み、身体の発育や免疫機能強化を促進する。
3500~4000年前、台湾から外部へと大量の民族移動が起こった。「その際、家で最も重要なもの、例えば食糧のタネも運んだはずです」だが山間地に生えるタイワンアブラススキはそこに含まれなかった。「沿岸貿易が発展してもタイワンアブラススキは島を離れず、ついには台湾だけの『孤児作物』となりました。やがて原住民も食べなくなり、見かけなくなったのです」
ところが再発見されると、この作物は異常気象や人口増加による世界の食糧危機を救う「スーパーフード」になるかもしれないと、国や分野をまたいだ研究が行われるようになった。
また2019年末に新型コロナウィルス感染拡大が世界経済に衝撃を与え、食糧のサプライチェーンも寸断されると、各国は新たな食糧危機に直面した。続くポストコロナ時代に向けて、スーパーフードの遺伝子情報を解析し、予測不能な未来に備える必要が実感された。

栄養価が高く、油脂も豊富なタイワンアブラススキは、他の食材に加えて調理するのにふさわしい。徐子富は徳文集落と協力し、米や麺、石鹸や調味料に混ぜて使えるよう商品を多様化している。将来的にはグルテンフリーのスイーツも開発する予定だ。
ワラの山から探し当てる
だが「台湾の孤児作物からスーパーフードに変身するには、やっぱり『ご本尊』が必要でしょう」と、30年近く刑禹依のそばにいる研究助手の徐子富は冗談めかす。「誰も見たことも聞いたこともなくては価値があるとは言えません」
刑禹依は帰国後、長年のフィールドワークで原住民集落に詳しい徐子富に対し、優れた陸稲を探す「ついでに」、この「孤児」がないかも探るよう言いつけた。「見つかったらもうけもの、見つからなくても何も知らないよりはましです」やがて宝を探り当てることになろうとは露知らず、徐子富はただ植物学者の使命感で取り組んだ。
英国キュー王立植物園の記録では、アイルランドの医師オーガスティン‧ヘンリーが1892~1895年に台湾屏東の万金聖母聖殿の近くで採集し、イギリスに持ち帰ったとある。「科学的な分類命名の利点は、植物の特性を大まかに把握できることです。例えばEccoilopusはイネ科のアブラスズキ属だとわかります。見たことのない植物を探すには、すでに得た基本資料から、その外見を推測します」と刑禹依は説明する。
任務を受けた徐子富は「まずダメもとで台湾大学植物標本館に行ってみたら、本当にあったのです」と言う。だが、ひからびた標本では手掛かりは乏しい。見かけはそこらに生えているススキと変わらなかった。「幸い標本には穂の部分があり、大切な情報でした。百年前には原住民の食糧だったのですから、外見が似ていて食べられるものを村で探せばよいと見当をつけました」
だが二人は知らなかった。重要な手掛かりの「食べられるもの」を知る原住民はもはや少なく、まして食べたことがある、食べ方を知っている人はさらに少ないことを。あと数年遅かったらススキだらけの台湾で、わずかに細部の異なるこの植物を見つけるのはほぼ不可能だった。
6株のタイワンアブラススキを見つけた2011年の晩夏のあの日を、徐子富はいつまでも昨日のことのように思い出すだろう。「屏東の徳文集落へ行ったのは、乾燥耐性研究用に、ルカイ族のヴヴ(原住民語。お年寄りへの敬称)から陸稲の種子をもらって帰るためでした」徳文集落は2009年の大型台風による土石流で数百戸が転出、わずかに残った人が細々と農作を続けていた。まさにその地で、地球の食糧の希望がひっそりと生き続けていたのだ。「ヴヴがまだ来ないので私はあちこち歩き回り、疲れてどこかの家の前に腰掛けました。するとそれが目に入ったのです」まるで運命のなせる業のように、それは突然現れた。
人口の激減した徳文集落での発見のチャンスは他所と比べるとわずかなものだったが、「似たのを見ると、必ず聞くようにしていました」と言う徐子富は思わず尋ねていた。「あれ、食べられますか」すると、その畑の主、武イナ(イナは原住民語。年上の女性への敬称)の答えは、原住民の食卓から数十年姿を消していた孤児作物「タイワンアブラススキ(原住民語は「ルマイ」)」を、ついによみがえらせるものだった。台湾固有種が世界の食糧の希望となった瞬間だった。

気候変動と地球規模の食糧不足に関心を注ぎ、食糧作物を専門に研究する邢禹依博士は、タイワンアブラススキを研究する過程は驚きと喜びに満ちていると語る。
タイワンアブラススキの謎
数千年かけて順応化されたものの、タイワンアブラススキを食べる人はいなくなっていた。だがなぜルカイ族のこの家では数株を栽培し続けていたのだろう。「武イナによれば、先祖からの言い伝えだそうです。これは伝統の作物だから、食べるかどうかにかかわらず、ほんのわずかな土地でもいいから植え続けるようにと」この話に徐子富は感動し、またそれを伝え聞いた刑禹依も、先人の知恵に感嘆せずにはおれなかった。種の保存を子孫のために考え、希望を残したのだ。
刑禹依チームの研究は最初の発見から8年近くに及んだ。「葉の縦の断面で、維管束の密接したC4植物の特徴が認められた時、言葉にならないほど嬉しかったです」続けてほかの4集落でも、粒や茎の色の異なるタイワンアブラススキが見つかった。「つまり、まだ変異を続けているのです」と刑禹依は言う。
先人による「改良」の成果は明らかだった。「糧食作物では、まず粒が落ちること、次に穂が垂れることを改善します。野生の稲の場合も同様です」水稲を研究してきた刑禹依はそれをよく知る。「直立穂型に改良すれば、穂が実っても粒が落ちず、栽培密度や量を増やせます」
タイワンアブラススキの粒は綿毛で覆われ、葉鞘も白い粉で覆われてススキのように見える。ススキもC4植物で台湾全土に繁殖しており、そのことも発見を難しくした。「春の脱穀では綿毛が空中を飛び交い、肌がかゆくなります。粒も小さくて満腹感が得にくく、やや硬いです」村の人が刑禹依に語ったところでは、これが食べられなくなったのは、交易の発達でおいしい米を買うのが容易になったからだろうという。
刑禹依たちはガスクロマトグラフィーによる分析で、葉鞘の白い粉が高純度の固体ワックスであり、穂の茎も液体ワックスで覆われていることを突き止めた。いずれも表皮細胞が分泌する油、つまり脂肪だ。「陸生植物の表面は、水分の蒸発を防ぐためワックスで覆われています。ただ、アブラススキのようにワックスを分泌し続ける植物は珍しく、砂漠の植物に見られるくらいです」野生種も固有種もワックスを分泌するアブラススキは干ばつや病虫害に耐え得る植物なのだ。
「タイワンアブラススキの改良の優先事項は、日長感度を変えて生長期間を制御し、年間の作付回数を増やすことです」刑禹依は改良に向け、枝豆専門の周国隆、牧草専門の陳嘉昇、原住民食糧専門の陳振義といった、さまざまなジャンルの専門家と協力を進めている。

持続可能な作物の候補
「改良には二方向あって、一つは人が食べるもので粒は大きく多いほど良く、もう一つは動物が食べるもので、粉にしておいしいものにします。改良で価値を高めます。例えばトウモロコシが茎もそのまま飼料になるので経済価値が高いように」農業科学技術研究に基づき、タイワンアブラススキのあらゆる利点を発掘して、改良に携わる専門家たちを励ましたいと考える。
「期待通り、タイワンアブラススキは株全体が食べられ、しかもグルテンフリーです」第1世代から第8世代へと改良を続け、食用種は粒が大きく多くなっただけでなく、空籾の比率も大幅に減った。しかも「飼料用は繊維が細かく、ウサギも喜んで食べています」と刑禹依は言う。
タイワンアブラススキは野性的で改良が難しい。「でも最も困難な部分は先人たちが解決してくれたので、元からある利点を加えれば、大きな潜在力があります」刑禹依の研究成果は世界の学術界の注目を浴び、資源や技術の提供も多い。「バイオ燃料も視野に入れています。タイワンアブラススキは油脂含有量も豊富ですから」
タイワンアブラススキは持続可能な農業に貢献できるだろうか。厳格な研究者として刑禹依は、しばらく考えた後にうなずいた。「そう思います。タイワンアブラススキを繰り返し同じ地で栽培しても土壌を損なわないと証明するのに、まだ3~5年は実験が必要です」ただ、と彼女は目をきらりと光らせた。「これは環境も気候も選ばず、育てやすい作物です。厳しい条件や痩せた土壌にも適応します」もし人類がこのワイルドなタイワンアブラススキとうまく協力できれば食糧危機に有効な解決策をもたらすことだろう。

徐子富が徳文集落から持ち帰った「初代」のタイワンアブラススキは中央研究院植物及微生物研究所の施設で栽培されている。当時は誰もこの台湾固有種が、食糧危機に新たな希望をもたらすなどとは考えてもいなかった。

収穫したタイワンアブラススキの保存は容易で、束にして倉庫に入れ、必要な時に食べる分だけ処理すればよい。

花を開き実をつける一面のタイワンアブラススキは確かに普通のススキと似ているが、品種によって実と穂の種類は少なくとも5種類あって色も異なり、それが美しい景色を成す。(徐子富提供)


タイワンアブラススキを食べようと思ったら、以前は伝統的な方法で脱穀して篩にかけなければならなかったが、穀粒上の綿毛が飛んで全身がかゆくなるので大変な作業だった。


美しい大自然に囲まれた屏東県三地門郷の徳文集落。徐子富が発見して研究室に持ち返った最初のタイワンアブラススキは、この集落で百年以上前から静かに生息していた。