有応公信仰における女性
無縁仏を祀る「有応公廟」を訪れると、男性の神像とともに女性の神像が祀られていることがあり、これらの女神は「有応媽」と呼ばれる。一部の地域には、専ら女性を祭る有応公廟があり、それらの多くは「姑娘廟」や「夫人廟」と呼ばれている。
昔の台湾社会では、女性は生まれた家ではなく、嫁ぎ先で子孫によって供養されるものとされてきた。そのため幼くして、あるいは未婚のまま亡くなった女性の位牌は生家に安置することができず、帰属先のない「厲鬼」とされてきたのである。女性がこのような扱いを受けてきた理由について民俗研究家の游淑珺さんは、「女性が本家の金運や運気の一部を持っていってしまうと考えられていたからです」と言う。
そこで、こうした問題を解決し、亡くなった女性が帰属する場所を持てるように、冥婚(生者と死者が結婚する風習)や、姑娘廟や尼寺で供養してもらうといった方法が採られるようになった。そうした中で、一部の死者は個別に供養される機会を得ることとなる。
新北市石碇にある姑娘廟にはこんな伝説がある。魏扁という名前の女性が未婚のまま早逝したが、彼女が地域の人の夢枕に立つというので、廟を建てて供養することになったというのである。後にこの廟は地域の未婚女性の魂を祀る場所となった。心優しい信者たちは化粧品やアクセサリーなどをお供えしており、一般の有応公廟とは異なる一面が見られ、伝統社会における女性の辛い境遇もうかがえる。
また、このような言い伝えがある。台南の孔子廟の節孝祠に祀られている陳守娘は、夫の死後に身を売られそうになり、それを拒んだために虐待されて亡くなった。彼女の死後、台南の各地で夜中に鳴き声が聞こえるとか、物売りのお金が紙銭(冥土で使うお金)に変わってしまったとか、役所の物品が動いたなどといった話が頻発した。幸い、観音菩薩が間に入り、陳守娘は貞節を証明し、雪辱を果たすことができたのである。
游淑珺さんは、この物語は「善悪ともに報いがある」ことを示しており、女性に対する当時の社会の厳しい基準を表わしているという。陳守娘が死後に多くの努力をして自ら無実を証明し、賛美されるまでになったように、「女性は男性より努力して、求めるものを自分で勝ち取っていかなければならないのです」と言う。
こうした歴史から考えると、台湾各地に姑娘廟や夫人廟があるのは、女性の置かれた境遇に対する憐憫の情からかもしれない。長年にわたって社会体系の中で弱い立場に置かれてきた女性は、信仰を通して男性の神と平等の地位を得る機会を得たのである。
時代が変わるにつれ、陳守娘の物語は怪談の色彩を濃くしていき、現代人の多くは恐ろしいイメージを抱いている。さらには「台南最強の女鬼(幽霊)散歩ガイド」といったものまで出て、毎年多くの旅行者がこうしたツアーに参加している。これに対して游淑珺さんは「人は幽霊を恐れるものですが、特に女の幽霊を怖がるのは男性でしょうか、それとも女性でしょうか」とユーモラスに問いかけるのである。
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日本の軍人・杉浦茂峰を祀る台南の飛虎将軍廟。最近では多くの日本人観光客が訪れるスポットとなっている。
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雲林県口湖郷の埔南村、樹齢百年のプルメリアの木の下に、オランダ人を祀る「荷蘭公廟」がある。この木は、この土地の開墾に来たオランダ人が植えたものだと言われており、後の人々が逝去したオランダ人を「荷蘭公」として供養するようになった。神像は西洋の服を着ており異国情緒を感じさせる。(荘坤儒撮影)
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有応公は長年にわたって都市の発展を見守ってきたが、それと同時に都市計画などの要因で伝統と開発の板挟みになっていると語る游淑珺さん。(荘坤儒撮影)
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信仰の関係で線香を手に出来ない人は、合掌するだけでも有応公に誠意を伝えることができる。
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新北市石碇区を流れる永定渓の近くにある姑娘廟。ここに祀られる魏扁仙姑は生前は厳格な人だったと伝わっているため、敬虔な心持で参拝しなければ願いに応えてはくれないとされている。
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未婚の女性ばかりをお祀りしている廟では、参拝者の多くが化粧品やアクセサリー、髪飾りなどをお供えする。廟の中には、これらの供物を参拝者に提供または販売しているところもあり、身につければ無病息災がかなうとされる。