花東縦谷を走る「山嵐号」。黄緑色の車体が周囲の景観に完全に溶け込んでいる。
日本の「鉄道デザインの父」と称えられる水戸岡鋭治氏は「列車に乗ること自体が旅の目的になる」と語っている。近年は台湾でも数々の観光列車が誕生し、洗練されたデザインの内装、おいしい料理、行き届いたプロのサービス、周到な旅行プランなどが提供され、列車は単なる移動手段ではなく、観光列車に乗ること自体が旅の風景になっている。
青空の下、列車が花東縦谷を走っていく。温かみのある黄緑色の車体は目を引くが、周囲の景色に違和感なく溶け込んでいる。これは今年(2025年)4月に運行を開始した台湾鉄路公司(台鉄/TR)の観光列車、花蓮と池上の間をつなぐ「山嵐号」である。

「山嵐号」の乗務員は「管家(執事)」と呼ばれ、プラットホームで乗客を出迎えてくれる。
山と海の饗宴
「山嵐号」に乗ると、車内には落ち着いた緑色の内装が施され、木の香りが漂い、森の中にいるような心地よさを感じる。窓の外には山々が連なり、水田が広がっている。乗客に台湾東部の花蓮と台東の自然景観を満喫してもらう観光列車としては、窓は大きいほど良い。しかし山嵐号は通勤列車EMU500を改装したものなので、窓を大きくするには限界があった。台湾鉄路公司営業処観旅科の葉宇倩·科長によると、列車の改装には国際的なルールがある。安全性を最重要視しなければならず、窓を大きくし過ぎると車体の構造が不安定になるそうだ。
そこで台湾鉄路とデザインチームは討論を重ね、最終的に一つの解決策を見出した。
EMU500は通勤列車として設計されているため、乗り降りに便利なように一車両に3つのドアが開けられている。しかし、観光列車では頻繁な乗り降りはないため、真ん中のドアを取外し、床までの大きな窓に改装した。このような改装は構造に影響を及ぼさず、乗客にとっても魅力的な見どころとなる。
山嵐号が出発してしばらくすると食事が運ばれてきた。木箱に入った料理は彩りも香りも良く、食欲がわいてくる。台湾鉄路とともに山嵐号を運営する旅行会社·雄獅旅遊(ライオントラベル)の王岳聡·総経理によると、山嵐号で提供する食事はギフトボックスをコンセプトに、それぞれテーマを持って作られている。例えば太陽をイメージし、カラスミを使った「烏金·日暮」、花蓮や台東の海の幸を使った「海跳浪」、この地域で採れるレッドキヌア、カボチャ、タロイモとともに炊いたご飯、また「東豊祭」は東部の原住民集落の特色を出した米食の「阿粨」だ。

「山嵐号」の先頭車には、立体の標準書体でヘッドマークが入っている。温かみのある色と相まって可愛らしい。(台湾鉄路公司提供)
美学で生まれ変わった列車
昨今は台湾の観光列車が大いに注目されているが、それまでは困難な時代もあった。
1991年に南廻鉄路が完成し、これによってついに鉄道が台湾をぐるりと一周するようになった。当時の李登輝‧総統は、台湾一周旅行を打ち出し、観光列車の誕生が期待された。しかし、当時は観光列車と言っても、せいぜい外装に手を加え、座席を豪華にし、団体貸切ができるという程度で、多くの人を魅了できるものではなかったと葉宇倩さんは言う。
葉宇倩さんによると、台湾鉄路は昔から実用性を重んじ、美しさを考慮する習慣がなかったのである。そうした中、2018年に台湾鉄路は古い莒光号の車内を改装し、観光列車を打ち出そうとしたが、多くの人から「美学の災難」と批判されてしまった。そこで台湾鉄路では、デザイン、建築、マーケティング、鉄道文化など各分野の専門家を招き、2019年に「台鉄美学デザイン諮問審議小委員会」(以下、美学小委員会)を発足させ、観光列車や駅舎、ラウンジなどの設計を見直すことにした。これによって台湾鉄路の美意識が大きく変わったのである。
美学小委員会の最初の任務は、古い列車の「プチ整形」だった。
プチ整形とは言っても、美学小委員会と台湾鉄路は全力で取り組み、車両の外観、先頭車のデザイン、内装のカーテンやカーペットなど、細部まで工夫を凝らした。そして高級住宅の内装を手掛ける職人を招くなどして完成したのが「嗚日号」である。

嗚日号:観光列車の未来へと走る
嗚日号は、高級感のある黒光りする車体に、莒光号と自強号のオレンジのラインが入っており、また、先頭車にはディーゼルカー時代のV字マークと、特製の金属製のヘッドマークがついている。内装にはタイワンスギや花蓮の大理石、原住民族のトーテムなどが取り入れられ、高いデザイン性が感じられるものとなった。「嗚日号と名付けたのは『一嗚驚人』、つまり人々をあっと驚かせるという意味を込めたからで、明日への展望を示すものでもあります」と葉宇倩さんは言う。こうして嗚日号は人々の期待に応え、2020年には日本のグッドデザイン賞にも輝いた。
嗚日号のハード面が注目されるようになると、運営を任されていたライオントラベルは、さらに鉄道の旅に新たなイメージをもたらした。台湾鉄路に美の革命を起こした嗚日号は、その営業開始時点で新型コロナウイルスの感染拡大に遭った。コロナ禍で海外旅行が難しくなったため、各国は国内旅行に力を注ぎ始めたのである。これまで台湾の多くの観光列車の計画や設計に携わってきた王岳聡さんは、嗚日号は天の時と地の利、人の和に恵まれ、それまでになかった観光列車としての生命力を持つことになったと言う。
「私たちは、嗚日号を豪華客船の列車版ととらえ、贅沢な旅をテーマとしました」と王岳聡さんは言う。「贅沢な旅」をテーマとしたからには嗚日号はそれだけの価値のあるサービスを提供しなければならない。ちょうどコロナ禍のために、海外に駐在していた同社の社員が続々と帰国してきた。帰国中の彼らが台湾の各地で新たな事業パートナーを発掘し、外国人観光客にも対応できるようサービス向上にも協力したのである。
嗚日号は専門のプラットホームとラウンジを持ち、黒とオレンジ色の制服を着たサービススタッフが付き添うほか、パンフレットや記念品、シャトルバスなども同じ色にデザインした。旅行プランでは現地のパートナーを厳選している。沿線のブヌン族の集落を訪ね、花東縦谷を270度を見渡せる高台で原住民スタイルの高級ディナーを楽しみ、また卑南遺跡の近くにある閩南式と日本式を融合した建物でお茶を味わう。「これらの業者は、現地の特色を生かした事業に取り組んでいて、旅行者は嗚日号を通して新鮮な体験ができるのです」と王岳聡さんは言う。
その後に打ち出した嗚日号2.0――「嗚日厨房」では、ミシュラン三つ星レストランの料理を車内で味わえる。花が飾られたテーブル、グラスにはワインが注がれ、ゆっくりと流れる車窓の風景を眺めながら、現地の風土を取り入れた贅沢なコース料理を楽しむ。嗚日厨房は日本のグッドデザイン賞やドイツのiFデザイン賞、アメリカのIDEA賞インテリアデザイン賞に輝き、台湾の鉄道観光に新たな世界を開いた。

「山嵐号」では花蓮‧台東の食材を使った料理が提供され、見ただけで食欲がわいてくる。(台湾鉄路公司提供)
年代物の列車が復活
嗚日号や嗚日厨房は高級感を基調としているが、もう一つの観光列車、南廻鉄路を走る「藍皮解憂号」は文化遺産をテーマとしており、台湾で唯一の年代物の窓の開く列車である。
王岳聡さんによると、企画の当初、この観光列車は社内ではあまり期待されておらず、「やめた方がいいのではないか」という声さえあったという。豪華で華やかな嗚日号に比べると、藍皮解憂号は気温の高い南台湾を走るにも関わらず、エアコンもなく、時代遅れのように感じられたからだ。しかし、王岳聡さんはそこに大きな可能性を見出していた。窓が開けられるということは、海の景色や風、においなどを直接肌で感じることができるからだ。「この列車は、山を越え、二つの海が見え、三つの島が見えるのです」と言う。中央山脈を越え、台湾海峡と太平洋、それに小琉球と緑島、蘭嶼という三つの島を望むことができるのである。「運が良ければ、さらに9層になったブルーのグラデーションを見ることができるのです」と言う。これが乗客の心を晴らし、すがすがしい気持ちにしてくれるのである。
その良さを知ってもらうために、藍皮解憂号には車両ごとに解説員が乗っていて、天井の旧式扇風機や照明、沿線の物語などを説明してくれる。「台湾で最も美しい駅」と呼ばれる東海岸の多良駅を通過する時は、列車はわざとスピードを落としてくれる。目的地の台東に到着後、帰路は「夕日列車」へと変わり、太平洋に沈む夕日を眺めながら枋寮へと返る。
藍皮解憂号では、沿線の停車駅でもさまざまな体験ができる。金崙駅では原住民族集落を訪ね、パイワン族の伝統的な意匠を取り入れた教会を見学し、集落長老の案内で原住民族の暮らしに触れることができる。これは旅行者にとってうれしいことであるだけでなく、地域経済の振興にも一役買っている。ガイドをすることで収入が得られるようになり、若者たちも故郷に帰ってくるようになったのである。
藍皮解憂号の一日の乗客数は以前は20人に満たなかったが、今では年間のべ7万人がこの観光列車を利用しており、国内外の旅行者に好評を博している。手ごろな価格の乗車券には、弁当とフルーツ、記念品とウェルカムドリンクもついていて、台湾の観光列車の誠意と温もりが感じられる。藍皮解憂号はデメリットをメリットに変え、逆転勝利を収めたと言えるだろう。

台湾鉄路公司のスタッフは、観光列車の話になると自信に満ちた表情になる。写真は、台湾鉄路営業処の葉宇倩科長(左)と機務処の張崇光科長(右)。(荘坤儒撮影)
どこも美しい、台湾というギフト
ここ数年、台湾の観光列車のサービスはますます充実し、外国人観光客も観光列車を目的にわざわざ訪れるようになった。葉宇倩さんは、海風号に乗るために台湾を訪れたオーストラリア人と会ったことがあり、また日本の鉄道会社の人々が台湾の観光列車を視察しに来ることも多いという。王岳聡さんは、台湾の観光列車では、「乗客」ではなく「旅客」にサービスをするという精神で運営していると語る。「私たちは旅客の立場から考えて、観光列車のサービスを改善し調整しています」と言う。
例えば、日本の観光列車の停車駅は土産品を購入する場所であることが多いが、台湾では現地の文化や歴史のガイドに重きを置いている。かつて台鉄局長を務め、美学小委員会の幹事も務めた張正源さんは、「台湾鉄路の241の駅の一つひとつに物語がある。それぞれが一粒の真珠であり、台湾鉄路はそれらをつないだ真珠のネックレスのようなものだ」と語った。観光列車は、これらの小さな駅それぞれの美とユニークな魅力を見せてくれるのである。
例えば「山嵐号」の姉妹列車である「海風号」はティファニーブルーの車体で知られ、女性が好むスイーツが車内で楽しめる観光列車だ。ジュエリーボックスのような器で軽食やスイーツが提供され、ミシュラン一つ星のアイスクリームも味わえる。海風号が止まる駅も興味深い。運行ルートは季節によって変わる。夏は台北の南港駅から宜蘭までの路線で、車窓からは太平洋と亀山島の風景が楽しめ、猴硐駅では鉱業の歴史に触れられる。頭城駅では地元の青年がガイドになり、宜蘭県で最初に発展したこの町の物語を語ってくれる。大里駅ではホームから徒歩2分の海辺へ行き、太平洋と亀山島を一望にできる。
冬の海風号は新竹から台中までを走る。このルートでは、有名な媽祖廟‧鎮瀾宮がある大甲駅や、あまり知られていない後龍駅に停まり、鎮瀾宮周辺の民俗文化を見て屋台街などを巡る。また、鉄道海線の五宝の一つとされる新埔駅では築百年の古い駅舎を観賞し、海に沈む夕日を眺めることもできる。
山も海も美しく、さらに多様な文化が融合している台湾では、観光列車で各地を巡ることで、日常の場が非日常に変わる。台湾のユニークな魅力を打ち出す観光列車に乗り、新しい台湾を発見しようではないか。

台湾の観光列車は美学を取り入れ、新しい姿に生まれ変わった。写真は「山嵐号」の車内。落ち着いた深い緑色が山林をイメージさせる。

美学を取り入れた台湾鉄路がデザインした「海風号」のマーク。漢字をそのままブランドロゴに採用し、台湾の観光列車のイメージを強く打ち出している。(台湾鉄路公司提供)

「嗚日号」の金属のヘッドマーク。ジーゼルカー時代のV字ラインを取り入れ、美学復興を謳う美しいデザインとなっている。

「嗚日厨房」は動くグルメ列車で、五つ星ホテルのフルコースと香り高いコーヒーが味わえる。

「嗚日号」の座席のグレーとブルーは大理石と海をイメージしたもので、カーテンには原住民芸術家のデザインが取り入れられている。

贅沢な旅を提供する「嗚日号」では、これまでとひと味違う台湾が体験できる。
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「藍皮解憂号」は台湾で唯一の窓を開けられる年代物の列車で、大海原をそのまま感じることができる。

「藍皮解憂号」では次々と斬新な旅行プランを打ち出しており、毎回新しい体験ができる。(台湾鉄路公司提供)

雄獅旅遊(ライオントラベル)の王岳聡‧総経理は、台湾の観光列車は海外のそれとは違う特色と生命力を持つに至ったと語る。(林格立撮影)

「海風号」では、ジュエリーボックスをテーマに沿線の名店が作った美しいスイーツを提供している。

(台湾鉄路公司提供)

夏にティファニーブルーの「海風号」に乗れば、太平洋と亀山島を一望できる。

小さな町の物語をつなぐ台湾の観光列車は、台湾のユニークな魅了を世界に発信している。(台湾鉄路公司提供)
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台湾の美しい景観と物語に触れられる観光列車。これに乗るためにわざわざ訪れる価値がある。(台湾鉄路公司提供)