これらすべて、それは9月21日未明の大地震、1時47分から始まったのである。
「台湾大地震は台湾で最も美しい山河を崩壊させ、中部の人々はこの百年で最大の災害の犠牲となりました。人を助けるとか、何か与えるとかはおこがましいのですが、何か被災者にお返しできないか、あるべき姿に戻せないかと思い、『地震被災地の被災住宅復興服務団』を設立しました」(『みんな一つの家族』より)
地震から1年後、監察委員王清峰弁護士を団長とし、わずか3名の正式スタッフを擁するに過ぎない小さな服務団には、建築、医学、法律など各界から数十人の人材が集まり、実業界からの協力も取り付けて、被災地の各市町村を歩き回った。和平郷、埔里、国姓、信義郷、仁愛郷、中寮などの各地に滞在し、過酷な運命の犠牲となった家庭のために、10から14坪の家を建ててきた。9月末までに、総計213戸の新しい家が完成する見込みである。
政府を始めとし、大規模な慈善団体や大企業が地震からの様々な復興計画を実施しているが、小さな組織である地震被災地の被災住宅復興服務団は、中でも異彩を放っていると言えよう。その手法はあくまで現実的、徹底的に方法や効率を考え、粘り強く、専門家としての能力を発揮していく。特に団長の王清峰さんは、弁護士としての役割を果している。
王清峰さんの事務所には、被災住宅復興服務団の帳簿が併せて3冊具えられている。それには申請者の氏名、年齢、家庭の状況、住所の資料、必要な住宅及び周辺設備、建設前後の写真などが事細かに書かれてきちんと整理され、一目瞭然となっている。「自力では住宅を建設できない人を助けることにしました。一人住まいの老人、身体障害者、低収入世帯などが主です。こういった条件を満たしていれば、私たちが手助けします」と王弁護士は話す。
「地震被災地の被災住宅復興服務団」は、当初から非常に現実的に動いていた。
地震の後、その被害の大きさに驚いた全国の人々は、総動員とも言える救援活動を始めた。立法委員の劉光華氏もそのための救援チームを結成し、王清峰氏にコーディネーター役を依頼した。土木建築技術者、構造技術者、建築家などを集めて、被災地で建物の損害の程度を調査し、まだ居住できるのか、いかに修理すべきか、その費用などを確認するためである。また地震後の混乱に紛れて被災者が不当に高い費用を業者から要求されるのを防ぐと共に、住宅の損害程度を鑑定し、その建設に手抜き工事や人為的破壊が無かったかも調べて、家の持ち主に今後とるべき手段をアドバイスもした。法律に訴えて、その住宅を建設した業者に賠償責任を求められるかなどの相談にも応じたのである。
「埔里の町の庁舎、警察、学校など公共建築の多くが倒壊しました。不思議なことです。公共建築自身が安全の責任を負い、強固に建てられていなければならないはずなのに」と、王弁護士は言う。当初、政府は倒壊した建物の撤去に追われ、その建築自体に問題があったという証拠が失われてしまう恐れがあった。チームとしてはまず建築物倒壊の原因を調べ、その責任の帰属を明らかにしてから再建を開始すべきと考えたのである。
こういった鑑定作業が一段落すると、服務団では修理指導チームを組織し、当面居住の安全には問題ないが修理の必要な家屋につき、自力では修理が難しいと言う家庭に向けて、無料で柱や梁の補強工事、壁の亀裂の修理、配線や水道管修理などのサービスを始めた。
この鑑定と修理の過程を通じて、服務団は被災地に多くの貧しい家庭、病人、老人の家庭があることを発見した。震災で若い働き手を失った家族、或いは元々一人暮らしの老人、さらに貧しい先住民の山地集落の低収入世帯などである。政府の補助金は全壊でも20万台湾ドルに過ぎず、これでは家を建てるのは無理である。それに一人住まいで病弱な老人では、たとえ資金はあっても一人で住宅再建などは無理な話であろう。彼らは狭いテントの中に何人も詰め込まれ、或いは親切な人が貸してくれたガレージに孫と祖父とが4人で住んでいるという事例もあった。こういった悲惨な状況を見るにつけ、服務団は第2段階の作業として、実際に必要な人のために住宅を建設することにしたのだという。
しかし、本当に必要な人はどこにいるのだろうか。被災地は広いのである。「そんなに難しいことではありません。被災地は2県に跨っていても、市町村がいくつかあるか数えられるほどですから」と王弁護士は笑う。
チームは被災地を回り説明会を開いた。口コミや地方のテレビ、ラジオ放送で情報が広がり、町村長も含む多くの人が自発的に調査を申し込んできた。申込みがあると服務団は調査に赴き、必要が認められ、建設用地が確保できていれば、ただちに計画を作成する。共同の集団施工方式を採用し、家族の人数により坪数の異なる住宅が建設される。原則として、一戸当り坪1万台湾ドルの費用負担があるが、それ以外は服務団が負担する。全く資金の無い人には、服務団が全額を負担し、また最低必要とされる家具などが、必要に応じて支給される。
一番感動的だったのは、信義郷豊丘村と仁愛郷万豊村であろう。服務団は住宅建設のみならず、貯水池、衛生設備、河川の護岸の蛇籠工事、潅漑水路なども建設し、人助け精神を発揮したのである。
この1年、王清峰弁護士と服務団のメンバーは被災地をすべて歩き回った。地図を開くと、王弁護士は一帯の道路をすべて諳んじている。「これが14号線で、こちらが3号、16号」と、どこをどう通ったか挙げて、「21号線は崖崩れがひどくて、雨が降ると落石があります。建材を運ぶのに1週間待たされたことがあります」などと被害の程度を話す。
7月末、信義郷の43戸が竣工し、第2段階の建設工事213戸も、もうすぐ全部完成する。
これだけの工事である。服務団のメンバーの努力もさる事ながら、最大の資金源は赤十字からきたものであった。赤十字の会長である陳長文弁護士は、王弁護士の説明を聞き、服務団の工事を実地に見学してから、必要な経費3700万台湾ドルの支援を約束してくれたのである。これで服務団には資金的裏付けができた。
「感謝したいのは、赤十字の陳長文弁護士ばかりではありません。天帝教会は建材の運送を行い、この事務所を長期にわたって使わせてくれています。慈済功徳会は埔里の先住民地域で随分助けてくれました」と王弁護士は話す。この社会はこれほど暖かい。服務団は台湾電機電子工業組合の寄付により、被災地の小学校にパンフレット『あなたも一人ではないよ』を配布した。その中で、誰もが互いに関わり合い、繋がりあっているのだと告げている。
第2段階の工事が終了した今、服務団はこれからも業務を継続していくのだろうか。その計画はどうなのか。
「マスコミに報道され、多くの人に知られるようになり、これからもより多くの人が助けを求めてくるでしょう。私たちは援助の必要な人に手を差し伸べます」と王弁護士は力強い。「次は交通や雇用といった問題です」と、再建が完了した地域、例えば万豊村で、服務団は地域バスを走らせる。車両や運転手の1年分の給料、ガソリン代などは企業の寄付である。ここからも、この団の現実的な対処方法が見て取れるだろう。
「これも主のご意志です」と、仏教信者である王清峰弁護士は、豊丘村での住宅落成式でクリスチャンの多い先住民である村民に語りかける。主のご意志には、確かに八方に及ぶ慈悲の念があるのだろう。地震は住宅を破壊したが、無数の人の同情と行動を呼び起こしもした。
「何か人々にお返しすることはできないでしょうか」と、服務団では住宅の提供から始めたが、さらに私たちも一緒になってあるべき姿に戻していくべきではないのだろうか。