川と海が育んだ知られざる村
地域の歴史的な奥行きをより深く探りたいなら、龍門訪問はその期待を裏切らないだろう。
「龍門って聞いたことありますか」。曙旅文化スタジオの呉函恩さんは、現地を巡る散策ツアーを引率するたび、この問いで話の口火を切る。映画『龍門客棧(残酷ドラゴン 血斗竜門の宿)』を思い浮かべる人もいれば、餃子店を連想する人もいるが、東北角に位置するこの村が、実は深い地理的‧文化的背景を持つことを知る人は少ない。
龍門は、「通り過ぎられがち」な場所だ。浜海公路が開通して以降、多くの車は村の外側を通ってしまい、実際に村の中へ足を踏み入れる人は少ない。呉さんによれば、龍門は双渓河と太平洋に挟まれ、砂丘の上にある村で、かつては河川交通が盛んで、貢寮における重要な交通の要所だった。双渓河の河口に接していたため、貨物の積み替え拠点として栄え、基隆や淡水とつながり、淡蘭古道と宜蘭を結ぶ中継地でもあった。かつての貢寮では三番目に栄えた集落だった。
村の中に足を踏み入れると、龍門は「河と海に寄り添って発展してきた集落」だということが伝わってくる。昔の住民は漁業で生計を立て、浜辺で引き網漁をし、冬になると双渓河の河口でウナギの稚魚を捕っていた。地域特有の「牽罟飯」は、出漁時に持って行く弁当だ。シイタケ、ひき肉、豚のラードかすを炒めてから生米と煮込み、オオバギやオオハマボウの葉で包み、河口に生えるシチトウイで縛るという、土地の素材を生かした味わいがある。
村の古井戸のそばには見事な石造りの三合院「呉家大宅」が佇んでいる。呉さんの説明によると、2~3メートルもある基礎石には、昔の船のバラスト(重し石)が使われている。これは裕福な家が海運貿易で築いた経済力を物語るもので、龍門開拓の歴史の痕跡でもある。また、村の路地に残っている「砂礔厝」という独特な建物は、双渓河の堆積砂岩を使って築かれたもので、風に強く防水性に優れている。地域ならではの建築様式だ。
漁撈文化、漢民族による開拓、河川交通の栄枯盛衰、原住民と漢民族の関係性、龍門の浜辺に広がる多様な海浜植物――それらすべてが静かなこの集落に幾重にも折り重なって存在している。

昭恵廟は龍門地域の信仰の中心で、開漳聖王を祀っており、地元では聖王宮と呼ばれている。