旧正月の行事は元宵節で終りを迎える。賑やかな爆竹の音が次第に静かになる頃、台東では元宵の炸寒単爺(寒単爺に扮した人に爆竹を浴びせる)の行事が始まる。
毎年、地方自治体のほかに、商家なども寒単爺を招き、店の前で爆竹を浴びせ、新年の福を願う。
今年は政府の観光政策に合せて台東県が主催する炸寒単爺でも爆竹を増やし、商家でも数多く行われ、観光客も寒単爺と共に爆竹で迎えられて大賑わいとなった。
台東の炸寒単の由来は諸説ある。道教では、寒単財神は殷の時代の武官趙公明で、理財に長けていたので、誰もが武財神と呼んで崇めたそうである。

寒単役のベテランは「輿の上では音も聞こえず周囲も見えないので孤独だが、気力と寒単爺への信仰に支えられてやっている」と語る。
度胸の据った寒単爺
寒単爺は寒がりのため、爆竹で寒さを追い払うという説もある。一般には「爆竹を鳴らす音が大きいほど、その年の財運も上向く」と信じられている。寒単爺の行くところ、火花が飛び散り爆竹の音が響きわたる。
赤い頭巾、額には寒単爺と書かれた黄色い鉢巻、ゴーグルで眼を守り、天師印を首に掛ける。耳には耳栓、湿らした黄色いタオルで口を覆い、上半身は裸である。赤い短パンを履き、右手にはガジュマルの枝を持ち、威風堂々と籐の輿の上に立つ。これが肉身寒単爺の出立ちである。
4人の駕篭かきが寒単爺を担ぎ上げ、実に立派なものであるが、次々に爆竹が鳴り始め、寒単爺に投げられると、体の痛みも忘れてしまう。一番辛いのは、呼吸も出来なくなるほどの煙で、湿ったタオルで口や鼻をふさいで防ぐ。
交代で上に立つ寒単爺たち、ここで頼りになるのは意志の力で、長い時間立っていればいるだけ度胸と勇猛さを示す。
寒単爺役のベテランは毎回爆竹の渦の中にいる感覚を、孤独だという。音は聞こえず回りも見えず、寒単爺の信仰に支えられて立ち続ける。「3分でも10分でも痛いのは同じ、それなら少しでも長く我慢して、場を持たせた方がいい」と言う。

寒単役のベテランは「輿の上では音も聞こえず周囲も見えないので孤独だが、気力と寒単爺への信仰に支えられてやっている」と語る。
爆竹に耐える贖罪
肉身寒単爺は、ほとんどが寒単爺を祀る台東玄武堂が招いた好漢たちである。爆竹もすべて玄武堂が提供しており、企業経営の方法で伝統行事を今に伝えている。
玄武堂の堂主李建昌さんによると、昔は爆竹を商家が準備したのだが、投げる側が経験不足の上、爆竹の規格も不統一で事故が起きやすかった。それに商売繁盛を願う商家は、一遍に数十万の爆竹を店の傍に積み上げて危険だというので、現在では玄武堂が統一して管理している。また経験豊富な投げ手を用意して、爆竹を鳴らす。
爆竹に火がついた瞬間、風向きを考えて安全に投げるには経験が必要だ。また観光ブームの今日のこと、炸寒単の行事で台東に人を呼び寄せるにはどうしたらいいのか、どう投げれば爆竹が空中で破裂して効果を上げられるのかなど、投げ手に要求される目標は容易ではない。
これまでは輿の上の寒単爺の多くが倶梨伽羅紋々のお兄さんたちが多かったので、寒単爺は「流氓神(やくざの神)」などと呼ばれていた。彼らは歯を食いしばり痛みを堪え、そこには罪業を償う意味合いも濃かった。
観光化されてからも、炸寒単は台東の重要な伝統行事だが、媽祖の巡行や王船焼きなどと異なり、神明の加護や神威発揚などを目的とするものではなく、勇気を際立たせるだけである。今日では、さまざまな職業の人が祈願や度胸試しなどの理由で寒単役を買って出る。年齢制限はなく、李建昌さんによると、玄武堂の肉身寒単は15歳から50歳までいると言う。

爆竹を鳴らした後の路面は爆竹の紙くずで厚く覆われるが、まだ終わっていない。少し休んだら次の寒単爺をお迎えするのである。
爆竹の音に商売繁盛
台東市光明路にある創業30年の金葉銀楼は、ここ何年か毎年玄武堂の寒単爺を招き、店先で爆竹を投げる。今年は60万元の爆竹を用意し、商売繁盛を願って元宵節の午後3時に火をつけた。
正午、光明路の商家は店先にお供えの卓を持出して生花や蝋燭を並べる。金葉銀楼の店員も笑顔で午後の賑わいを待ち望む。時間が迫ってくると、警察が通りを封鎖し、見物客の波で、道路は蟻の這い出る隙もない。頭を上げてみると、民家の屋上にも見物客が鈴なり、大きな木に登って見物しようという人もいる。
玄武堂の寒単爺が銅鑼太鼓の派手な行列と共にやってくると、興奮は最高潮に達する。刻限となると、商家は祭礼の儀式を執り行い、度胸づけに肉身寒単爺は強壮ドリンクを飲み干す。体に玄武堂特製の消毒薬を吹きかけ、輿に登る。がっしりした体つきの4人がこれを担ぎ、先導が誘導する。そうこうするうち爆竹が四方八方から飛んできて、鼻を突く硝煙の匂いと煙が立ち込める。寒単爺の姿も爆竹の音と煙に包まれ、遠くからは手に持つガジュマルの枝の動きしか見えない。
ガジュマルの葉には魔除けの力があるとされるが、ここでの大事な役割は、寒単爺が爆竹から眼を守り、煙を払って呼吸を確保するところである。どうしても耐えられなくなった時、話の出来ない寒単爺はガジュマルの枝を頭の上で振って合図し、別の寒単爺が登場する。こうして交代しながら、爆竹を使い切るまで続ける。

以前は商家が用意する爆竹の種類はさまざまで、事故が起きることもあったため、今は玄武堂が一括管理し「排炮」が使われている。
上では堂々、下では涙
寒単爺が下りてくると、商家はお捻りを包むが、金葉銀楼では自前の純金のメダルを贈る。
よく見ると、下りてきた寒単爺は体も手も震えており、しかも上半身裸に爆竹を浴び、赤くなったり血が滲んでいて痛そうである。
身体髪膚はこれを父母に受くというが、10代の少年が怖いもの知らずで寒単爺に扮し、慌てた両親が来てみると、息子が無情の爆竹に包まれている。父親はうなだれて涙ぐみ、母親は泣き叫ぶ。この行事で、一番辛い所である。
今年は爆竹の量が多い上、20代の寒単爺が多く、我慢しきれないらしい。「去年は一人でやった分が今年は三人です」と金葉銀楼の店員は話す。
今年、金葉銀楼が呼んだ寒単爺は何周もせず下りてしまい、職人さんが金のメダルを打つのが間に合わなかったという。
結局、金葉銀楼は11枚のメダルを贈った。最後に登場した華さんは経験もあり、もう代りがいないので最後まで耐え抜いた。きっと睨んで輿に立ち、周囲を睥睨し、どれだけ爆竹を投げられてもガジュマルの枝を使わず、満場の喝采を受けた。
下りてくると、玄武堂の係が駆け寄って消毒薬を振りかけ、親指を立てて褒め称えた。
金のメダルを受けて腰を下ろすと、恋人が何事もなかったようにタバコに火をつけて手渡す。最初に輿に立った時は見ていられなくて大泣きしたが、今では慣れてしまったという。
なぜガジュマルの枝を使わないのか聞くと、ビンロウで赤くなった口を開けて「意地だよ。その方が決まるからね」と言いながら、真面目な顔に戻り「逃げるぐらいなら初めからやらない。やるなら意気だよ」ときっぱり言う。なるほど、その道の者である。これなら、つれて来た兄さんの顔も立つというものである。

以前は商家が用意する爆竹の種類はさまざまで、事故が起きることもあったため、今は玄武堂が一括管理し「排炮」が使われている。
ナルワン・ホテルの挑戦
今年は例年より規模も大きく、商家の意気込みが見て取れる。中でも初めて参加のナルワン・ホテルは目立った。台東地域唯一のファイブスター・ホテルで設立5年、東部の先住民文化と南洋のリゾート風が売り物である。
今回ナルワン・ホテルは、30万元の爆竹に挑戦する好漢を集められるかと、玄武堂に挑戦状を出す形をとった。当日、数十名の投げ手が用意されて、寒単爺を迎えた。ナルワン・ホテルでは特色ある炸寒単爺を、台東の観光ポイントにしようと考えたのである。
元宵節の当夜、台東の鯉魚山ふもとの南京広場でも炸寒単の行事が始まったが、これはお役所主宰である。今年の目玉は、台東市の頼坤成市長が寒単爺に扮したことで、市長が裸で爆竹の洗礼を受けるのは始めてだった。
しかし、投げ手の方は市長に遠慮し、投げられる爆竹は音ばかりと、ショーの楽しみとなった。下りてきた市長はあえぎながら、月の上のようだった、上から投げるなと叫んだけど、聞こえていないようだったなどと話す。
こんな言葉が伝わると、見物客からは笑い声が上った。頼市長は今後の台東市長は毎年必ず寒単爺に扮することにしようと、ご機嫌だったようである。

寒単役が最も恐れるのは、呼吸ができないほどの煙だ。煙を避けるために湿らせたタオルを口と鼻に巻く。
かつては取締で禁止
炸寒単爺は今日まで伝えられてきたが、廃止の危機に見舞われたこともあった。地方史を研究する王正福氏によると、昔の寒単爺はその筋の人ばかりで、普段から徒党を組んで地域に迷惑を掛けていた。誰もが賑やかな行事は好きなものの、決して一般の行事として認められていたわけではない。それに費用も普通の商家に負担できるものではなく、風俗関係の店が多かったという。
1983年、暴力取締のために、台東警察局長が禁止を発令し、違反した場合には暴力団取締条例により検挙するとしたので、一斉に取りやめとなった。さらに1985年には暴力一斉取締政策が実施され、寒単爺に扮するお兄さんたちは姿を消してしまった。その後、1989年になって県会議員が奔走し、またその筋のお兄さんたちも揉め事を起こさないと確約したので、ようやく行事が復活することになったのである。
今では、台東の炸寒単と言えば台北県平渓の天燈と南部の鹽水蜂炮と並んで有名で、どれも元宵節の気分を盛り上げる民俗行事である。やや血腥く勇猛なこの行事も時代と共に意義を変え、台東人にとって誇りに思えるイベントに転化しつつある。
寒単爺は殷朝の武官趙公明と言われている。髭もじゃの黒い顔に鎧兜をまとい、片手には武勇を示す神鞭、もう一方の手には財宝の元宝を持ち、黒い虎にまたがっている。『封神演義』によると、殷の武将だが、理財に長けていたため、文財神の比干や陶朱公と肩を並べて武財神と呼ばれている。
昔は台東の元宵節の諸神巡行において、寒単爺は諸神のお供の一人に過ぎず、神壇も神像もなかった。その筋のお兄さんたちが祀っていただけなのだが、その後神像が作られた。
現在では、春を迎えて福を納め、財源を広める財神爺として好まれるようになり、元宵節となると料理や果物などが供えられる。寒単爺のお祭りでは、台東の炸寒単の行事が最も有名である。

寒単役が最も恐れるのは、呼吸ができないほどの煙だ。煙を避けるために湿らせたタオルを口と鼻に巻く。

輿に付けた高さ22センチの神像は人が扮する寒単爺の後ろ盾となり、爆竹を全身に浴びる勇気を与えてくれる。

盛大に盛り上げるために各商家は数十万分の爆竹を用意する。一般には爆竹の音が大きいほど新年の財運が高まると信じられている。

輿に付けた高さ22センチの神像は人が扮する寒単爺の後ろ盾となり、爆竹を全身に浴びる勇気を与えてくれる。