60歳で家庭と夫から解放
確かに彼女は、絵を描くことで前半生を取り戻してきた。
1923年、陳月里は台北万華に生まれた。熱血少女は「お国のために」と岡山空軍基地へ行き、戦火と後の白色テロを経験し、若くして時代のうねりと庶民の悲哀を知ることとなる。
早々に恋愛結婚するが、夫は志を失って浮気をするようになり、貧しく惨めな日々が始まる。4人の子を育てるために水で飢えをしのぐこともあり、内職で生計を立てた。
天性の美的感覚を持つ彼女は30歳で独学で絵を始める。ある晩、食卓でカレンダーの裏に思うままに絵を描いていると、夫の裏切りや日常の苦しみが突然消えていき、夜明けまで無我夢中で描き続けた。
60歳の時、長年苦しめられた夫が亡くなり、娘の劉秀美が彼女に人生で初めての油絵の道具を贈った。最初は娘と共に淡水に引っ越したが、それは面倒を見てもらうためではなく、淡水の景色を描くためだった。
淡江大学の学生が住むアパートでの一人暮らし、窓からは淡水河と観音山が見渡せる。夜中にトイレに行く時、窓の前は目隠しして歩いた。夜の川面に映る観音山を見たら、もったいなくて眠れなくなるからだ。
陳月里が描いた淡水のさまざまな風景を見ると、山や川、光と影、季節の変化に対する彼女の愛情が感じられる。大自然を愛する彼女は環境破壊に腹を立てる。劉秀美によると、MRTが開通した時、陳月里はマングローブ林がなくなってしまう、白鷺の行き場がなくなってしまうと心配し、ビルが景色を遮るのを見て「木を1本でも切った人は、殺人と同じに死刑にするべき」と言ったそうだ。
いま住んでいる汐止でも、裏の山の開発が進み、「人間が自然を大切にしないと、自然は人間を守ってくれない」と言う。

年をとっても「自分の部屋」がなければ。汐止の古いアパートの屋上にあるプレハブのアトリエは、陳月里の心の花園だ。