落ち着いた街並みの風景
日本統治時代の初期に、洗い出し仕上げを用いて台湾北部で建てられた代表的な建築物は、1908年建設の「台北水道水源地唧筒室」(現在の自来水園区自来水博物館)だ。その外壁の広い面積には洗い出し仕上げが施されており、またその可塑性を活かして、型で成形した造形やコンクリート彫塑で造り上げたイオニア式の柱、帯状の草花の装飾が加えられ、石材の代替としての洗い出し仕上げの効果が十分に発揮されている。また、1901年に竣工、1913年に改築された当時の台湾総督官邸(現在の台北賓館)の、西洋の様式を模した建物の外壁は、洗い出し工芸の極みと言える。
洗い出し仕上げは1910~1970年代に大量に建築物の外壁に用いられた。1930年代に外壁タイルが出現してからも、コンクリート洗い出しと赤レンガやタイルの多様な組み合わせが見られるようになる。1930年代に竣工した台北の北門郵便局を見ると、十三溝面磚(13本の溝が入った外壁タイル)が大量に用いられ、立面の破風や柱上部の装飾、窓下の壁面などに、古代ギリシア建築の渦巻き模様や、ゴシック建築の特徴である花や葉などの装飾が洗い出しで施されている。また、赤レンガと白い洗い出し仕上げを組み合わせた外観は、台湾総督府や台北医院(現在の国立台湾大学医学部付属病院西址、1912年改築)にも見られる。赤レンガと白い洗い出しのコンビネーションが美しく、ベランダの腰壁には華やかな丸窓があり、バナナやレンブ、パイナップルなど台湾の熱帯植物の装飾が見られる。
当局の推進もあって洗い出し仕上げは急速に普及し、公共建築だけでなく民間の住宅にも用いられるようになり、ローカルの建築の特徴の一つとなった。1933年に新北市の三峡河に建てられた三峡拱橋は、精密な力学計算をもとにしたアーチ橋だが、シンプルで優美なこの橋にも洗い出し仕上げが施されている。また、台湾各地の多くの古い町並みには牌楼と呼ばれる門があるが、その多くも洗い出しで仕上げられている。台北市の迪化街や桃園市大渓の和平老街、新北市三峡の民権老街、台南市の新化老街などの牌楼にそれを見ることができる。また、各地の寺廟にある龍柱や祭壇、手洗い台などの多くも洗い出し仕上げが施されており、広く台湾人の暮らしに溶け込んでいることがわかる。
台北市の民生西路、市の古跡に指定されている「新芳春茶行」の外観を見てみよう。この建物は1930年代に大稻埕で多数建てられた華洋混合の現代建築で、屋内の多くの場所がコンクリート洗い出しで仕上げられている。奥行きの長い町屋作りの建物に入ると、最初の明り取りの坪庭には洗い出しの手すりがある。手すりは宝瓶(壺)の形をしており、「保平安」と同じ発音の縁起の良い装飾だ。さらに奥に進んだ、第二、第三の中庭には優美な竹の形をした雨どいがあり、竹の「節節高升」(一歩ずつ進歩していくこと)を象徴しており、これも洗い出し仕上げだ。
コンクリート洗い出し仕上げは建築装飾の手法の一つであるだけでなく、都市の歴史と職人の美意識も語り伝えている。それは台湾の街の景観を構成する重要なディテールであり、台湾式の落ち着いた生活哲学を訴えかけてくる。「台湾感性」を体験したいのなら、古い建築物の壁面に手で触れ、階段の踊り場を訪ねてみよう。洗い出しの声が聞こえるかもしれない。
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台北北門郵便局は、外壁に広く十三溝面磚(溝が入ったタイル)が貼られ、そこに洗い出しの装飾が施されている。
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築90年を超える三峡拱橋。このシンプルで優美なアーチ橋にも洗い出し仕上げが施されている。
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台湾の多くの古い町並みに立つ牌楼(門)の装飾は、洗い出しコンクリート彫塑の代表的な存在である。(外交部資料)
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新芳春茶行の中庭には、竹を模した洗い出し仕上げの雨どいが設けられている。(鄧慧純撮影)