烏来の歴史
張金栄郷長の努力で、烏来は魅力を増しただけでなく、さらに外部との関係も模索している。
去年11月末、烏来と日本の大分県大山町は姉妹都市となった。張金栄さんの話では、大山町の町長が15年前に烏来を訪れた時、鮮烈な印象を持ち、日本交流協会を通じて連絡を取ってきたのだという。
60〜70年代、烏来は阿里山、日月潭などと並び称され、台湾の10大観光地の1つだった。当時の主な観光客は日本人で、観光客向けの踊りの公演も毎日、何度も行われていた。だがその後、次第に日本人観光客が減り、踊り手も減っていった。
南勢渓にある高さ100メートルの烏来の滝は有名だ。南勢渓を超えて滝の上まで行く全長382メートルのケーブルカーも人気がある。遊園地「雲仙楽園」では、多くの子供たちが楽しい思い出を作った。
だが80年代、台湾では遊園地が増え、自然景観の観光地に打撃を与えて烏来も衰退した。「烏来は10年間眠っていた」というように、10年前は烏来の温泉は知られておらず、滝と猪しか知られていなかった。
1999年、日本ブームが訪れ、温泉や花見が流行すると、烏来もまた次第に活気づいてきた。さらに2001年から実施された週休二日制で、近場から来る人が増え、連続して年間100万人の大台を超えている。
「烏来の問題は失業ではなく、怠けてしまうこと」と郷長は言う。烏来温泉は200年もの間、豊かな資源に恵まれ、人々は温泉に頼っていれば生活することができたのだ。
烏来郷の温泉は炭酸ナトリウムで無味無臭だ。現在ある80近くもの温泉旅館のうち85パーセントは外部から投資して建設された。
去年11月、一部のマスコミによって烏来の温泉の一部はお湯を循環させていて、細菌が多く、水質が悪いと報道された。この報道で烏来温泉は大打撃を受け、観光客が4〜5割減った。その後、行政による実地の調査が行われ、温泉水の再利用をしていないことが明らかになり、客足も次第に戻りつつある。
張金栄さんは、烏来の源泉は実に豊かで、1日の水量は3万トンにも及び、現在3200トンしか使われていないので、わざわざ再利用する必要はないのだと言う。温泉旅館「璞石麗緻」の劉東春社長も、再利用するとなると、湯の汚れの処理や加熱などでコストがかかるため、水量が充分な現在、そんな事をする業者はいないと述べる。
だが、考えてみれば、烏来の温泉業者のほとんどが「勝手に」川からお湯を引いていて、合法ではない。また川には温泉の管がむきだしで美しい景色を壊している。だが今年からは公共のパイプが本格的に運用される予定で、烏来温泉でも企業の独占状態が解消され、地元の一般家庭にも温泉を引けるようになる。

タイヤル族の女性は織物が上手だ。村落教室は作品を展示するだけでなく、伝統工芸を後世に伝える機能も持っている。