ボトムアップの鉄道文化運動
鄭銘彰さんと鉄道博物館の長年の縁は、この博物館設立への道が困難だったことを物語っている。まだ台北機廠だった時代、台湾大学図書館学科に学んでいた彼は、鉄道サークルに入っていたことから、台北機廠を訪ねる機会を得た。
鉄道は技術や交通、輸送に関わるため、戦争や戒厳令の時代には国家機密とされていた。
しかし、鉄道ファンにとって鉄道は童心を呼び覚ます楽しい遊園地にも等しい。鄭さんの学生時代は、ちょうど戒厳令が解除され、野百合学生運動が起きた時代であり、長年抑え込まれていた民間のエネルギーが爆発した時期だった。その頃の社会は、「研究してはいけないことなどない」という雰囲気があったと鄭さんは言う。
鉄道文化を愛する鉄道ファンたちは、鉄道大国であるイギリスや日本を参考に個人で研究を開始し、後に専門の民間組織も生まれた。
中華民国鉄道文化協会の創設者でもある鄭銘彰さんは、「鉄道の解釈権が、なぜ政府や鉄道部門だけに掌握されているのか」と問いかけた。そこで台北機廠という、完全な姿をとどめている最大規模の産業遺跡を、彼らは「文化テロリスト」と呼ばれる危険を冒してでも保存したいと考えたのである。
その後、彼は縁があって体制内で働くようになり、鉄道文化研究者‧洪致文氏の後継者として鉄道博物館準備処の第二代主任に就任した。鉄道博物館の準備や計画から誕生にまで参画してきた鄭銘彰さんは「自業自得です。墓穴を掘りました」と嬉しそうに笑う。
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多くの人の旅の記憶とともにある青い車両(藍皮火車)が修復され、鉄道博物館の敷地内を走っている。