2012年、ニューヨーク近代美術館のマガジン・エキシビションで、白キクラゲを表紙にした雑誌がミレニアム雑誌に選ばれた。この前衛的な雑誌「White Fungus」は、ニュージーランド出身のロン・ハンソンとマーク・ハンソンの兄弟が台湾で発行している。彼らは台中に暮らし、アートを通して台湾を世界に売り込んでいる。
2000年、旅行で初めて台湾にやってきた時のことを忘れられないとロンは言う。その日は春節で、街は賑やかだった。タクシーの運転手は、彼に煙草を勧め、あれこれと案内してくれた。中国語がまったくできない彼にも、その善意はよくわかり、台湾が大好きになった。弟のマークも呼び寄せ、それから4年間、台湾で暮らした。
長いとも短いとも言えない時間が、雑誌創刊の根となった。雑誌の名は「White Fungus(白キクラゲ)」。台中のスーパーマーケットでこの名前の缶詰を見て、印象に残っていたという。ロンによると、外国人にとってWhite Fungusという名前の缶詰はちょっと不思議で、アンディ・ウォーホルの缶詰を描いた作品を思わせたという。

創刊からわずか2年の「潜意識餐庁」は、台湾の読者を世界のアートの世界へと導く。
2004年、二人がニュージーランドに戻って仕事場を設けた頃、地元ウェリントンの郊外で、大量の歴史的建築物や芸術エリアが道路整備計画で取り壊されることになり、住民やアーティストが抗議していた。だが企業の圧力で、反対運動は報道もされない。そこで新聞学科出身のロンは雑誌を創刊して人々の関心を高めたいと考えた。
彼は弟のマークや友人たちと匿名で文章を書き、夜中にこっそり弁護士をしている父親の事務所に入って文章をプリントアウトし、冊子にまとめていった。こうしてわずか10日で「White Fungus」創刊号が完成した。
A4サイズに満たない創刊号では、ウェリントンの文化や歴史、マオリの物語などを紹介し、地元の人々も知らない物語を伝えた。雑誌は1号だけの予定だったが、読者からの強い要望があって2冊目も出し、最盛期には広告を掲載したいという話が十数社から入った。
だが、これも長くは続かなかった。重い内容が好まれなくなり、発行は続けられなくなった。2006年、二人はニュージーランドの展覧会に来ていた台湾のアーティスト姚瑞中と出会って台湾や日本、シンガポールなどのアーティストの話を聞いた。また台湾に移住した香港人アーティスト李傑とも知り合い、台湾の芸術発展について知ることとなる。何も変わらないニュージーランドと違い、アジアには生気に満ちた芸術創作環境があることを知り、これに大きく惹かれた。

毎号さまざまな姿の白キクラゲが表紙を飾る「White Fungus」は詩や評論、漫画、写真など、豊富な内容を誇る。
2009年、二人は5年ぶりに台中に移り住み、再び「White Fungus」の発行に取り組み始めた。
異郷には友人も家族もいないが、二人は雑誌作りに力を注いだ。昼間は英語教室の教師を務め、夜は揃って編集者となって南屯のアパートで夜中まで議論を続けた。
長年にわたって、広告は載せずに独立出版しており、資金は二人の給料と雑誌の売上だけだ。「私たちは貧乏で生活は苦しいです」とTシャツにジーンズのロンは言う。以前はデザイナーとして働いていたマークは、普通のサラリーマンの生活を送ったこともあるが、一番好きなのは雑誌作りで、どんなことをしてもこれを続けていきたいという。「雑誌以外には、私たちには何もないのですから」とマークは言う。
異郷でのゼロからのスタートで、彼らはメールやフェイスブックを使って「White Fungus」を紹介してきた。二人の台湾移住のきっかけとなった姚瑞中は、二人をギャラリーに連れて行ってアーティストを紹介し、街頭での雑誌配りも手伝い、少しずつ知名度も上がってきた。
雑誌のシンボルである白キクラゲは毎号さまざまな形で表紙を飾り、雑誌は今では200ページのカラーになった。「さまざまなテーマを通して人々に多角的な視野と観点をもたらし、誰もがこの雑誌の中に好きなテーマを見つけられるようにしたいと思っています」とマークは言う。そのため詩や写真、漫画、アートなど内容は豊富で、例えば2013年13期の記事には「火星初の女性」「コウモリ礼賛」というものもある。
2012年「White Fungus」はニューヨーク近代美術館に評価されてミレニアム・マガジンに選ばれた。一夜にして世界に知られるようになり、苦労してきた二人は一息つくことができた。
だが、入選の栄光も二人にとっては一つのシンボルに過ぎない。マークによると、受賞の前と後では雑誌の内容は特に変わらないのだが、以前はいつも周囲から「成功するわけがない」と言われていたのが、受賞後は取材のオファーが絶えなくなり、人の心の変化を思い知らされたという。

歴史的建築物保存運動から思いがけず雑誌「White Fungus」の発行を開始したニュージーランド出身のロン(右)とマークは、長年台中に暮らし、熱いハートで台湾のアートを世界に紹介している。
2013年、「White Fungus」はイギリスの代理店WhiteCircと提携し、雑誌は欧米や日本の23ヶ国でも販売されることとなった。
「White Fungus」が世界へと出ていく中、二人は自分たちの生活の場である台湾のことも忘れてはいない。彼らは台湾のビジュアルアートに焦点を当てた雑誌「潜意識餐庁(The Subconscious Restaurant)」を創刊した。「White Fungus」は世界の読者を対象にしているため、英語の読めない読者を遠ざけてしまったとマークは言う。そこで「潜意識餐庁」は異なる位置づけの雑誌にし、中国語と英語の対照訳で台湾のアーティストを紹介している。
「潜意識餐庁」の創刊号では、二人が高く評価するサウンドアーティスト王福瑞のニュージーランドツアーを紹介し、「台湾の聴覚解放運動」という記事を掲載した。その後の号では、舞台パフォーマンスとサウンドアートを得意とする台湾の鄭宜蘋や、台湾のインディーズバンドを育ててきたライブハウス「地下社会」に関わる人物なども紹介してきた。
ロンとマークは台湾のサウンドアートのエネルギーに驚いている。マークによると、台湾のサウンドアートは素晴らしく、国際的な一大芸術イベントであるベネチア・ビエンナーレでも大勢の台湾のサウンドアーティストが異彩を放っているという。ニューヨークなどの国際都市では小衆のものとされるサウンドアートが、台湾では200人もの聴衆を集めており、驚くほど多くの人に受け入れられていると指摘する。
ロンによると「White Fungus」という言葉は台湾とニュージーランドでは異なる文化的意味を備えているが、それと同じように「潜意識餐庁(The Subconscious Restaurant)」という雑誌名にも由来がある。「潜意識餐庁」は現在、クラウドファンディングで資金を集めているが、この雑誌名は台湾のあるレストランの名称だと言う。編集長を務めるロンは、この言葉の組み合わせを非常に気に入っており、英語圏の人はこのような創意ある言葉の使い方は思いつかないと言う。翻訳上の言葉の転換であるだけでなく、カルチャーショックの意義も込められている。
こうしたことから、この雑誌にはアートに対する兄弟二人の情熱が注がれているだけでなく、台湾とニュージーランドの芸術交流という重要な機能も備えている。
編集部を兼ねるマークのアパートには雑誌が山と積まれ、壁一面にはポスターが貼られ、それらはすべて二人による台湾とニュージーランドの芸術交流を見守ってきた。
ロンによると、二人は雑誌編集の他にDJや音楽パフォーマンスの企画なども行っているという。台中に来て5年、彼らはズビグニエフ・カルコフスキなどポーランドやニュージーランドのアーティストを招き、台中と台北でコンサートを開いた。また陳史帝ら台湾のアーティストをニューヨークやベルリンへと紹介している。
今年2月に開かれる台北国際ブックフェアのテーマ国はニュージーランドなので、ロムとマークも「White Fungus」と「潜意識餐庁」を紹介するとともに母国のビジュアルアーティストを招いて文化交流を行なうという。
「White Fungus」は今年、創刊十周年を迎えるが、雑誌創刊の初心を忘れぬよう、かつてコピー機で作った創刊号をとってある。台湾を第二の故郷と思っている二人は、子供のような好奇心をもってこの土地でアートの実験を続けていく。

歴史的建築物保存運動から思いがけず雑誌「White Fungus」の発行を開始したニュージーランド出身のロン(右)とマークは、長年台中に暮らし、熱いハートで台湾のアートを世界に紹介している。

創刊からわずか2年の「潜意識餐庁」は、台湾の読者を世界のアートの世界へと導く。

創刊からわずか2年の「潜意識餐庁」は、台湾の読者を世界のアートの世界へと導く。