七年の歳月と、2億6000万台湾ドルの経費をかけて完全修復がなった台北大龍峒保安宮は、6月の初夏に盛大に落成の式典である「醮」を執り行った。これと同時に、2ヶ月余りの期間にわたり民俗芸術フェスティバルが開催されて、古式に則った過火、放火獅、燈篭流し、普渡、跳鍾魁など珍しい宗教的儀式が行われると共に、台湾各地から選りすぐった芸陣、戯曲など伝統芸能の団体が同じ舞台で芸を競い、まさに玄人は芸を見比べ、素人は賑わいを楽しめる、千載一遇の民俗芸能のフェスティバルとなったのである。
大龍峒、艋舺そして大稲埕は、台北でも歴史由緒ある下町として知られ、その中でも大龍峒保安宮、艋舺青山宮そして大稲埕霞海城隍廟は、それぞれに台北開発の歴史の淵源、また伝統的な儀式を伝え、民俗芸能を演じる聖地である。

落成式典の
壇の設計には伝統建築学者の李乾朗氏が招かれ、五族共和の理念を取り入れた。この玉皇壇の様式は、
南式建築の保安宮を模したものだ。(張進翁撮影)
家姓戯の開演
毎年旧暦3月15日の保生大帝誕生の日となると、保安宮と各地の廟とが連合して、盛大な神迎え競技と民俗芸能が展開される。旧暦3月15日から大龍峒の住民は、まず連続して24日間の家姓戯を上演する。家姓戯とは、この廟の檀家の中で各姓毎に順番に名を連ねて芝居を奉納することである。保安宮の家姓戯の歴史は古く、少なくとも清末の日本時代には始まっていたと言われる。保生大帝の誕生日には、大龍峒地域では張、陳、黄、蔡、杜、衆庄(その他の姓)、連、鄭、王、周、林、李、楊、葉、許、呉などの各姓の家が順番に芝居を奉納する。地方の名家の序列は張氏が一番で、呉氏は保生大帝が呉姓であるために最後に回って遠慮する。
今年の家姓戯も、例年通りそれぞれの姓氏毎に順番に奉納した。修復の完成を祝い、保安宮では特に演劇の専門家を招いてコンテスト形式とし、台湾全土から有名な劇団、一座を公演に招いた。口開けは河洛歌仔戯団の「殺猪状元」、次いで寥瓊枝の薪伝歌仔戯団、唐美雲の歌仔戯団、漢陽北管戯団、明華園歌仔戯団などが続き、さらには亦宛然や小西園の掌中戯(人形芝居)団も参加している。さらに貴重なのは、台湾大学歌仔戯クラブ、台湾戯曲専科学校歌仔戯科、台北芸術大学北管戯学科など大学生の団体も順番に芸を競った点であろう。毎日舞台を見にくるお婆ちゃんは「まあ楽しいこと、保生大帝のお誕生日となると、よい舞台が見きれないほどありますよ」とニコニコ顔である。

道長の指揮の下、信者は広場を12回行き来しながら改運銭(右)を燃やし、前世と今生の36の冤罪を解いていく。
火獅の再現
家姓戯が祭りの気分を熱く盛り上げると、引き続いて保生大帝誕生日前日の午後の行事である。高雄県内門郷からきた宋江陣、雲林県大、廍村の花鼓陣、台南県十二婆姐陣など、全国の民俗芸能を伝える芸陣が集まり、台北の人々の目を見張らせ、拍手が続く。
夜、保安宮では特有の放火獅の行事が行われる。放火獅とは、鹽水鎮の仕込み花火と同じく、花火を使った魔除けの儀式である。今回は特に中国の火獅製作の古式を参考にし、高さ九尺の瑞獅一対を紙で製作、腹の中には数千本の花火を仕込んである。夜7時、遶境の行列が保安宮に次々に戻ってくると、ご当地大龍峒の金獅団の賑やかな獅子舞の後に、高い台に設けられた火獅に火がつけられる。その瞬間、色とりどりのロケット花火が四方八方に向けて飛び放ち、台北の夜空を七色に華麗に染め上げる。
4月16日は保生大帝の誕生日で、厳粛な式典が正殿で執り行われ、保安宮前の広場では午後に過火の儀式が行われる。これは大都会となった台北市でわずかに残された過火であるために、数多くのアマチュア・カメラマンや民俗研究家が写真に収めようと前の列に陣取った。
保生大帝のお告げに従い、宮の人々がまず地面を清める。円錐形に形作られたお香の枝に大量の炭が敷き詰められ、真っ赤に燃えてくるとさらに二層目の炭を敷く。それから鉄パイプを使って炭を10メートルほどの長さの火龍の形にする。儀式の時間となると、まず塩をまいて温度を下げてから、保安宮の李継昌道長が先導し、裸足の神懸かり巫子や神輿、そして一般の人々が次々に火龍を越えて行く。炭火で身を清められると、平安無事でいられるし、霊験あらたかなのだと言う。また燃え残りの炭を拾ってかえり、これで水を清めて飲むと、また平安無事のご利益があるそうである。

道長の指揮の下、信者は広場を12回行き来しながら改運銭(右)を燃やし、前世と今生の36の冤罪を解いていく。
昔のままに
一連の祝賀の儀式は、保安宮民俗芸術フェスティバルの始まりに過ぎない。それからの2ヶ月余り、宗教と芸術のイベントが続くのである。医の神様である保生大帝の本業に倣って、漢方の薬材展や無料診断があり、また写真家柯錫杰氏の「保安宮の美」写真展があり、さらに醮典のシリーズ講座、醮壇芸術ガイド、民俗芸能研修などが用意されていた。これらは6月13日から3日にわたって行われた「三朝醮祝賀」に合わせて、宗教と文化の意義を説明したものであった。
保安宮は乾隆7年(1742年)に創建され、最初の大改修は日本時代の大正6年(1920年)に行われた。その後70年余り、湿気やシロアリにやられて、1995年から二回目の大改修が始まった。ほかの廟や寺の改修ではタイルや鉄筋コンクリートを使って、さっさと現代的に改築してしまうのだが、保安宮では材料を吟味し、職人を選び、じっくりと時間をかけて二級遺跡に指定された地位にふさわしい改修を行うことにした。
今回の改修では台湾ヒノキを材料に用い、水道、電気、消防設備はすべて地下に収めた。日本やオーストラリアから専門家を招いて、木材の構造から防虫処理、壁画の防湿修復まで行ったのである。このために2億6000万台湾ドルの経費を調達し、去年になって修復が完了した。これはまた古跡修復の手本となる工事でもあった。
民間習俗によると、寺や廟の落成あるいは修復が終わったら、一定の休養期間をおき、それから盛大な落成祝賀の醮典を挙行する手順を踏む。こうして工事により迷惑をかけた土地の竜神を落ち着かせ、建物は最終的に落成するのである。

寺廟の修復が完了したら「安龍」の儀式を行なう。米を龍の形に敷き詰め、工事で動かされた龍脈を元に戻すのである。写真は今回保安宮の
のために作られた米龍だ。
神聖な時間
醮典とは、台湾の道教の祭典の中でももっとも盛大で重要視される式典である。その由来は古く『隋書』に記載がある。それによると「夜の星辰の下、酒と肉、小麦のお供え、貨幣を供え、歴代の天皇、太乙、五星の宿を祀り、書を奉る儀を醮と言う」とある。台湾民俗研究の劉枝万氏は史料をまとめて、醮とは願文を返すための盛大な祭と結論付けた。一生を儀式を学ぶ道教の道士にとって、この盛大な醮典に参加できるというのは生涯の栄誉であったに違いない。
台湾では、醮典はその目的や日数により異なる名称で呼ばれてきた。たとえば、台湾南部でよく見られる王爺(疫病払いの神)の醮は王船醮、平安を求めるのは平安醮、水害や火災の死者を弔うのは水醮や火醮と呼ばれた。中でも寺廟の新築や再建を祝う落成祝賀の醮は最も重要視されたものである。その日数は奇数が決りで、一朝醮、三朝醮、五朝醮、七七四十九日だと羅天醮である。こういった醮典に立てられる壇も醮と呼んだ。
台湾では昔から、廟が集落の信仰の中心であった。そこで様々な祭りの中でも、一番時間をかけたのがその廟の落成の醮で、その地方では常に一大事だったのである。保安宮は7年もかけて修復した大工事なのだから、地域としては大祝賀行事が必要となる。
6月12日、保安宮の三朝醮の前日には、すでに普段と異なる雰囲気が立ち込めていた。地下鉄の円山駅の付近から、数多くの牌楼(鳥居に似た建築物)が立ち並び、軒先にはめでたい赤い提灯や幟が掲げられて、廟が守ってくれる範囲を区分しているかのようである。「この境界線は地理学上の面積ではなく、歴史と信仰の中から生まれた具体的でありながら抽象的な場です。これが中国人の言いう境の意味内容を形成しています」と、道教を研究し道教の出家でもある中央研究院の研究員李豊楙さんは言う。
この境の中では、外から内にと燈蒿、外壇から内壇と層をなして祭の構築物が連なり、宇宙の核心に入って行く。今回、保安宮の内壇は正殿の中にしつらえられ、落成の醮の前夜から醮の儀式が完了するまで、正常を保ち儀式が順調に執り行えるようにと、廟は3日の間封鎖されて一般の出入りは禁止された。そこで多く人々は、醮の儀式の始まる前に内壇を一目見ようとやってきた。

巨大な供物台に豚や羊を丸ごとお供えする。保安宮一帯の住民は盛大に供物を捧げ、天公のご加護と平安を祈るのである。
小宇宙の再構築
廟の門に足を踏み入れると、黄色い旗で丸天井を形作り天を象徴し、地面には方形の台を築いて地を象徴すると、祝賀の醮の責任者の李継昌氏と李游坤氏が解説する。内壇の両側、一方は三清道祖を祭る三清壇で、壇の前に洞案が設置される。これはすべての儀式を行う中心点となるもので、人と神が通じ合う場所でもある。もう一方には三界壇が設けられ、天、地、水の三官大帝の神像を祭る。三清壇の周囲には天仙の位階に従ってそれぞれの神像や画軸が掛けられ、廟全体が常と異なる儀式の空間になっている。
三清壇の前の床には、李継昌道長が八卦図を描いた茣蓙の上に白米で米龍を作り出した。龍の目は卵、二つの碗を使って鼻と口に、金紙を巻いて龍の角と耳を作り、さらにお香で龍の鬚を作った。さらには保安宮が特別に注文した1両の重さのある記念金貨108枚で、龍の鱗を並べ上げた。こうした民俗的色彩豊かな米龍は、建物の基礎の土地龍神を象徴する。
廟の建設や再建の工事で龍脈地理がひっくり返され、その地の小宇宙の秩序が破壊されると民間信仰では考える。そこで寺や廟が竣工しても、それは工事の設備部分が完成したに過ぎないので、安龍送虎の儀式を行い、廟の基礎を守る龍神を落着かせなければならないのである。それと同時に桃の弓と柳の矢で五方に射掛けて、廟宇に危害を加える虎煞を追い払い、これで小宇宙の秩序全体の再構築が終るのである。
さらに一歩進めて、人と天(自然)が再び混沌とした調和の状態を取り戻せるように「建醮の儀式の前に封山禁水の戒律が行われ、狩猟や漁あるいは耕作など、大地や山川の搾取が禁止されます」と、李豊楙さんは言う。そこで儀式に参加する檀家代表などはすべて厳しく斎戒沐浴し、殺生は禁止だし革製品を身につけてもいけない。この安龍送虎と封山禁水の儀式の中には、中国人と大自然との相互に感応しあう微妙な関係が現れている。

男性だけによって演じられる跳鍾魁の儀式には魔除けの意義が色濃く感じられる。これは宴で満腹になった鬼魂をあの世へ送り届けるための儀式だ。
五族共和の新しい儀式
安龍送虎の儀式が終ると、廟の再建と落成式典がすべて完了したことになる。6月13日の早朝5時、保安宮では北管の音楽が鳴り響き、上天に祝詞を捧げ、今回の祝賀の醮の由来や日程を申し上げる。引続き三日間、朝から深夜までチャルメラやどら太鼓によるにぎやかな北管の音楽の演奏が続き、道士の深く張りのある読経の声が朗々と大殿から耳に伝わってくる。
内壇の儀式は、普通の人は見ることができない。そこで外にしつらえられた五基の醮壇が、普通に目にする儀式の印象となる。醮典に用いられる壇はわずかの期間しか使わないので、通常は専門の業者から借りてくるのだが、保安宮は伝統建築を研究する李乾朗教授に特に設計と製作を依頼した。
保安宮の向いに建てられた五基の外壇の主壇(玉皇壇)は長さ50尺、高さ40尺、方形の鐘鼓楼と竹節窓は福建省南部の同安の様式である。北方に玄天上帝を祭る北帝壇は、北方の宮殿様式を模した入母屋と角楼である。東方の天師壇は福建省南部の彰州の開彰聖王廟に倣い、天宮楼と虹橋が特色となる。さらに西方の福徳壇は客家義民廟を模したもの、南方の観音壇は福建省南部の泉州龍山寺が手本である。
李乾朗教授はこの醮壇に新しい様式を盛りこむことはしなかったが、各地の特色を融合させてより深い意味あいを持たせることに成功した。しかし、都市開発が進んで空間に限りがあるために、本来は地域の四方にそれぞれしつらえるべき天師、北帝、観音、福徳の四基は、保安宮から300メートル離れた円山公園にまとめて設置するしかなかった。「これは絶後とは言えませんが、空前のやり方には違いありません」と李教授は笑う。

家の形に作られた燈篭は、水牢に囚われた霊魂が岸に上がって宴に参加できるように、道しるべとして流される。
神を招き、鬼を拝む
三朝の祝賀醮の儀式は三日目に入り、クライマックスの儀式に入る。早朝は天公を拝み、夕方は普渡と儀式の最後を飾る跳鍾魁が行われ、一般にも開放されて盛大である。
この日、保安宮近辺の大龍街、酒泉街などの軒先には、普渡のお供え品が山と並び、行き来する人波で保安宮は蟻の這出る隙もない。遠くに高く風を受けて揺れているのが青竹を使った燈煞で、青い旗と天燈を下げたのが天煞、黄色い旗と招魂燈を下げたのが地煞である。燈煞は天地長短があり、上は天神の降臨を迎え、下は無縁の霊魂を呼び寄せ慰め、慈悲の精神を表している。
一尺の高さの燈煞で三里四方の霊魂を招き寄せられると言い、今回保安宮では80尺の燈煞を立てたので、240キロ四方の霊魂を招き寄せたことになる。高く立てれば立てるほどお供えもたっぷり用意しないと、霊魂の数に足りなくなって恨みを買ってしまう。
高々と立てた燈煞で陸にさまよう霊魂を呼び寄せるとしたら、水の中の霊魂に対しては流し燈篭が必要になる。保安宮では民俗工芸課程を開設し、みんなで燈篭を作り、保安大帝が巡行した道順をたどって水門に放した。一つ一つ精巧に、小さな家の形に作られた流し燈篭は、夕暮に可憐な光を放って流れていき、おぼれた哀れな霊魂を招く。
見たこともないお供え品
午後4時、陰陽の世界が交じる時刻である。道士の長である道長は、檀家代表を従えて普渡のお供えの卓で清めの儀式を行う。千斤前後の重量の巨大な神豚がお供え品の後ろに並び、伝統的な廟の祭を知らない都会の子供たちは、思わず「あれ本物の豚なの」と聞き返す。巨大な豚を殺して天公に供えるのは、最良のものを至尊の天神に献上すると言いうことで、こうして豚、羊、鶏を姿でささげる古式に則ったお供えは、今回の醮を大龍峒の住民がどれほど重視しているかを示す。お供えの卓には鶏やアヒルの肉あるいは小麦粉などを使って作られた観賞用のお供えもある。ライオンや麒麟、うなぎやサザエに海亀など、精巧に作られたお供えに人々が足を止める。
「あら、この文王は鶏で出来てるよ」「このウサギ二羽は豚の胃袋で体を作り、耳はスルメ、目は果物の龍眼だわ、可愛いわね」などと、精巧なお供えを一つ一つ鑑賞しながら、どうやって作られたのか言葉を交わしあう。台湾に豊富に産出する数多くの果物を使った果物彫刻は、様々なテーマで作られており、その精緻さに感嘆の声が上がる。「いたずらファミリー」と題された作品は、ココナッツでアニメのトトロ、赤いりんごでキティちゃん、アボカドでペンギンの家族が作られており、子供たちは大喜びである。
台南市の大観音亭、興済宮から出展された装飾のお供えは、作成者の翁松淵さんが台湾南部の特色をよく発揮し、特産の魚サバヒーの燻製をうろこに用いて、長さ30尺の銀龍に仕立てた。また干しシイタケで映画の主人公のゴジラを作り上げたものもあり、また独特の面白さである。
見る人すべてが、あるいは食欲をそそられ、あるいは珍しさに感嘆するお供えには、遠くから集まってきた霊魂たちもがっかりしないですむことであろう。但し、霊の世界にも良し悪しがあって、悪霊が哀れな霊を苛めて、お供えを独り占めにしないようにと、お供えの後ろには鬼王大士爺の神像が立ち監視している。この六尺豊かな大士爺は、長い舌を出して怖い顔をしている。元は邪悪な鬼王だったのだが、その後観音菩薩の弟子になったという。そこで大士爺の頭上には、必ず小さな慈悲深いご様子の観音様が座っていらっしゃる。
生者をもてなすように死者を祭ると言うのが中国人で、飲み物や食べ物は無論欠かせないが、それ以外にも大士爺の両脇には翰林所と同帰所の二ヶ所の紙の家が設けられ、それぞれ読書人と一般人の霊魂の休息に提供される。また経衣山もあって、霊魂が必要とする衣類、櫛、洗面用具などの生活用品が置かれており、さらにはピカピカ光る金山、銀山、銭山まである。ここでは祭ってくれる人のいない哀れな霊にも食べ物があり、もらい物がありと、よく考えられている。
「醮典は伝統的な紙細工工芸を見るには一番のチャンスで、とくに馬に乗った守護の神像、たとえば温、康、馬、趙の四元帥などは、職人の腕の見せ所で、造形的にも非常に複雑で凝ったものになります」と、国立台湾芸術大学伝統工芸学科の謝宗栄講師は話す。
百年に一度のチャンス
落成の醮典の最後の夜に跳鍾魁の儀式が行われる。夜九時が過ぎると気分は一転して厳粛なものになり、道士がお札を持ちお呪いを唱え、塩や米をまき、清めの水を振って、場を清める。舞台では男性だけが上っており、30分余りをかけた厄除けの儀式の中で、鍾魁を演じるものは口を利いてはならない。動作や目つきで、厄を払い魔除けをし、道を開くなどの次第を演じ、もてなしを受けてお腹一杯になりながら離れようとしない霊を、あの世に送り届けるのである。
台湾の廟の中でも、保安宮は人文的色彩豊かなことで知られており、特に宗教と芸術の結合を重んじてきた。この85年の中でもっとも盛大に執り行われた今回の醮典でも、芝居劇団や芸能の芸陣、道士など、すべて慎重に選考し、最良のもののみが招かれた。一般の廟では現代的に改築され、その行事も俗化し空洞化する中で、保安宮の三朝醮は廟の祭の質を向上させたと、中央研究院の研究員である李豊楙さんは高く評価する。金の鱗の米龍、紙細工の神像、醮壇の製作など、そこここに民間芸術の創意工夫が生きているではないか。
但し、今回の保安宮の落成祝賀醮を見逃した皆さん、残念ながらこの記事で楽しんでいただくしかない。次の落成の醮は、恐らく次の世紀のことになるからである。