廟を彩る藻井(格子天井)。釘は一本も使わず、すべてほぞ継ぎで組まれており、職人の技量が試される。
媽祖は台湾で最も普及している民間信仰の一つであり、台湾各地にある天后宮(媽祖廟)は伝統工芸の集大成とも言える。建築から木工、装飾、絵画、神像の衣装まで、廟の至るところに職人の技が光っている。今月の『光華』では、廟建築に携わる大工の劉勝仁と、神像の冠を作る郭春福、そして刺繍職人の張麗娟が、数十年にわたって研鑽を積んできた技とその職人魂に触れるとともに、台湾の工芸美をご覧いただきたい。
嘉義の笨港天后宮に足を踏み入れ、正殿の天井を見上げると、見事な八卦形の藻井(複雑で装飾的な格子天井)がある。「藻井のある廟は実に美しいものです」と、案内してくれた大工の劉勝仁は言う。幾重にも組まれた格子天井には釘は一本も使われておらず、すべてほぞとほぞ穴で組まれている。このような天井装飾はすべての廟にあるわけではなく、藻井があることは廟の規模の象徴であり、また大工や木工職人の力量を示している。劉勝仁によると、笨港天后宮の木造の構造部分はすべて師匠である劉鴻林の手になり、当時弟子入りしたばかりだった彼は、廟を無から作り上げる様を目の当たりにした。「ここが大工としての私の第一歩で、藻井を手がけたのもここが初めてでした」と誇らしそうに語る。
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大工の家に生まれた劉勝仁は、古跡の修復に生涯を捧げていくつもりだ。
大工の家系
劉勝仁は嘉義新港の大工の家に生まれた。国定古跡に指定されている笨港水仙宮を第二次世界大戦後に修復したのは、彼の祖父·劉山と親族だ。幼い頃から水仙宮の前で遊んでいた劉勝仁にとって、廟の木造の構造部分は家族の誇りを示すものでもある。
劉勝仁は中学を卒業すると、木製の家具を作る職人に弟子入りした。兵役中は木工班の班長を務め、コンクリートの型枠作りや内装も手掛け、木工の経験を積んでいった。退役後は叔父の劉鴻林について大工仕事を学んだ。笨港天后宮と三條崙海清宮の建設のほか、伝統建築や日本建築の修復にも携わってきた。
大工を生涯の仕事と決めた劉勝仁は、「一度引き受けた仕事は、損をしてでも完成させなければならない」という劉鴻林の言葉を忘れていない。かつて祖父の劉山も、水仙宮の修復費用を出すはずだった人が逃げてしまっても、ボランティアとして水仙宮を完成させたという。自身の作品を完成させることが、金銭より重要なのである。劉勝仁も、独立して初めて引き受けた屏東菸廠中山堂の修復時に建設会社の倒産に遭い、工費が支払われないことがわかったが、自腹で作業員の給与を支払い、何とか完成させた。こうした姿勢で経験を積んできた彼は、伝統建築の大工と木工、日本建築の大工という3項目で、政府文化部から伝統職人の資格を認められることとなった。
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梁と柱が直角に交わる部分にある雀替(托木)には建物を安定させる働きがあり、装飾の効果も持つ。
廟建築の美
その後、台南の大天后宮や桃園大渓の李騰芳旧宅、嘉義の旧監獄などの古跡修復にも携わった劉勝仁は、劉鴻林に随行して日本の横浜にある関帝廟の再建にも参加した。それらの中で一番好きなのは、やはり伝統の廟建築だと言う。きちんとしたルールのある日本建築に比べ、廟の工芸は豊富で魅力的だと感じるからだ。例えば、廟の本殿両側の構造は棟架と呼ばれるが、構造物の重みに耐えなければならないため、上部に通梁が設けられる。廟は吹き抜け構造であるため、下から上へ、順に大通、二通、三通と呼ばれ、その構造を強固にするために瓜筒が付けられ、合わせて三通五瓜と呼ばれる。瓜筒の形は金瓜(台湾語で南瓜のこと)やパパイアの形をしている。瓜類は種子が多いため、子孫繁栄を象徴している。
また、伝統建築には「雀替」(托木)と呼ばれる部分がある。梁と柱が直角に交わる部分に当てられる三角形の木材で、建築物の構造を安定させる働きとともに装飾の機能も持ち、多くの場合、龍や鳳、鶴などの吉祥の図案が施される。笨港天后宮の正殿の四方にある雀替には、鰲魚(伝説上の海の大亀)が彫り込まれている。鰲魚は龍門に跳び込んだ鯉が変化した生き物とされ、まるで参拝に訪れた信者たちを表情豊かに見ているように感じさせる。
劉勝仁はこう話す。木は生命のある自然素材で、柔らかみがあり、人の眼にもやさしいため、媽祖廟に入ると心が落ち着く感じがするものだ。廟や古跡の修復を功徳を積む行為だと考える彼は、利害得失は考えずに引き受ける。建築物の歴史文化や木の温もりを残せることの方が重要なのである。
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廟のあらゆる器物や装飾はすべて台湾の伝統工芸であり、じっくりと鑑賞する価値がある。
神像の冠を作って60年
午前2時半、台南市南区にある一軒家の地下室には、バーナーでシルバーワイヤーを溶接する人の姿があった。真夜中の静けさが、神帽(神像の冠または帽)職人である郭春福にとって絶好の創作環境をもたらすのである。郭春福は拡大鏡を使い、自分が描いたデザイン画の通りに細いワイヤーを折り曲げては接合していく。神像の冠の筒の部分から模様、部品まで、日々作業台で一つ一つ手作りし、ようやく冠ができあがる。完全な手作業であるため、一点の完成に短くて数ヶ月、長ければ一年以上かかる。鹿耳門天后宮に鎮座する媽祖の后冠や、台南大天后宮の二媽と三媽の冠も、ここでこうして作られた。
1950年に台南の塩埕で生まれた郭春福は、小学校を出るとすぐに叔父に弟子入りして金細工を学び始めた。その頃は毎朝6時半に起きて掃除をし、工具を整理して深夜まで働き続けた。休みは数ヶ月に一度しかなく、1ヶ月の給金は5元で、「5元で麺が10杯食べられました」と言って笑う。そうして17歳で独立し、最初は銀楼(貴金属を扱う店)からネックレスや金のメダルの加工の注文を受け、たまにお客から神像の冠のレプリカの注文も受けた。
1970年、郭春福は兵役に就き、帽子製作の家に育った鍾士官長と出会った。河北省出身の士官長は、郷愁を紛らわすために暇な時に紙で帽子を作っていて、興味を持った郭春福に作り方を教えてくれた。これが後の神帽作りへの伏線となる。
台湾経済のテイクオフとともに、経済的に豊かになった人々は、神様に奉納する神帽を注文するようになった。1980年代、台湾では大家楽という賭博が流行し、当りを神に祈る人々が盛んに神帽を注文していた。そこで郭春福はこれを研究して系統立て、少しずつ神帽の制作へと重点を移していったのである。
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鹿耳門天后宮に鎮座する媽祖像は高さ388センチ、郭春福が丹精込めて作った冠がその厳かさを際立たせる。
唯一無二の媽祖像の冠
郭春福によると、神の階級によって冠や帽の形も異なるという。媽祖は天妃から天后へと昇格したため、他の神々とは異なり、いい加減なものは作れない。だが神帽に決まったデザインはなく、工芸職人がそれぞれに腕を揮うことができる。60年にわたって神帽を作り続けてきた彼は、必ず自ら神像の頭の寸法を取る。頭の形や顔の寸法を考え、神帽をぴったりとフィットさせることで、端正で美しい姿となるのである。
そのため、郭春福と妻は二人でバイクに乗って高雄や屏東、宜蘭などを訪れ、時には飛行機代を自腹で出して澎湖まで飛び、自ら神像の採寸をする。神帽が完成すると、必ず自ら納品に行き、自分の手で神像の頭に載せて調整する。
数十年にわたって神帽制作に没頭してきた郭春福は、工芸家と言うより芸術家に近い。頭囲12センチほどの媽祖の神帽に、9匹の龍と4羽の鳳の装飾を施し、ほとんど人の目に触れない後部にも複雑な装飾を入れる。その作品を仔細に観察すると、向こうが透けて見える網状の龍の1匹1匹は、すべてシルバーワイヤーを1本ずつ細かく編み込み、それを溶接して一体化したものだ。それをさらに神帽に取り付けて形を整えるという実に手の込んだ細工である。
納めた作品は生涯保証するというのが郭春福の態度である。2000年には鹿耳門天后宮から、主神である媽祖像の頭囲146センチの神帽の注文を受けた。「これは恐らく世界最大の神帽でしょう」と言う。
鹿耳門天后宮は参拝者がひっきりなしに訪れる廟で、神帽も日々線香の煙に燻されて黒ずんでしまう。そこで昨年(2021年)、彼は依頼を受けて神帽の二度目の洗浄と修復を行なった。まず神帽に取り付けた装飾や部品を一つ一つ取り外し、バーナーで銀の色彩を復元する。それから過酸化水素水に浸して刷毛で汚れを落とし、メッキとコーティングを施してから、再び元の形に組み合わせていく。こうして整えられた神帽は、20余年の歳月を経ても精緻な芸術品と言え、正殿に鎮座する媽祖像に荘厳な風格をもたらす。
真剣なまなざしで神帽を見つめる郭春福に、まだ満足できないところはあるかと問うと、こう答えた。「神帽が一つ完成するたびに、もっと良くなるところはないかと考えながら見ます。こうすることで、次の作品はより良いものとなるのです」。常に高みを目指す彼は「倒れる日まで作り続けたものこそ、私の最高の作品となるでしょう」と語るのだった。
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郭春福は金細工職人としての技を60年にわたって磨いてきた。金、銅、紙など異なる材質で神帽(神像の冠)を制作できる、台湾では数少ない工芸家だ。
刺繍で彩る神の衣装
小柄な刺繍職人の張麗娟は、細い刺繍糸を1ミリに満たない小さな穴に通していく。笑みを絶やさないが、真剣なまなざしで精確に一針ずつ穴に通し、一度で成功させる。とても80歳とは見えない。彼女は刺繍を学んできた経緯を話しながら、目の前の神服に、まるで絵を描くように刺繍を施していく。しばらくすると、もとは平らだった模様にゴールドの刺繍が施され、目を見張る美しさだ。これが張麗娟が60年以上をかけて蓄積してきた刺繍の技なのである。
その話によると、かつて父親からは市役所の用務員になるように勧められたが、彼女は美しい刺繍にあこがれていた。「刺繍をした舞台衣装やチャイナドレスは美しいものです」と言う。刺繍店に弟子入りしても一ヶ月に60元の収入にしかならず、一般公務員の300元よりずっと少なかったが、彼女は弟子入りの道を選んだ。そして14歳の時に、福州から来た師匠に教えてもらいながら、運針の力加減や精確さを身につけ、平らな刺繍から、綿を入れた立体の刺繍まで学んでいった。見習いとして、神像の衣装も芝居の衣装も手掛けた。劇団から海外公演用の衣装を依頼されると、若くて体力のあった彼女は、何日も続けて明け方まで働き、棚に横になって少し休むとまた働いた。こうして海外公演に必要な衣装を間に合わせることができたと言う。
見習いを数年務めた22歳の時、刺繍店の経営者が店じまいをして引っ越すことになった。刺繍店の顧客は張麗娟の腕を買っていて、独立するよう励ましてくれ、顧客も紹介してくれた。こうして評判が広がり、商売はますます繁盛していった。最初は注文を受けて家で作業をしていたが、後に小さな店舗を借りることができた。それでも神像用の刺繍品の供給が追い付かず、大勢の職人が働くスペースを確保するために、1989年、嘉義市郊外に金馬繍庄を移したのである。
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精密な冠を作る郭春福。拡大鏡を用い、銀のワイヤーを折り曲げては溶接するという作業を数ヶ月も続けてようやく完成する。
伝統工芸を転換
時代は変わり、人件費は高くなった。さらに中国から安い刺繍品が供給されるようになり、台湾の刺繍店は、それまで完全な手作業だったのを一部ミシンに変えていった。本来は綿を入れた立体刺繍も、発泡スチロールで代用するようになった。だが張麗娟によると、発泡スチロールを使えば確かに効率は上がるが、仕上がりは画一的だと言う。綿を入れる方法なら、高さや起伏を微妙に調節でき、生き生きとした仕上がりになる。
張麗娟は完全に手作りの媽祖の神服を見せてくれた。奉帽(頭から首までを覆うゆったりした被り物)から、腹当て、衣服、ケープまでが一揃いだ。張麗娟によると、一般の神様の着衣は神衣と奉帽だけだが、媽祖像はまず腹当てをつけてから衣服を着て、さらにケープをかける。天后という高い地位は、玉皇大帝や玄天上帝と並ぶ「帝后」レベルに属するため、神服の図案も龍をメインとする。張麗娟が見せてくれた神衣のデザインは、2匹の龍が塔を拝んでいる姿がモチーフとなっている。綿と金の糸で立体的な宝塔が刺繍され、両側にはそれぞれ金色の刺繍の龍と鯉がいて、さらに鳳凰も配するという非常に精緻で華麗な衣装である。媽祖像がこれをまとえば、堂々とした華やかさが感じられるだろう。
何年か前、嘉義市文化局は「工芸在嘉義×創意再加」というデザイン展を催した。伝統工芸と現代のデザインが互いを刺激し合って新しい何かが生まれることを期待し、工芸家6人と現代デザイナー6人を招いて共同制作を行なった。その中の刺繍部門には張麗娟が招かれ、デザイナーの馬毅とともに「八仙遊嘉義」という作品を制作した。張麗娟は自分の店の職人たちを率いて数ヶ月をかけ、やり直しを繰り返した。そうして完成したのは、嘉義公園や砂鍋魚頭、鶏肉飯など、嘉義の名所や名物料理を美しく刺繍した衣装である。この素晴らしい作品は現在、嘉義市立博物館に常設展示されており、近寄って台湾工芸の美を観賞することができる。
次に天后宮を訪れた時には、媽祖様を拝み、線香の煙がたなびく荘厳な雰囲気を味わうだけでなく、廟の各所にちりばめられた精緻な工芸品にも目を向けてみようではないか。
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頭囲12センチの媽祖の冠。9匹の龍と4羽の鳳があしらわれ、すべての装飾は完全な手作業で作られている。
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刺繍工芸に携わって60年になる張麗娟は、まるで絵を描くように神像の衣装に美しい刺繍を施していく。
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媽祖像が身につける奉帽(被り物)、腹当て、ケープ、衣服には、龍や鳳凰など、媽祖の神格にふさわしい模様があしらわれる。
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美しい神衣は、すべて刺繍職人が一針一針心血を注いで完成させたものだ。
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張麗娟が他の職人とともに数ヶ月をかけて完成させた作品「八仙遊嘉義」は、嘉義の文化的景観を刺繍で表現しており、台湾の工芸の美を余すところなく伝えている。