「五都」の一つとして新たに直轄市に昇格した台中は、台湾中部に位置する。台中市と台中県が合併したことによって面積は十数倍になり、空港と港湾を擁する人口263万人の都市となった。五都の中でも、発展の潜在力が最も大きいとされ、台湾中部全体の成長を牽引するという大きな使命を担っている。
胡志強市長は「世界の大台中」というビジョンを描き、十年後には香港やシンガポールを抜いて、台湾海峡両岸および国際運輸の重要都市にしたいと考えている。
県と市の合併によって生まれた新しい都市を、新婚夫婦に喩える人もいる。幸福な将来への期待に満ちているが、すぐに日常生活という試練に直面するからだ。最大の課題は、都市として発展してきた台中市と、山・海・屯の三地域に分れる台中県をどう融合させていくかという点である。それぞれの既存の産業や文化的特色を結び付けていくのは、思考や生活スタイルの異なる二人が一緒に生活を始める新婚夫婦に似ている。蜜月期が過ぎた後、考え方の違いをどう乗り越えて融合させていくかが最大の課題となる。
台中市と台中県が合併した新しい台中市は、五都の中で面積は高雄に次いで2番目に広く、人口は3番目に多い。
大台中エリアの地図を開くと、2200平方キロの市はレンゲのような形をしている。かつて台中県に属した地域は山・海・屯の三大エリアに分けられ、それぞれ異なる自然資源や文化産業を擁する。レンゲの柄の部分に当る東部には、中央山脈の山間に位置する和平、東勢、新社の3区がある。そのうち最大の面積を誇る和平区は梨山の温帯果物と中部横断道路の高原野菜が有名で、東勢と新社は昔から客家の集落で知られており、中でも新社は最近レジャー観光産業で注目されている。山と海に挟まれた屯エリアには市街地が広がり、北の豊原は旧県庁所在地のある行政の中心であり、潭子は工業地帯、后里は生花産業が盛んだ。南の大里と太平には工場が密集し、霧峰にある台湾省議会と林家花園は重要な文化遺産である。海に面した西側には大甲、清水、梧棲、龍井などの区があり、漁業が盛んで、沿海には湿地もある(11ページの地図を参照)。
海と山に恵まれた美しい台中県は、豊かな物産を嫁入り道具に台中市に嫁いだが、合併後は十分に尊重されていないと感じている。嫁入り道具も豊富なのに、嫁ぎ先の善意が感じられないのはなぜだろう。

台中市の再区画計画の後遺症として旧市街地が寂れている。写真は台中駅付近、干城区の一角。
合併後、かつての台中県の「郷」「鎮」「市」という行政区画が完全になくなり、すべて台中市の「区」となった。これまで郷・鎮・市の長は選挙で選ばれたため、地元に深く根を張っていたが、それが上から派遣される「区長」となり、村長は「里長」となった。これまで権限も予算も持っていた地域の長が権限を失ったのである。
梧棲区長の陳廷秀によると、これまで梧棲では大晦日のカウントダウンイベントや小正月のランタンフェスティバル、成人式、夏休みの音楽会など、季節ごとにイベントを行なっていたが、今後これらを行なうには企画書を市に提出して申請しなければならない。主導権も市の文化局や教育局に移ったため、従来の行事を今後も行なえるかどうかは分からないと言う。
最も残念なのは、これまで梧棲は「財政の優等生」だったのに、今は他の財政状況の悪い地域と同等に扱われるという点だ。多くの郷や鎮は財政赤字が累積していたため、台中市は各区役所の光熱費や残業代にも多くの制限を設けている。例えばゴミ回収の場合、梧棲では毎週土曜日に定時定点で大型家具の回収を行なっており、郷民からの評判もよく、職員にも残業代が出ていたが、今はそのサービスも縮小されてしまった。

新しい台中市
次に陳廷秀は「台中市の役人は、県と市の本質的な相違を理解していない」と指摘する。都市部は人口が密集し、マンションなら数歩の範囲内に何人もの隣長がいるものだが、郷や村では数キロ先まで行かなければ隣長はおらず、政策宣伝のチラシも届かない。都市の施政方式が地方にも適用できるとは限らないのである。そのため合併当初の過渡期には、市の職員が地方を歩いて相違を理解しなければ、地域差による経費や人出の必要性の違いも分からない。
「現在の市には一級管理職が20数名いますが、そのうち台中県から来た人は4人だけで、かつての県の一級管理職の大部分は副局長になってしまいました」と話すのは、豊原・后里区選出の市会議員・謝志忠だ。台中県と台中市はもともと対等な関係にあり、それが合併によって一つになったのだが、現状を見ると台中県が消滅して台中市に吸収されたかのようである。これによって一般公務員の士気は打撃を受け、地方の郷や鎮のニーズが反映しにくくなったと言う。
謝志忠は次のような例を上げる。新しい台中市では、地域による治安パトロールは人口4000人以上の里にだけ補助金を出しており、規定の人口に満たないところでは隣りの里と合同で行なうようにと定めている。しかし、旧台中県の郷や鎮の規模では1つの里(以前の村)の人口が4000人に達するところはほとんどなく、人口の密集した豊原でも達していない。隣りの里と合同でというのもうまくいくとは限らず、そのためにパトロールを止めてしまえば治安にも大きな影響を及ぼすことになる。
また、教育や環境、文化などの施政においては、これまでそれぞれの自治条例を根拠に行なっており、合併後は条例を改正しなければならないが、その改正基準をどこに置くかという問題もある。
例えば、2月に市の税務局が提出した「娯楽税徴収細則」を見ると、ゲームや映画、KTVなどの業者に対して旧台中市の方法を基準に課税することとなっている。旧台中市ではもともと娯楽産業が発達しており、旧台中県より税率も高かった。台中県の業者にとっては増税に等しいのである。

この数十年の間に、台中の広大な農地は次々と住宅・商業地域へと変わってきた。開発主導の政策によって、今後は台中県の農地も減少していくのではないかと心配されている。写真は大雅区住民が土地徴収を拒否している「中部サイエンスパーク特定区」の農地。奥に見えるのは中部サイエンスパークの工場である。
福祉や建設などの面で混乱しているだけでなく、目に見えない基礎建設の政策が引き継がれるか、という問題もある。
太平区にある国立勤益科技大学文化創意学科の游惠遠主任によると、同学科では3年前から台中県とともに10年計画で「台中県芸術家口述史」採集を進めてきた。台中一帯は日本時代から芸術文化が盛んで、膠彩画の林之助や油彩画の廖継春などの大家を輩出してきたが、歴史資料が乏しいため、游惠遠は台中国立美術館とともに系統だった研究を行ない、台湾美術史研究の重鎮としたいと考えている。その第一歩が県の文化局と共同の「港区芸術センター」口述史計画で、少なからぬ成果を上げているが、今後継続できるかどうか分からない状態だ。
游惠遠によると、台中県は面積が広くて地域差も大きいため、県は山・海・屯の3区にそれぞれ芸術センターを設け、地域に根差した活動を行なってきた。巡回展覧会などを行ない、ナポレオン展や故宮文物展などレベルの高い展示も行なってきたが、合併後はすべて市の文化局の管轄となって自主性が低下し、市内に収容できない展覧が地方へ回ってくるといったマージナル化の現象が起きる可能性もある。

沿海の清水にある高美坁地は生物の宝庫だが、保護区に指定されてから何の措置もなされておらず、地元の人々は新たな運営方針が打ち出されることを待ち望んでいる。
合併当初の産みの苦しみは避けられない。今年末に「行政区画法」が成立すれば、現在の29の行政区は合併で半数以下となり、行政効率も高まると考えられる。現在の最大の疑問は、新しい台中市を「都市中心主義」の思考でリードしていいのか、という点である。
「台中県の産業や文化が多様で分散している中、台中市を中心に思考すると、周辺の郷・鎮は吸収され、その外側の郷・鎮はマージナル化されます」と話すのは霧峰文化協会創設理事長で雲林科技大学文化資産学科准教授の李謁;政だ。大都市の文化は多様な階層のために多元的な発展を目指すべきだと李謁;政は言う。ここ数年、台中市が行なったジャズフェスティバルや三大テノールのコンサートなどは台中の国際文化面のエネルギーを高めたが、これだけでは地域に根を張った県住民のニーズには応えられない。

山間部の新社ではレジャー産業が急成長し「台中の陽明山」と呼ばれている。ロープウェー建設の計画もあり、前途が期待されている。
合併後の混乱に懸念はあるものの、多くの郷・鎮は直轄市のエネルギーにも期待している。
梧棲区長の陳廷秀はこう話す。海沿いの梧棲、沙鹿、清水、龍井は30年以上にわたって台中港特定区として計画されてきたが、インフラ建設は進まず、人口は増えず、土地使用も制限されてきた。学校や公園の予定地とされた土地も、県に予算がないため買い取ることが出来ず、かと言って地主が自主的に利用することもできず、住民の不満はつのっている。直轄市となったからには都市計画を全面的に再検討して、これを転機としなければならない。また、県は梧棲の新市街を特定区発展の中心としてきた。面積140ヘクタール、全国最大の商業エリアの計画はできており、住民は直轄市の胡志強市長がここの開発と企業誘致を実現することに期待している。
長年にわたって清水の生態や歴史を研究している牛罵頭文化協会理事長の呉長錕;によると、清水の高美湿地は中部最大の海岸湿地で、130種の渡り鳥や留鳥が生息している。またカヤツリグサ科やキツネノマゴ科の台湾固有の希少植物もある。十数年前に保護区に指定され、台中県の重要な保護計画とされてきたが、具体的な整備は何も実施されていない。
胡志強市長は、高美湿地の保護を非常に重視していると発言し、土砂の不法投棄や廃棄物焼却の取締りを強化し、湿地付近の公園と駐車場、旅客センターなどの予算を組んだ。湿地保存に携わる人々は、市が農業委員会から予算を取り付け、より積極的な運営戦略や生態教育、研究調査などのプランを立てることを期待している。

国際的な芸術文化活動は都市のエネルギーを高めるが、活動が都市部に集中すれば地方文化の成長空間を狭めてしまう。写真は今年の台中ランタンフェスティバル、「円満戸外劇場」の開幕の様子。
山間に位置し「山線」と呼ばれる地域の新社区は、もともと不毛の僻遠地域とされてきたが、最近は独特のレジャー農業を発展させている。毎年11月のフラワーフェスティバルには20万人が訪れ、普段の週末も民宿やカフェが賑わう。最近は市長もロープウェー(大坑から新社)建設を考えており、前途は大いに期待されている。
新社レジャー農業ガイド協会前理事長である張学能によると、十年前にここに民宿を開いた人の多くは退職後にここに移住してきたと言う。張学能自身も、気候が穏やかで静かなこの土地が気に入り、建築士を退職してここに一軒家を建てた。建材や設計に工夫を凝らした家で、友人たちにそそのかされて民宿を開くことにした。民宿で儲けようとは思っていないので宿泊料は安く、かえって競争力がある。
この他に、2100坪の庭園に100種以上の植物を植えた景観設計教授は、そこを開放してレストランを開いている。また、新北市の有名レストラン「食養山房」に似た高級創作料理を提供する店もある。
特色ある民宿がメディアで紹介されて人出が増えてきた頃、観光の質を維持するために民宿業者は協会を結成して地域ガイド制度を推進し、政府の資源を導入してフラワーフェスティバルを開催することとした。それから十年、丘陵地帯に次々と民宿が建ち、飲食店も増えた。さらに地元の梨やビワやシイタケの農園も開放され、休日を過ごすのにふさわしい台中の行楽地となったのである。
張学能によると、新社のレジャー関連業者は80余軒に上る。それぞれに工夫を凝らした民宿が多く、台中市内から車で40分で大自然を堪能できる。ここにロープウェーができれば、大坑風景区と痩せた山線一帯の繁栄が期待できる。だが、道路の拡張や高速鉄道駅からの乗り継ぎバス開設や駐車場などの設備の充実も欠かせない。

台中が国際都市になるためには、空港と港と台中全域の商工業を結びつける必要がある。写真は台中港。
台中県では期待が高まっているが、台中市も合併のメリットに大きな期待を寄せている。
台中市旅館商業同業組合の理事長で全国飯店副董事長の柴俊林は、合併後はさまざまな制限が突破され、よりスケールの大きな運用が可能になると考えている。台中市の観光エリアは以前は大坑風景区しかなかったが、合併によって観光資源は増え、都市機能と自然豊かな地方が相互補完することとなり、内外の観光客にとって台中を訪れる理由も増える。台中名物は太陽餅とタピオカ入りミルクティだけではなくなるのだ。
便利な快速道路を利用すれば、観光客は昼間は海や山でバードウォッチングやサイクリングを楽しみ、夜は台中市内に戻ってナイトライフを楽しむことができる。
台中は文化的資源にも恵まれている。大甲の鎮瀾宮の媽祖のパレードには海外からも観光客が訪れ、信者とともに3‾5日パレードに参加すれば現地の文化を体験できる。各地で行なわれる文化活動や宗教活動の時期を分散できれば、毎シーズン何らかのイベントがあるということで魅力も増すだろう。

繁栄と持続可能な発展のバランスをどう取るかは、台中市にとって大きな課題である。写真は夜景も美しい台中市七期再区画区。
新しい台中市が国際都市へと躍進するには、観光の他に経済産業面にも力を注がなければならない。
台湾経済研究院副院長の龔;明鑫;によると、台中は日本統治時代に行政の中心と位置づけられた。後背地が狭くて商工業機能が十分ではないため、国民党政権になってからは、中部の重点は中興新村に置かれ、台中市は消費型の都市へと発展した。台中県は機械工業が発達し、それが台中の産業インフラの不足を補うと期待されたが、長年にわたって「一方は消費のみ、一方は製造のみ」という状況が続き、空港と港を持つ優位性も活かされてこなかった。
2003年に中部サイエンスパークが設立されると、初めて台中県と台中市の産業が連結された。光電・液晶パネル産業が地元の機械産業の成長の牽引車となり、集積効果を発揮して県内の中小企業もアップグレードし、そこから台中県・市の境界に位置する地域の不動産価格も上昇して消費も盛んになった。しかし、これらの成果は産業発展に伴うものであり、地方政府の貢献とは言えない。
龔;明鑫;によると、県と市の合併は台中に新たな機会をもたらしたが、そこにはやはり良好な政策が必要だと指摘する。産業基盤の強化や国際的なネットワーク構築が必要なのである。
まず、国際都市には対外連絡と中継の機能がなければならない。現在、台中港から輸入されているのはガソリンや天然ガスなどのエネルギーや原料が中心で、これは現地の産業と関連している。一方、清泉崗空港は旅客機の出国便のみで、ここから入国する便はなく、台中を世界と結ぶこの海と空の港が十分な効果を発揮しているとは言えない。特に清泉崗空港は立地条件が非常に良く(かつては米軍基地として使用された)、後背地も広いのだから、海と空の港の機能と中部の商工業生産とをより緊密に結びつけるべきだろう。
また、中部は大企業の運営本部の誘致を積極的に進める必要がある。県と市が合併するまでは水湳;経済貿易パークが悪くない選択肢だったが、視野を台中一帯に広げて見ると、空港と港から遠い水湳;経済貿易パークより、空港と港と中部サイエンスパークの間に位置する三角地帯の方が魅力的だ。台中と世界を結ぶには、多くの企業をここに誘致することが必要となる。
また、台中には大学が多数あるため、研究開発部門を中部に拡大することも考えられる。
台中エリアの建設と繁栄に期待が集まる一方、環境面も重視して持続可能な発展を追求しなければならず、その点が政府の大きな課題となる。
例えば、大肚山台地にある中部サイエンスパークは台中市の西の県境の荒涼とした僻遠地域にビルを林立させ、ショッピングエリアやホテルもできたが、付近の農地を汚染し、空気や水の質も悪化している。
中部の環境問題に詳しい台湾生態学会顧問の張豊年によると、中部サイエンスパーク第一期、第二期付近では大気のヒ素汚染が発生したことがあるし、廃水が灌漑用水路に流されて稲が駄目になったこともある。同サイエンスパーク第三期の后里周辺では、血液中のダイオキシン濃度が基準値を超える人数が台湾で最も多い。后里では昔から水源汚染が進み、外埔大甲渓の養殖シジミやタニシに奇形が見られるが、業者は売上への影響を心配し、汚染状況は改善されていない。
公権力をもって汚染を調査し防止できるかは地方政府の重要な課題である。

合併によって面積は十数倍になり、市内に空港と港を持つようになった新しい台中市は、これまでとは全く異なる局面を迎え、台湾中部で重要な役割を果たすこととなる。写真は新しい台中市議会。
さらに、台中市では数十年にわたって農地を住宅・商業用地に変更してきたが、こうして生まれた七期開発区には高級マンションが林立して地価が高騰している。一方、台中駅周辺の旧市街地は衰退している。
「台湾農村陣線」代表の・順貴弁護士によると、中南部では県や市が農地の大規模な開発を進めている。地価の安い農地を対象に、再区画として地方政府が道路や公共施設、住宅、農地などを区画する。地方政府はその3割に公共施設用地を得、1‾2割は販売して利益を得、地主に与えられる土地は狭くなるが、土地の用途が変わることによって地価が大幅に上昇するので利益が得られる。地方政府は、公共施設と土地の売上、地価税、土地増値税、家屋税などが得られるため、農地が次々と用途変更されていく。
・順貴は、この開発政策は問題だらけだと言う。デベロッパーは短期間で最大の利益を上げるために地価の安い地域を再区画対象に選ぶ。台中駅周辺の再区画エリアはもともと地価が高くて大きな利潤が見込めないため、投資したがらないのである。一方、地主は用途変更で高くなった地価税を払い続けなければならない。
この形で開発を続けたら、台中県の多くの都市計画内にある農業区や保護区も、台北市のように消失していくおそれがある。世界中で食料の安全保障が課題となり、食料自給率向上や農地保護が求められている今、台湾はそれに逆行しており、心配させられる。
日が暮れる頃、大肚山の頂から台中全体を見下ろすと、20年前には広大な田畑だった地域にビルの明りが点滅している。持続可能な発展をどう実現するか、県と市の文化の差や地域格差をどう解決するか――これは「五都」が均しく直面する課題であり、その成功は行政の舵手の視野にかかっている。