台湾の昔の一元硬貨を覚えているだろうか。一元硬貨の梅の花の模様の裏側には、耕作機を操縦する農村の女性の姿が刻まれ、その後ろに広大な田んぼが広がっていた。「あれは、私たち万丹の娘なんですよ」と地方史の研究者は言う。あの素朴で美しい風景の主人公は、農業の機械化を推進する食糧局とともに台湾各地を巡り、耕作機の操作の手本を示していた万丹のお嬢さんだったのである。
広大で肥沃な屏東平野では、年に3回採れる作物が大地をおおっている。かつてこの万丹郷は農業機械化の推進で知られ、戦後台湾の農業発展史上に名を残した。そして今は、アズキ、牧草、乳牛、飼料などを生産する重要な農業・畜産地となり、そこでは伝統産業を中心とした豊かな生活が営まれている。
「屏東は昔は阿猴と呼ばれ、万丹は街仔頭」三百年以上も伝わる古い言葉が、万丹の特色を言い切っている。
屏東市の南に隣接する「万丹」、この地名は地元に暮らしていた平埔族、マカダオ族の言葉で「市、売買の場」という意味を持つ。史料によると、かつて万丹には平埔族が暮らしており、明末から清初になって初めて漢人が開墾のために移住してきた。漢人の歴史に初めて「万丹」という地名が登場するのは、清の康煕23(1684)年に改訂された『台湾府志』だ。
かつて、屏東地区がまだ鳳山県府の管轄下にあった頃、「街」と呼べる地域は非常に少なかったが、万丹が「街仔頭」と呼ばれていたことからも、当時の繁栄ぶりがうかがえる。万丹の歴史を研究している李明進さんによると上述の「万丹は街仔頭」という表現は、万丹が最も早くから市街地を形成し、にぎやかに商売が行なわれていたことを示しているという。清の時代、下淡水渓(今日の高屏渓)の幾つかの大きな船着き場は、すべて万丹の管轄区内にあり、行き来する人も多かったため、万丹は屏東平野で最初の街になったのである。それは周辺の他の地域より70〜80年も早い発展だった。
1950年代に入り、屏東で秋作が成功した後、平野の耕作面積は急速に拡大し、万丹はアズキ、酪農などで全国に知られるようになった。こうして本来は商業地という意味を持つ地名と現実との間に開きが生じてきた。今日の万丹は全台湾最大のアズキの産地であり、また南部で最も重要な乳牛集乳区の一つでもある。それと同時に、酪農に関わる飼料工場や、乳製品を作る食品工場や屠殺場なども同地区に集まっており、農畜産業の生産体系がここに揃っている。
しかし、台湾がWTOに加盟すれば、万丹はアメリカや中国大陸からの安い農畜産物との競争にさらされることになる。1999年に口蹄疫が流行した時には、万丹郷のあちこちで農家に捨てられた子豚が見られ、農業に大きな損失を出しただけでなく、飼料工場の多くも閉鎖に追い込まれた。今後、さらに激しい衝撃がここの産業を襲えば、より大きな損失が出ると考えられる。
それでも将来に希望を抱き、奮闘している経営者はいる。恵旭企業の邱朝旭社長は「私たちは叩かれても死なないゴキブリのようなものです。一筋でも希望の光があれば、斜陽産業などと言われようと、頑張り続けるのです」と言う。
邱社長の会社は飼料を作っているだけだが、それでもハイテク産業のような経営効率とビジョンが必要だと考えており「私たちは飼料業界の台湾セミコンダクターを目指しています」と言う。現在、彼はバイオ企業の設立を準備しており、最先端のバイオテクノロジーによる飼料生産を目指しているのである。
邱社長によると、飼料工場の生存は大きな危機に直面しており、将来の道を積極的に考えなければ産業の転換期を乗り越えられないと言う。
最近政府が積極的に提唱しているナレッジ・エコノミーは、エレクトロニクスや情報などのハイテク産業を重視しているようだが、邱社長はこれには不満だ。「ナレッジ・エコノミーが全てではありません。飼料生産を含む従来型産業も、国の経済に大きな貢献ができるのです。逆に知識を従来型産業に応用すれば起死回生も可能になり、それでこそナレッジ・エコノミーが強調する創意が発揮できるのではないでしょうか」
万丹の農作物も全国で重要な地位を占めている。中でもアズキの裁培面積は全国一の約1000ヘクタールを誇っている。
「アズキの生産は暑い地域に適しているので、万丹は地質的にも気候的にも最適なんですよ」と語るのは、万丹下村仔の広大なアズキ畑の近くで麺の屋台をやっている李さんだ。
アズキの生長期は約2ヶ月なので、万丹では稲作の一期と二期の間を利用して裁培される。これによって土地の利用率が高まるだけでなく、豆類を裁培することで土壌も豊かになるのである。アズキは600グラム40〜50台湾ドルで、国内だけでなく日本にも輸出されている。
万丹の郷民代表会の主席である李文正さんによると、地元の人の多くは農牧兼業、つまり牛を飼い、アズキを植えるという暮らしをしている。そのため万丹郷を訪れると、牛の匂いがするだけでなく、アズキ入りの焼き菓子の甘い匂いもしてくる。
地元の人によると、今のお年寄りたちにとって、かつてアズキ菓子は主食以外の重要な副食で、また正月などおめでたい時にも食べるものだったという。子供の頃からアズキ入りの菓子を食べてきた万丹の人々にとっては「アズキ入り焼き菓子の自然のままの色と味と形こそ、万丹らしい」ということになる。
この他に、万丹には全国的に有名なサトウキビの種の保存施設もあり、100種余りの野性種と、海外から持ち込んだ690種が保存されている。中でも貴重な「竹蔗」と呼ばれる種は1661年に先民が中国大陸から持ってきたもので、歴史的にも価値がある。
地方史を研究している李錦和さんによると、サトウキビは先民による万丹開拓の歴史において重要な意味を持ち、それが今日まで特有の農業文化となって残っていると言う。
しかし残念なことに、このサトウキビの種の保存施設のある土地は、加工輸出区として徴収されることになっている。「政府は、地元の人々がサトウキビ保存施設を万丹郷の文物館にしようとしている気持ちを重視するべきです。歴史と生態と学術的価値を兼ね備えたこの施設を残し、地元の生活と結びついた動態的博物館とするべきです」と李錦和さんは言う。
万丹の人々の暮らしは、昔からアズキ、サトウキビ、牧草と乳牛に囲まれてきた。そして労働と生活環境を大切にしてきたことから、興味深い活動が生まれている。例えば、かかし芸術コンクール、サトウキビ畑絵画コンクールなど、コミュニティと生活と親子活動を融合させた文化活動がある。
かかしは農家の人々に代って鳥を追い払い、農作物を守るための道具だったが、時代は変り、かつてのような実用性はなくなった。しかし、かかしは農村の中で最も身近な図画工作の教材で、環境にも優しく、新しさもあるということで、インスタレーションになるのである。下蚶庄に暮らす95歳の郭先進さんは、このコンクールを楽しみにしている。昨年は郭さんの作品が入選し、今年は特優賞を三つも取った。その作品「教師と生徒」には、わらで人形を作る技術が若者へと受け継がれていくようにとの願いが込められているそうだ。
このように万丹の文化活動が盛んになったのには、地元の人々が自発的に開いたホームページの貢献が大きい。万丹キリスト教長老教会が運営する「万丹郷音」サイトは、コミュニティサイトとして万丹の文化、地理、歴史、生活情報などを提供し、地元を愛する知識人には討論の場も提供している。これは、すでに全国コミュニティサイト・コンクールの大賞を何度も受賞しており、万丹の人々の大きな誇りとなっている。
有名な「百年万丹教会」も文化的価値のあるものだ。この教会の百年の歴史は清朝の光緒年間にまでさかのぼる。当時、屏東一の豪商で酒と砂糖の商売で大きな利益を上げていた李仲義が万丹に来ていた潘牧師と知合い、自分の土地を提供して竹造りの福音堂を建てたのである。その後、時代を経るに連れて竹からレンガに改築され、1980年代の初めに今の欧風の城のような姿になった。これは万丹の百年来の宗教文化の歴史を伝える建築物であり、観光名所にもなっている。
文化の産業化という面でも成功している万丹だが、政府と民間との間では、まだコンセンサスが得られていない。中央政府は長年にわたって南部より北部の開発を重視してきたが、屏東県は台湾の最南端に位置し、また農業県であるため県の収入も豊かではない。そのためハード面の建設だけでなく、ソフト面も不足しており、屏東の人々は「常に後回しにされてきた」という不満を抱いている。そうした中で、主要な農業の町である万丹が抱える課題は、屏東県全体が直面している問題の縮図とも言える。
屏東県の蘇嘉全県長(知事)は支持率が極めて高く、積極的に施政に取り組んでおり、万丹に「貯蔵加工輸出区」を設置する構想を打ち出しているが、地元では意見が分かれている。学業を終えて万丹にUターンしてきたある若者は、この構想には反対で、万丹は大都市である高雄の近郊に位置するのだから、文教住宅地にするべきだと考えている。万丹は加工輸出区としての条件を備えていないと考える彼は、高雄の衛生都市として良好な生活の質と交通の便利さを強調し、高雄のサラリーマン層の住宅地となれば、地元の人々の就職の機会も増え、町の機能も高まると考えている。
万丹の将来に関する議論の中には不安と期待が入り混じっているが、そうした中にも、万丹、そして屏東の明るい未来が感じられるようだ。
万丹メモ
万丹郷の面積は57平方キロ、屏東平野の南部に位置し、西は高屏渓、北は屏東市に面している。漢人が移住してくるまではシラヤ平埔族の居住地だった。
清の時代には鳳山県の管轄下にあり、日本統治時代には一時阿猴庁が置かれたが、その後は高雄州東港群万丹庄に改められた。台湾が祖国に復帰してからは高雄県に属したが、1950年に屏東県万丹郷となり、今日にいたる。
万丹郷はかつて長寿の里として知られ、5万余りの人口に90歳以上の高齢者が38人もいた。
万丹についての詳細は、http://www.pthg.gov.tw/または「万丹郷音」http://wantan.tacocity.com.tw/wantan/tan.htmを参照。

アズキ餡の入った焼き菓子は万丹の名物で、余所から訪れた人々にも人気がある。

万丹の住民の多くは農業と畜産業を兼業している。

労働と生活を大切にする万丹の人々は「かかし芸術造型創作コンクール」を催しており、地元農家のお年寄りも創意を発揮している。(李錦和撮影)

地中から吹き出した泥火山も万丹の観光名所の一つだ。

労働と生活を大切にする万丹の人々は「かかし芸術造型創作コンクール」を催しており、地元農家のお年寄りも創意を発揮している。(李錦和撮影)

生態と歴史の両面で価値があるサトウキビの種の保存施設がある土地が、加工輸出区のために徴収されようとしており、地元の文化運動家はこれに反対している。