狩人の古道、タイヤルの美
梨山へはまず環山と佳陽の集落を通り、沿道風景もナシやカキの木に変わった。参山国家風景区管理処の推薦で、我々取材チームはタイヤル集落のお年寄り、張有文さんを訪ねる。松茂集落にある玄武岩秘境と蒐鹿歩道を案内してもらうのだ。
環山集落出身で今は松茂集落に住む張有文さんは、参山風景区のガイドだったが定年退職している。彼はこう語った。台湾大地震以来20年間、梨山を過ぎた地点から中部横貫公路が不通になっているが、これはある意味で転機ともなった。梨山に来た観光客がここで1泊してくれるからだ。
張さん経営の民宿「谷慕的家」では、まず客をオート三輪に乗せ、山の中腹にある家に連れて行き、張さんが釣ったタイワンクチマガリや豚肉料理を食べてもらう。「これで先住民の生活もさほど遅れていないと気づいてくれる」と笑った。
70歳の張さんはバイクに乗り、昔の狩り道「蒐鹿歩道」に案内してくれた。台七甲線66.5キロ地点にある大剣山登山口から入った砂利道はクロスカントリー・サイクリングに最適だ。途中、厚く積もった「松葉絨毯」の上も走る。道は1920年頃に日本軍が先住民を虐殺した場所まで続く。
大甲渓渓谷を俯瞰するようになると玄武岩秘境は目の前だ。崖の急な小道を下って谷に下りられる。張さんは得意の口琴を鳴らし、4バージョンあるタイヤルの起源神話を聞かせてくれる。だが何より衝撃だったのは九死に一生を得た話だ。
張さんは昨年(2019年)3月にここに釣りに来てうっかり足を滑らし、70メートル下の谷に転落した。「切り立った岩がごろごろしていた中で、たまたま落ちたのは唯一の石板の上でした。神に懸命に祈りました。全身がひどく痛み、携帯電話もなく人影も見えず、2時間かけて150メートル這って上がり、助けを求めました」病院で診てもらうと肋骨が5本折れていたという。
張さんの話に生命の大切さと強靭さを感じ、終点の梨山賓館に向かう道を邁進できた。
帰宅する車中で何気なく手にした本に、南唐の詩人、李後主の「長相思」があった。「一重の山、二重の山。山遠く天高くして煙水寒し、相思して楓葉あかし。菊花開き、菊花損なわるる。塞雁高飛するも人未だ還らず、一簾風月しずかなり」連山や紅葉、菊が今回の旅と重なる。だがこの詩のように秋を嘆く思いはなく、むしろ千年の神木の霊気や霧の山に抱かれてエネルギーを得たようだ。すでに次の旅へと思いは馳せている。
雪山登山口にある貯水池。水面に映る景色も美しく、絶好の撮影スポットだ。(荘坤儒撮影)
蒐鹿歩道に続く「松葉の絨毯」の上を走れば、気持ちもリラックスする。
上空から見降ろした松茂集落。遠くに見える中央山脈の稜線が美しい。
右からイスラエル人のガノーさんとイーサンさん、日本人の春田篤志さん。彼らは自転車の旅をするために台湾を訪れ、『台湾,用騎的最美(台湾、自転車で行くのが最も美しい)』の作者・陳忠利さん(左)がリーダーを務めていた。