台湾が世界で最も競争力を持つスポーツ種目は何か、それは綱引だ。
台湾の綱引チームは世界トップレベルの大会で2004年からすでに数10個の金メダルを獲得、中でも女子インドア綱引はアジアカップとワールドカップでそれぞれ5連覇、4連覇の成績を上げている。
これら栄光の陰には、あまたの選手やコーチによる血と汗の物語が存在する。
審判の手がさっと振り下ろされてゲームが始まると、両チームの選手が掛け声とともにドミノ倒しのように一斉に体を傾けた。極限まで引かれた弓のように体を引き、顔から汗をしたたらせている。分厚いタコのできた両手で、彼女らは懸命に勝利への綱を握る。
割れんばかりの声援の中、綱には両側から渾身の力が掛かり、ほとんど停止したかのようだ。だがその数秒後、相手チームの足がわずかにずれたのを見逃さなかったコーチの指示で、こちら側がじりじりと後退を始めた。
こちら側の掛け声がテンポを速めると、相手側の足並みが次第に乱れ、ついにはラストスパートの声となり、相手はなす術もなくずるずると引っ張られてしまった。

一面にタコのできたてのひら。腰にも綱で擦れた傷が絶えないが、これは綱引選手の勲章でもある。
これは、2013年全国体育委員会カップ綱引選手権大会決勝戦の様子だ。最も注目を浴びたのは女子540キロ級で、参加5チームには、世界大会で幾度も金メダルを獲得している景美女子高校と大里高校の現役生や出身者がそろい、世界チャンピオン決定戦と言えるほどだった。
リーグ戦によって残ったのは、大里高校、明道大学、台湾体育運動大学、台北市立体育学院の連合チームである「大里聯隊」と、景美女子高校、師範大学の連合チームである「景美聯隊」だった。綱引は体力消耗が非常に激しいため、リーグ戦を勝ち残った選手たちはとりわけ忍耐力や精神力、攻守のチームワークが試される。これらでまさった景美聯隊が最後に2対0で大里聯隊を下し、2013年ワールドゲームズへの出場権を得た。
「大きなプレッシャーでした」試合前は緊張した面持ちで一言も発しなかった景美の郭昇コーチは、試合後にやっと笑顔を見せた。
「景美はワールドカップで金メダルを4個取っています(2010年及び2012年のイン・アウトドア選手権)。今度は初のワールドゲームズ出場となり、台湾は3連覇をねらいます」と郭コーチは語った。
幾度も世界制覇を果たした景美女子は誰もが認める「台湾の星」である。だが景美が活躍する以前から台湾の綱引チームは世界が認める強者だった。
「知らない人が多いですが、現在台湾で最も成績の良い団体種目は綱引です」と中華民国綱引運動協会の卓耀鵬・事務局長は誇らしげだ。

景美女子チームの事績は映画『志気』に再現され、2013年の春節に公開される。
台湾の綱引の歴史をひもとくなら、まず競技としての綱引の変遷から語るべきだろう。
団体の力比べ競技として綱引は長い歴史を持つ。最も古い記録は、紀元前2500年のエジプトの墓の壁画に残る。
中国では春秋時代に出現する。古くは船同士の戦いで必要とされた技だった。後に陸上での訓練に用いられるようになり、やがて祝いの席での娯楽競技として催されるようになった。
盛唐の時代になると、中宗、玄宗などの皇帝が「千人綱引」を催し、朝貢に訪れた使節に国威を示した。文人の薛勝も「抜河賦」と題し(「抜河」は綱引)、手に汗握る競技の様子を詠っている。
唐以降は民間にも広まり、移住とともに台湾にも伝わった。シンプルで団結力を培え、短時間で勝負が決まるといった特質から、農業社会では最もよく行われる催しとなり、遊び方も発展した。かつて台湾の田舎でも盛んだった「拉索仔」(二人が綱を腰に回し、片手で引き合って足の動いたほうが負け)は、綱引の別バージョンと言える。

綱引ではチームワークが何より重視され、チームそれぞれに独特の掛け声がある。写真は体育委員会杯の男子500キロ級で優勝した宏仁中学のチーム。
かつての台湾では綱引は、娯楽や運動会などの余興として行われており、厳格なルールのあるスポーツと見なす人は少なかった。
だが西洋では、15世紀にはフランスですでにスポーツとして盛んになり、後にイギリスでも選手権大会の一種目となった。
現在正式種目である8人制綱引もイギリスで始まり、1900年の第2回パリ・オリンピックでは陸上競技の一種目となった。ただルールが統一しきれず、もめることが多かったため、1920年の第7回オリンピックで種目からはずされた。
幸い、世界中に愛好者が多く、イギリスやオランダをはじめとするヨーロッパの14ヶ国によって1960年に国際綱引連盟が組織され、インドア綱引の規則が統一、8名の選手の総重量によって階級も分けられた(400~720キロ、10階級)。
日本では綱引はアウトドア競技だったが、1980年にはインドアでも行われるようになり、1990年からはインドア、アウトドアともに国際競技種目となって、綱引はよりメジャーで難易度の高いスポーツになった。

景美女子の綱引チームはワールドカップで4回にわたって金メダルを獲得している。写真は2012年9月にスイスで開かれたワールドカップ。
8人制綱引を1992年に台湾へ導入した功労者の一人は、台湾体育界の長老的存在、呉文達氏だ。生涯を台日スポーツ界の交流に捧げ、日本の旭日中綬章を受賞している。
当時、呉氏は、ルールが明確で勝負も速くつき、年齢や場所、社会階層などの制限を受けない綱引に注目していた。また、重量別制があることも、体格的に不利な台湾選手にとって発展の余地がある。そこで中華民国綱引協会を設立し、各学校で広めることにした。今や名を馳せている景美女子高の綱引チームもこの頃に設立されたものだ。
国内で綱引が盛んになってきたことから、台北市は台北文化基金会との共催で1997年、ギネスブックの世界記録に挑戦しようと、1万人綱引を催した。しかも唐の時代の文献『封氏聞見録』を参考に、古色豊かな編み方にのっとった綱を用いた。ところが、ゲーム開始後まもなく綱が突然切れたことで数十名が負傷、うち二人は綱によって腕が引きちぎられる大惨事となった。
この事故について中華民国綱引協会の卓耀鵬・事務局長はこう語る。試合では綱には強大な力がかかるため、国際試合では綱の材質や直径、長さなどに厳格な規定があり、変更は許されない。だが当時の台湾はそうした安全性への配慮が欠けていたため悲惨な事故につながった。
女性闘志たちこの事件を教訓に1988年から教育部は国際ルールにのっとった綱引を積極的に広め始めた。毎年、小中高で綱引き大会を催すだけでなく、審判やコーチの養成も行うなど、学校での8人制綱引の普及に努めた。その結果、現在、綱引大会に参加するチームは数百に上っている。
次の目標は、世界だった。
蔡三雄牧師は台湾代表チームのコーチを務めたことがあり、景美女子の郭昇コーチや南投高校の陳健文コーチなどを育てた人物だ。蔡牧師によれば、最初の頃は台湾の成績はあまりよくなかったが、選手もコーチも意気消沈することなく、挫折の中から実力を蓄えていった。
2000年には台湾女子チームがワールドカップのインドア綱引で6位になり、初めて国際的活躍を見せた。女子チームは数年でさらに腕を上げ、ワールドカップやアジアカップの常連チームとなっただけでなく、2005年のドイツワールドゲームズ及び2009年の高雄ワールドゲームズのインドア520キロ級で優勝している。
恐るべき忍耐力の台湾チーム体格では欧米選手にかなわないのに、どうやって世界大会で勝てるのだろう、と思う人も多い。
「綱引は、攻めよりも守りの大切な競技です」と卓耀鵬さんは語る。競技中、選手は体をほぼ仰向けにし、両足に力を集中させて綱と体のバランスを保っている。時間が長引いて筋力が持たなくなると足や姿勢がずれ、綱を引く全体の力も弱まる。それはまさに相手が攻勢をかけるチャンスになる。
「綱引に必要なのは、筋力というより持久力です。筋力は先天的に決まる部分もありますが、持久力や忍耐力は厳しい訓練で養えます。これが台湾の強みです」と卓さんは言う。ワールドカップでの景美女子の試合を見ても、序盤は劣勢でもセンターラインの10センチまで来るとそれ以上は動かない。それどころか、攻めで消耗した相手のすきを突き、一気に攻勢に出て勝利をつかむのだ。
また、台湾女子チームは日頃からよく男子チームと練習試合を行なっている。国際試合で、体格の一回り大きい欧米選手に打ち勝つためだ。
「ただ男子チームは、国内で自分たちより強いチームを見つけて試合するのが難しく、成績が女子ほど振るいません」と卓さんは分析する。
哲理に富むスポーツ現在、台湾の綱引代表選手の8割は、家庭の経済状況がかんばしくない。そのうち多くが学業成績も振るわず、体格や運動能力の面でも球技或いは陸上選手ほど優れていない。そのため綱引を選ぶことが、彼らにとって唯一の進学の道になる。
だが進学のためだけで情熱がなければ、綱引は続けられない。「若い女の子が、両手をタコや傷だらけにし、試合に合わせて減量したり太ったりもしなくてはならないのですから」と卓さんは言う。
景美女子の郭コーチも、球技ならゴールを決めてすぐ快感が得られるが、それに比べ綱引は単調なスポーツだと指摘する。だが、選手同士の暗黙の了解や絆という点では他のスポーツに大きくまさっているともいう。
「綱引では個人プレイはあり得ず、互いの力を合わせなければ勝てません。『チームメイトが1秒でも長く踏ん張れるよう助け合う』という精神で、困難克服の訓練や体重制御なども部員同士が手を差し伸べ合います。こうした『皆で共に』培った絆があれば、どんなに練習がつらくても離れ難くなるものです」と郭さんは言う。
つまり、綱引には深い哲理がある。突出したヒーローは生まれないが、チームのための「大我」がある。引くことで攻め、守りを重んじる特質は、禅の「退却は前進なり」に通じる。
とっくにこうした哲理を会得しているからこそ、台湾選手たちは試合や人生で、勝利を一つ一つ得てきたのかもしれない。