少年野球魂復活、ウィリアムズポートに返り咲く栄光が、この夏再現された。2009年リトルリーグ・ワールドシリーズでの準優勝に続き、桃園県亀山小学校による中華代表少年野球チームが、8月中旬再びウィリアムズポートに乗り込んだ。結果は理想どおりではなかったものの、2度ウィリアムズポートまで進んだチームは、台湾の近年に得がたい野球伝説を創り出した。
夏真っ盛りの7月に山の中腹にある桃園県亀山野球場へ来れば、青シャツに白ズボン、帽子のCT (Chinese Taipei)の刺繍が目立つ子供たちが、汗だくになって投球、打撃、送球、走塁と、単調そうな動作を繰り返している。

夜間練習のために亀山小学校は台北市の青年公園で台北市チームと交流試合をする。李政達コーチ(右)が弱点を指摘して指示を出す。
疲れた?キツイ?大人が気遣うたびに、浅黒く引き締まった子供は首を横にふり、はにかんだ微笑を返してくれる。「優勝できる?」と問うと、照れは気迫に換わる。「もちろん!」とわざわざ言いに来る子もいる「アメリカで兄さんの仇を討つからね!」
アメリカ・ウィリアムズポートで行われるリトルリーグ・ワールドシリーズへ2度乗り込み、近年最高の成績を収めた桃園亀山小学校野球部である。近隣に多数の工業地帯が控え、桃園県亀山郷は雇用機会の多さから、アミ族、ブヌン族といった原住民族が集中する。故郷を離れて働く親は忙しく、放課後面倒を見る人のいない子供が街をうろつく。
放課後行き場のない子供のために、亀山少年野球部の創設コーチで、当時同校で体育教諭を務めていた陳正博が、台湾省立体育専科学校(現国立体育運動大学)の後輩・李政達に声をかけ、2002年に亀山小少年野球部を結成した。李政達はかつて江柏青、林柏佑、耿伯軒といった有名選手を育てている。
野球部は「タダの学童保育」と笑う陳正博は、原住民の子供は体格に恵まれ、運動を好み、保護者も漢民族のように過保護でなく、辛抱強いという。勉強の成績がよくない子でも、野球が自信と達成感を取り戻す力になっている。

MVPの李承風(左)とエースの陳俊孝(右)は今回の代表チームの主力である。選手たちは強い日差しを浴びつつ、日々練習を重ねている。
だが、野球の歴史がなく、リソースも限られる亀山小が野球部を作ることは容易ではない。学校にはそれらしいグラウンドもなく、標準野球場などあり得ない。子供たちは狭いバスケットコートや粗末な地下室のバッティング場で練習した。スライディングすればズボンが破れ、ボールを捕ればバスケットボードに当ったが、それがいつものことだった。
また、コンクリートの地面での練習は、標準野球場の土や芝生の代わりにはならない。環境も摩擦係数も大きく違い、ボールがバウンドする角度と高さに影響する。また、選手の走塁速度と視線(ラインが引かれたバスケットコートは、広い野球場より捕球しやすい)にも、明らかな差ができる。
実戦環境の感触を真似るために、陳正博と李政達はなんと、学校の講堂に帆布とビニルシートを敷き詰め、上に砂を敷いて水を撒き、走塁とスライディングが練習できるようにした。そして、台湾で最も「交流試合」をしたがるチームになった。交流試合でなければ、本物の野球場に立てないからだった。
子供たちの土への渇望を知っていたから「土集め」でモチベーションを上げる。試合に行ったら勝敗や規模に関らず、必ず球場の土を手に入れ、ガラス瓶に詰め分けてコレクションした。勝てば記念になり、負けた時には自分に檄を飛ばした。
2009年、亀山小は国民の期待を背負って、13年ぶりのウィリアムズポート・リトルリーグ・ワールドシリーズ決勝に進出したが、3対6で惜しくもアメリカ西部チームに破れ、小さな代表選手たちは涙にくれた。それでも忘れずマウンドの土を一掴み持ち帰り、「リベンジ」を誓った。映像が台湾に伝わると、テレビの前でファンは心を痛めた。

長年の厳しい訓練を経て実力をつけてきた亀山小学校野球部に、台湾のリトルリーグ栄光の夢が托されている。
うれしいことに、亀山小は優勝こそ逃したが、あきらめを知らない戦いぶりによって土への夢が実現した。郷役場が廃棄物埋設場の跡地を整備して野球場にしてくれたのである。行政院体育委員会も学校に助成金を出し、バスケットコートを内野野球場に改造した。「子供たちが汗で勝ち取ったギフトです」と亀山小監督・李政達は自慢げに言う。
名もなき頃から海外に名を馳せるまでの十年の軌跡を振り返ると、亀山野球部は成立当初、大志を抱いて大きな目標を掲げたのだった。「1年後に県優勝、3年以内に全国3位以内、5年後には全国優勝、7年後には国代表チームに」不可能と思われたミッションを、辛い練習に耐え、士気の高い選手たちが代々引き継ぎ達成していった。
奇跡を生み出すカギは、着実な基本トレーニングにある。興味がある子供は小3、4で入部する。それからは放課後も土日も夏休みも冬休みも、苦しい練習を続け、普通とは違う子供時代を過ごす。初めて野球に触れる子供は白紙と同じで、投球、捕球、打撃の分解動作から練習する。投球前には足を上げ、手を引き、体を回転させ、腕を振るといった動作を身につける。そして重心を下半身に集中する練習をすることで、速く遠く、疲れにくく投球できるようになる。打撃の姿勢も、まず腰の回転、バットの振りを練習して、バットが目に代わって「ボールについていく」テクニックを身につけて、やっと徐々にボールの芯を捉えるコツをつかんでいく。
李政達は、子供たちの素質は均一ではなく、早ければ1~2週もすればボール勘が分かるが、遅い子は長期間練習を積まなければ、体の協調性と爆発力を呼び覚ませないという。基本練習が一段落すると、今度は選手個人の長所を活かしてポジショニングする。通常3、4年生の間に守備位置を三、四ヶ所試し、5、6年生でポジションが決まっていく。

「ありがとうございました!」と子供たちはグラウンドに頭を下げる。ようやく使えるようになった亀山郷野球場への感謝の思いは絶えない。
「野球のポジショニングは布石のようなもので、選手を適切な場所に置けば、上達の余地と達成感が大きくなります」李政達は例を挙げる。足が速く、フライ球の空間感覚がいい選手は外野手に向く。スピードは遅くても、捕球とゴロの対応能力が優れた選手は、捕手や一塁手に最適だという。
ゲームの核心となる投手は、頭脳明晰、手足が長く、体の協調性が特に優れた「天性の使い手」である。そのうえ球速が速く、コントロールもでき、危ない場面でも慌てず処理できるなら、相手チームに恐れられるエース投手になる。
亀山野球部の主力サウスポー・陳俊孝がそうだ。アミ族出身の彼は彫の深い大きな目と爽やかで魅力的な笑顔の持ち主で、後輩の女の子たちが憧れる。叔父の陳智弘は兄弟エレファンツのエース投手で、野球は家族の伝統になっている。李政達によると、ストレートとカーブが得意な陳俊孝は、2009年ウィリアムズポート遠征の主力投手・宋文華ほど身長はないが(当時宋は170cmを超えていたが、陳俊孝は現在約160cm)、左投げ、制球力、ボールの伸びなど優秀な投手の特質を備え、球速も110km/hを超える。更に「心臓が強」く、点差をつけられても冷静に投球できる。数々の国内大会の決勝戦で先発を務め、華々しい成績を収めてきた。「俊孝はウィリアムズポート遠征のダークホースです」

MVPの李承風(左)とエースの陳俊孝(右)は今回の代表チームの主力である。選手たちは強い日差しを浴びつつ、日々練習を重ねている。
主力投手が、なぜダークホースなのか。
実は今年4月、陳俊孝は家でボールで遊んでいて左手を折ったのである。大会で投げられないことを恐れ両親にも言わず、翌日学校に行く時になって痛くて堪らず、手も腫れてやっと先生に知らせた。 「呆れましたね。これほど我慢するとは」陳正博は陳俊孝を連れて病院を巡った。「黄金の左手」を石膏で固め、ボランティアコーチとリレーで「カエルの麹煮」等、筋骨修復作用のある漢方の栄養食を作り、快復を願った。
2~3週間後には全国代表大会が始まる。コーチ陣は悩んだ。陳俊孝に出場させなかった場合、ウィリアムズポートの規定で、アジア太平洋の代表権を取得しても競技記録が中断していれば代表チームの一員になれない。万一出場できなければ、チームの戦力は大幅に低下するばかりか、長い間準備して自身も期待していた陳俊孝にとっても残念である。コーチ陣は結局、石膏を前倒しではずすよう医者に頼んだ。出場時にはわざと三振を取られたり、フォアボールで塁に出る等の作戦で、左手をかばった。
野球はチームスポーツだから、主力サウスポーのケガは確かに一大事だが、他の投手が頭角を現す機会でもある。例えば今年リトルリーグ・ワールドシリーズ・アジア太平洋選手権でMVPを獲得した先発右投手・李承風は、対グアム戦で6イニング完投、14三振という輝かしい記録をたたき出した。
陳俊孝が徐々に回復に向かい、他の投手も素晴らしい成績を収め、どうなることかと心配したコーチ陣もひとまず安心した。「アジア太平洋選手権では、陳俊孝は最後に香港戦で1.2イニング出ただけですから、彼のコースの研究は難しいでしょう。彼は強豪の日本戦で出すつもりです」李政達は言う。

MVPの李承風(左)とエースの陳俊孝(右)は今回の代表チームの主力である。選手たちは強い日差しを浴びつつ、日々練習を重ねている。
起死回生の陳俊孝のほか、キャプテンの林凱鈞もコーチに「野球中毒」の代表と言われている。
幼い頃から喘息の彼は、両親に一度は野球を反対される。だが兄の林浩瑜が2009年にウィリアムズポートで見せた勇姿に憧れ、両親に頼み込んでついに「体に気をつける」「教科は全部90点以上」を交換条件に、4年生後期にチーム入りした。
スタートが遅い分、林凱鈞は誰よりも真剣だった。コーチに基本動作とウォームアップの強化を願い、冬に息苦しくなる持病の克服を試みた。鍛えたせいかこの2年喘息の発作はほとんどない。手足が長くスピード感がある彼は、どんどん伸びた。今年5月には、謝国城盃全国少年野球選手権(アジア太平洋地域台湾代表権大会)で、打撃、打点、ホームランの三冠王となった。今回は1番打者に編成され、中華代表チームの先鋒として先制攻撃を狙う。
ニックネーム「赤ずきんちゃん」の内野手・曾信豪と兄の曾信翰(2009年ウィリアムズポート遠征のメンバー)は、長い間宿題をしなかったため2人とも退部処分になった。だが後に陳正博が、兄弟がうらぶれて弁当を提げて遊び歩いているのに会い、放っておけずに監督の李政達を説得したのだった。
やっとチームに戻れて、兄弟はきちんと宿題をするようになった。その話をすると、曾信豪は恥ずかしそうな笑顔を返した。「野球のためなら、宿題だってやっつけなきゃ」チームメイトが冷やかす。

勝敗は別として、世界各国のグラウンドから持ち帰った土は亀山小学校野球部メンバーのお守りとなっている。
野球場のない日々から、亀山野球部の道のりには、陰で支える恩人がいた。
「うちは全員、ワコールパンツの愛用者」陳正博がいたずらっぽく笑う。ワコール董事長の陳国鎮は亀山小の卒業生で、資金が足りない時には、彼を訪ねれば一も二もなく援助してくれた。陳国鎮は、子供たちが原住民の民族衣装を着て余興プログラムを練習していたときに、色柄がバラバラのパンツが見えたため、下着が見えても「整然と揃う」ようにとワコールの男性用パンツを10ダース寄付した。
亀山郷元郷長・呂学記と元・新北市教育局職員の羅華齢は亀山少年野球部の大ファンで、毎回自腹で海外遠征に付き添う。試合一ヶ月前には、ステーキをご馳走したり子供たちの好きなカレーを作ったりする。身長が伸びて体重が増え、「大砲」型の欧米選手に立ち向かう自信をつけてほしいと願う。「きっと先輩たちの夢をかなえてくれます」2009年の敗戦の話になると目が潤む羅華齢はしみじみ語る。
少年野球は台湾の野球界で最も純粋な領域である。暴力団の介入も、利益の打算も、騙し合いもない。あるのは心の内から湧き出る野球への愛だけである。全力を尽くし、一つひとつの激しく爽快な対決を迎え、亀山の小さな英雄たちが、自らと台湾のために野球の伝説に新たな一ページを記していく。

MVPの李承風(左)とエースの陳俊孝(右)は今回の代表チームの主力である。選手たちは強い日差しを浴びつつ、日々練習を重ねている。

2011年、亀山小、仁善小、中平小、大勇小による桃園県連合チームが第51回ポニーベースボール(ブロンコクラス)世界大会で優勝した。

MVPの李承風(左)とエースの陳俊孝(右)は今回の代表チームの主力である。選手たちは強い日差しを浴びつつ、日々練習を重ねている。