環境行動チームが汚染事件を摘発
当時、活動の方向性を模索していた台南社区大学は、黄煥彰の加入により環境保護を主軸とした路線を定めた。これにより「台湾環境の物語」「地球市民の12講義」等の課程を開設するとともに、環境行動チームを設置し、環境問題の調査を開始した。
2004年に、中国石油化学工業公司台南安順工場(中石化安順工場と略称)がダイオキシン汚染を起こしたが、黄煥彰と社区大学との調査により4年後に表沙汰となって、台湾環境史における重要な事件となった。
2000年に、黄煥彰は台南県鹿耳門付近の中石化安順工場で自然の美景を撮影していた。一面のススキ原は美しかったが、そこに異常が隠されていたのである。放置されて20年の土地には様々な雑草が繁茂し、生気に満ちているはずなのに、このススキ原にはススキだけで他の植物が生えていなかった。調査の結果、この土地が汚染されていることが分かったのである。
黄煥彰は自然・生態学コースの晁瑞光と共に、中石化安順工場の歴史資料を集め、ここが日本時代には日本海軍の苛性ソーダ、塩酸、毒ガス工場であったことを知った。
戦後になって、まず会社は国営化され、農薬や防腐消毒用のペンタクロロフェノールナトリウムを製造していた。1982年に経済的理由から生産停止となり、中石化公司に吸収されたが、ペンタクロロフェノールナトリウム製造で派生したダイオキシンが食物連鎖に残され、環境に危害をもたらしていたのである。
この時、黄煥彰は中石化の廃棄物投棄の証拠を握っていたが、それが住民の健康を害していることを証明できなかった。それがある日、鹿耳門近辺の廟に行くと、町会長の林進成が血液検査報告書を手に救いを求めに来ていた。そこで黄煥彰は、近辺の住民の血中ダイオキシン濃度が他の地域の数十倍に上ることを知った。
地下に埋もれて20年のダイオキシン汚染問題が表面化したのである。

台南の山林では、社区大学の教員と受講生が土壌保全状況などを調査する姿が見られる。