1玉の上にまた1玉。子ども時代のアイスの楽しみはまさにこの素朴さにあった。
「パポー、パポー」と遠くから音が響いてくる。この音が、焼けつくような午後、熱中症になりかけた人を救い、失せかけていた食欲を呼び覚ましてくれる。駆け寄ってみれば、屋台の店主が、手にしたアイスクリームディッシャーで、ふんわりとしたタロイモ、甘さの中に豆の舌ざわりを残す花豆、そして淡い黄色のバニラアイスをすくい上げる。冷たいアイスで暑さを打ち払うのは、何と爽快なことか。
この夏は、お洒落なジェラートでも、欧米ブランドのアイスクリームでもなく、昔懐かしい台湾式アイスクリーム、通称「パポー」を味わってみてはいかが。
台湾の日本統治時代の社会生活に焦点を当てた著作で知られる作家・陳柔縉さんは、『喜事台灣』の中でこう考証している。製氷機は西洋人の発明で、アイスを食べることは、かつてはきわめてハイカラな舶来体験だった。台湾人が初めてアイスを口にしたのは日本統治時代のことで、日本人が製氷工場を設立して氷を生産し、アイスクリーム製造の技術も持ち込んだ。
アイスは単に暑さをしのぐおやつにとどまらず、四季を通じ人々の暮らしに寄り添う「涼やかな癒やし」として存在してきた。
今回の主役は台湾式アイスクリームだ。欧米諸国で一般的なアイスクリームといえば、バニラやチョコレートといった味が定番だろう。だが台湾のアイス店に足を踏み入れると、タロイモ、小豆、パイナップル、リュウガン、ピーナッツ、砂糖漬けのスモモと、地元の食材を生かし、より自然な風味が前面に出ている。伝統的な台湾式アイスクリームに乳製品は含まれず、代わりにデンプンを混ぜて成形を助け、口当たりを軽やかにしている。また、台湾人の創意工夫によって、豚肉でんぶや豚足、麻油鶏(鶏肉を米酒とごま油で煮たスープ)、バジル、ニガウリまでもがアイスクリームに変身してしまう。突拍子もなく思えるが、ひと口味わえば意外な驚きがある。
今回、私たちは台北の老舗アイスクリーム店「永富冰淇淋」と「雪王冰淇淋」の2店を訪ねた。時を重ねるにつれて味わいを増す老舗の物語と人情をともに味わってみよう。

「パポー」と響くアイスの屋台、真鍮のアイスクリームディッシャーは、民国40~50年代(1951年から1970年)生まれの台湾人にとり共通の記憶だ。(外交部フォトライブラリー資料)
永富アイスクリーム

懐かしの「パポー」

伝統的なタロイモアイスは、夏に心地よい冷たさを提供してくれる最高の清涼剤だ。(外交部フォトライブラリー資料)
旧市街の名所
台北の旧市街・萬華にある「永富冰淇淋」は1945年創業、80年の歴史を誇る地元に根付いた老舗だ。台湾を外国人に紹介する歴史ガイドツアー「Like It Formosa 行こう、フォルモサへ」でも旧市街の散策コースに組み込まれており、毎日午前11時半頃になると、外国人観光客の一行が店に入ってきて、台湾式「パポー」の味を体験する。その日の売れ筋がタロイモか、はたまたスモモかは、ガイドのすすめ方次第だと、2代目の黄素真さんが笑顔で日常を語ってくれた。
朝一番、3代目の呉東霖さんがバイクに乗って出来たてのアイスを運んでくる。何度も往復してようやく9桶のアイスを冷蔵庫に収める。10時にシャッターを開けると、すでに数人の客が外で待っていて、開店と同時にアイスクリームディッシャーが止まることなく動き続ける。
アイスといえば子どもの楽しみかと思いきや、意外にも年配の客も多いという。黄さんによれば、コロナ禍前にはピーナッツ味が大好きな男性が毎日通っていたそうだ。さらに黄さんは「今日はタロイモおじさん来た?」と振り返って尋ねる。「タロイモおじさんはYouBikeでやって来て、午前に二杯食べ、午後思い立ってまた来ることもあるんです」。創業者の呉永富さんの時代から食べ続けている年配客も多いそうだ。1玉のアイスがこうした人たちを無邪気で幸せな子ども時代へと連れ戻してくれるのかもしれない。

3色アイスの味わい
昔ながらの3色アイス(タロイモ・小豆・卵)は永富の看板商品だ。ただし「卵」といっても実際にはバニラ味だ。創業者である東霖さんの祖父が日本人に製法を学んだ当時、「バニラ」という日本語が何なのかわからず、出来上がったアイスが卵黄のような黄色だったため、卵味と勘違いしてそのまま定着してしまったという。伝統の3色アイスのほかにもピーナッツ、スモモ、イチゴ、パッションフルーツ、レモン、リュウガンといった味が揃い、それぞれに根強いファンがいる。
現在アイス作りを引き継いでいる東霖さんはこう話す。「祖父の時代から台湾の食材を使ってアイスを作っていましたし、原料にはとてもこだわっていました」。その方針はいまも受け継がれ、3代にわたって店を支える理由となっている。東霖さんによれば、タロイモは台中・大甲から産地直送、レモンは屏東で搾ったものを台北へ配送、小豆アイスには丸ごとの小豆がごろごろ入り、ピーナッツは炒り直して香ばしさを出し、リュウガンはさらに焙って使うなど、どの素材も手間を惜しまない徹底ぶりだ。台湾の年配者の間ではかつては「一番もうかるのはアイス屋、次が医者」と言われ、アイス販売の利益の大きさを示していたが、黄さんは「うちは違いますよ。タロイモも自分で煮るし、何でも手作りですもの。手間がかかって大変なんです」と語る。
店内の壁には年季の入った真鍮のアイスクリームディッシャーや、ひび割れた古い磁器の碗が飾られており、家族にとっての宝物になっている。黄さんが取り出した古い写真には「3色アイス、3玉で1元」と書かれた屋台が写っている。1967年当時の物価だ。今は3玉55元、薄利多売だと黄さんは説明する。祖父は苦労して育っただけに、誰もが買える値段で幸せな「パポー」を楽しんでほしいと思っていたとのことだ。

壁に飾られたアイスクリームディッシャーと磁器の碗は、永富アイスクリームの宝物だ。
受け継がれるアイス
幼い頃から祖父と同じ布団で眠り、寝物語にアイスの話を聞かされて育った東霖さんは、昔のアイス作りはすべて手作業で、ひと桶仕上げるのに半日かかったと語る。木の外桶と鉄の内桶の2つを重ね、その間に氷と粗塩を詰めて低温を保つ。各家伝来の材料を内桶に入れてかき混ぜると、外側の冷気で材料が桶の壁に霜のように張り付くため、木のしゃもじで絶えず削ぎ落としながら混ぜる。するとだんだんと濃さが増し、やがてアイスクリームができあがるのだ。このような手順も、機械で代用できるようになってからは、大幅に速度が上がったという。
1898年には台北・大稲埕でアイスクリーム販売がされていたという記録が残る。製氷業の発展に伴い、1911年には艋舺・大稲埕一帯でアイス商人が500人規模に達したという。東霖さん曰く、それはすでに機械化と中央工場の時代で、屋台はそこから仕入れて各地で売っていたそうだ。
創業当初の永富さんもまた、屋台を押して街を回っていた。黄さんによれば、貴陽街と昆明街の交差点に4台の屋台が並んでいたが、祖父のアイスはいつも一番早く売り切れて店じまいしたという。屋台を押して去ると、すぐに別の屋台がその場所を占領し、「ここは風水がいい」と誰もが思っていたそうだが、実際には祖父の秘伝のレシピが一番おいしかったというわけだ。
東霖さんは、祖父に「継ぐ気はあるか」と尋ねられたことを覚えている。小学4年生だった東霖さんはあまり深く考えずに「うん」と答えた。その後、高校・大学時代を通じて店を手伝い、父親からも少しずつ製造工程を任されるようになった。1984年生まれの東霖さんは、老舗の未来を背負い、SARSやコロナ禍による不況も乗り越えてきた。さまざまな提携話も舞い込んだが、熟慮の末に「家のアイスを駄目にするわけにはいかない。看板をつぶすことはできない」と決断する。今では祖父から受け継いだこの店を守り、一歩一歩着実に歩みを進めていこうという思いは、胸中から片時も離れることはない。

祖父の屋台の跡地で記念撮影をする3代目・呉東霖さん(左)と2代目店主・黄素真さん(右)。一家は祖父が残した商いを守り続け、昔ながらの味わいを受け継いでいる。
雪王アイスクリーム

3色アイスはタロイモ、小豆、バニラ味。(永富アイスクリーム提供)
ありとあらゆる味がここに

永富アイスクリームは今もタロイモ、小豆、バニラ、ピーナッツ、レモン、イチゴ、パッションフルーツ、スモモ、リュウガンの9種類を提供している。永遠の定番はタロイモ味。
度胸試しを思わせる味
台北・西門町の中山堂向かいにある「雪王冰淇淋」は、1947年創業、すでに78年の歴史を誇る。多彩なフレーバーで知られ、店内の壁には、3代目オーナー高慶豊さんが探し出した創業当初の記事が貼られている。「見てください。1978年の新聞で、すでに豚肉でんぶ、スモモ、しょうが汁、麻油鶏といったユニークなフレーバーが紹介されているんです」と高さん。創業者であり慶豊さんの祖父にあたる高日星さんは、これまでに400種類以上のフレーバーを開発してきた。市場での選別を経て、現在も73種類が提供されている。季節限定のものを除けば、店頭で常時50~60種類のフレーバーから選ぶことができる。
別の壁には人気ランキングが掲示され、タロイモ、スイカ、花豆が上位に入る。慶豊さんは、国によって好みも異なると教えてくれた。「ニガウリやトウキは香港の旅行客に人気です。欧米の人はトウキを知らない人が多いですが、ショウガやシナモンのように日常的な食材なら受け入れやすい。中国からの客は、唐辛子や麻油鶏、豚足といった濃い味を好む傾向があります」とのことだ。
祖父の日星さんが糖尿病の友人のために砂糖を減らして作った塩気のある「豚肉でんぶアイス」は、今も不動の定番だ。「本物の食材を使う」という信念を貫き、麻油鶏アイスには鶏のほぐし肉とショウガが入り、豚足アイスには豚の皮がそのまま入って肉ゼリーのような食感になる。スイカアイスには果肉も種も入り、ニガウリアイスは本物のヒメニガウリを使い、最初は苦く、やがて甘さが戻ってくる。ライチの季節限定アイスは、まるで皮をむいた瞬間のジューシーさをそのまま再現したよう。唐辛子アイスは種まで入っていて、後味の辛さに思わず「辛い!」と声が出る。高粱酒アイスを頼むと、慶豊さんの母親が「(アルコール)58度よ。58度だから酒気帯び検査は通らないかもしれないわよ」と念を押してくれる。

ローカルになるほどグローバル
壁に貼られたもう一枚の記事は、1983年、アメリカの「バスキン・ロビンス」が台湾に進出し、国内のアイス市場を震撼させたニュースだ。どう対応したのかと問うと、慶豊さんは少し考えてからこう答えた。「『ローカルであればあるほど、よりグローバルになる』。これは有名な経営管理の大家が言っていた言葉ですが、祖父はすでにそうした理念を持っていたと思います。地元の食材を活かし、独自のフレーバーを生み出しました。特別な味を堪能できるのは雪王だけ。他では食べられませんからね。私は祖父がローカリゼーションを実践していたと思っています」
古い写真を見ると「豚肉でんぶアイス、麻油鶏アイス、牛肉アイス、豚足アイス」と大きく看板に書かれている。当時から珍しい味を掲げて人々の好奇心をくすぐり、店に入ってもらう戦略だったのだ。結局、注文するのは小豆やタロイモといった定番になるかもしれないが、それでも「集客の仕掛け」になったと慶豊さんは言う。「でも、50年も続けたら、それはもう一時的な受け狙いや小細工なんかではないですよね」

80年の歴史を持つ永富アイスクリームは、萬華の旧市街の名所となっており、外国人向けの散策ツアーでもコースに含まれている。
百年続く老舗めざして
雪王は元々路面店だったが、10年前に2階に移転した。それでも多くの常連客は階段を上って、思い出の味を求めに来る。
雪王に欠かせない昔ながらの味とは何か。慶豊さんは、多彩な味だけでなく、祖父が日本のラーメン店を参考に用意したテーブルや椅子、年代物の氷桶、今も使い続ける巨大サイズのアイスクリームディッシャーといった道具も老舗の要素だと語る。さらに、母と妹が家族のように接する「ざっくばらん」なサービスも雪王の大切な要素だという。「アイスだけじゃ少し物足りない。こういうものが全部そろってこその雪王の味なんです」
雪王のバトンを受け取った慶豊さんは、老舗を再び活性化させようと多くの異業種コラボを仕掛けて、「雪王」の存在を世に示し続けてきた。例えば、ポルシェとコラボし、ショールームで季節限定のアイスクリームを提供する取り組みは、今年で4年目に突入。また、国家両庁院(シアターホール・コンサートホール)とのコラボでは、五香(ミックススパイス)風味のアイスを開発。さらに彰化県鹿港の老舗と協力して塩漬け卵黄入り月餅味のアイスクリームも作った。また、時代に合わせて老舗の制度化・標準化を進め、公式サイトやFacebookページ、LINE公式アカウントを開設し、多様な決済手段にも対応している。
「この店は祖父が生涯をかけた心血の結晶です。受け継いだ以上、できるだけ長く続けたい。1947年創業で今は2025年。あと20数年で百年の老舗の仲間入りができますから」。実はマラソンランナーでもある慶豊さん、ペースを整えて走るように、百年への道も着実に前進している。


祖父が一生の心血を注いだ家業を背負い、雪王を百年続く老舗へと導くべく奮闘する高慶豊さん。

雪王アイスクリームは多彩でユニークなフレーバーで知られている。

「麻油鶏アイス」「豚肉でんぶアイス」「豚足アイス」といった文字が並ぶ古い看板、客の好奇心を刺激して店に引き寄せていた。(高慶豊提供)

スイカは雪王の看板フレーバーで、果肉や種まで楽しめる。

古い看板を再び活気づけるため、高慶豊さんは異業種とのコラボに挑戦し、雪王の存在感を発信し続けている。写真は台北ポルシェセンターとのコラボ商品。(高慶豊提供)

祖父が生み出した73種類のフレーバー、壁に貼られた古い新聞記事、日本のラーメン店を参考にしたテーブルや椅子、そしてカウンター越しの女将のざっくばらんな接客。これらが合わさってこそ「雪王の味」となる。