ルカイの知恵
台24号線29キロ地点にある覆道まで来た。景色の壮観さは「東西横貫公路」にも引けを取らない。31キロ地点で展望台から隘寮北渓の谷全景を見下ろす。遠くには、橋脚の高さが台湾一の谷川大橋が見える。
谷川大橋は霧台郷に通じる唯一の橋で、かつては「伊拉橋」と呼ばれていたが、八八水害で流されてしまった。隘寮北渓の川幅も50メートルから200メートルになったため、より長く背の高い谷川大橋が設計されたのである。長さは元の54メートルから654メートルに、橋脚は99メートルの高さに作られた。この谷川大橋を自転車で行くと、遙か下の隘寮北渓が目に入り、思わず身がすくんだ。
光り輝く風景の中、穏やかな風に吹かれて進むと、山道のつらさも忘れる。霧台はルカイの里で、台湾で最も先住民集落の姿を留めていると、屏東県原住民処の伍麗華・処長が薦めてくれた。台24号線40キロ地点に着くと、頭目や勇士の像が並び、その前が魯凱(ルカイ)文物館だ。同館でルカイの文化について詳しく学ぶ。
頁岩を一枚一枚積み重ねた壁の続く「岩板巷(岩板通り)」や、霧台小学校の色鮮やかなレリーフはいずれも杜勇男さん・再福さん兄弟の手になるものだという。
杜兄弟の父は人間国宝級の彫刻家、杜巴男氏だ。玉山山頂にあった于右任像の台座は、杜巴男氏がセメントを背負って登って作ったもので、像を加えれば玉山の高さは4000メートルだった。息子たちは父の芸術の才を受け継いでおり、霧台の村では親子の作品があちこちで見られる。
兄の杜勇男さんは杜巴男記念館を引き継ぎ、弟の杜再福さんは民宿「卡拉瓦」を経営して伝説や貴族、勇士を描いた彫刻作品を展示している。ただし見学には予約が必要だ。
自転車を手で押して坂道を上ると、岩板巷のランドマーク「霧台長老教会」が見えてきた。杜再福さんによる設計・施工監督で、建築に6年かけた、ルカイの人々の団結と協力の結晶だ。
教会の屋根は、霧台の石板屋(頁岩作りの家)の中で最も急な勾配を持つ。石板を積み重ねる技術や重量の計算方法は、村の年寄りたちの知恵と経験が生かされている。クスノキ製の講壇は、夫婦とも90歳を超える信徒の寄付による。霧台長老教会の盧華英・幹事は当時を思い出しながらこう語った。「このクスノキは、老夫婦の家の横の崖に生えていたもので、10年前から夫婦は教会に寄付したいと考えていたそうです。そうした彼らの祈りを主がお聞き届けになったのでしょう。ある年の台風でクスノキが倒れ、ちょうど夫婦の家の前に落ちてきたのです」
教会の中にある大きなヒノキの十字架は、ある高齢の猟師が、山奥の台東と屏東の県境で見つけた木で作られている。日本統治時代から伐採されずに残っていたのだ。それを村人が往復に4日かけて引いて運んだ。台湾では類を見ないほど巨大なヒノキの十字架で、見上げていると、この教会が村人たちの団結力や奉仕の精神で作られたことがしみじみと感じられる。しかもこの十字架作りにまつわる苦労の物語は立体彫刻となり、教会の外の階段に沿って並べられている。
「瑪家穀倉」のシェフ、廖秀美さんが手にする祈納富(チナブ)は、パイワン族の冠婚葬祭やもてなしに欠かせない菓子である。