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台湾をめぐる

雲の中の先住民集落——

雲の中の先住民集落——

自転車で行く霧台

文・曾蘭淑  写真・莊坤儒 翻訳・松本幸子

5月 2019

屏東県三地門(荘坤儒撮影)

アメリカの文豪、ヘミングウェイはこう言っている。自転車に乗って山や谷を越え、汗を流しながらじっくりと巡るのは、その国の風土や民を知る最も良い方法だと。

『光華』のシリーズ「自転車で行く台湾」は今回、台24号線の屏東県三地門から霧台郷まで走る道を初春に選んだ。遠くまで連なる山々は新緑に輝き、かつて災害に見舞われた村々もようやく春を迎えようとしていた。

ペダルを踏みしめて、山々に抱かれたパイワン族とルカイ族の村々を回り、その豊かな自然や文化工芸を感じる旅となった。

10年前の「八八水害(台風8号)」によって屏東北部の「好茶」「大社」「瑪家」の3集落は深刻な被害を受け、三地門郷への移転を余儀なくされ、新たに「礼納里」集落として再建の道を歩んだ。今回はまず地域運営のレストラン「瑪家穀倉」を訪れ、先住民料理で腹ごしらえをした。

メニューの「チナブ」「キンベレ」「石板焼肉」といった料理名に先住民文化を感じる。中でもお薦めはパイワンの人々が年中行事や来客時などに作るチナブだ。粟と豚肉をトリコデスマ・カリコスムの葉で包み、40分ほど茹でて作るチマキで、葉の香りと肉汁の素朴な味がする。シェフの廖秀美さんによれば、パイワン族は冠婚葬祭があるとイノシシを狩り、大頭目の家に運んで肉を焼き、チナブを作って皆で食べるという。

ほかにも先住民特有の料理には、粟やカボチャをこねて作ったキンベレ、香りの独特な月桃チマキ、カラスザンショウやアオモジなどの香辛料を効かせたイノシシの肉などがある。地元の食材をソウシジュの薪で焼いた料理はどれも美味で、先住民文化を訪ねる旅への期待が高まる。

三地門文物館に展示された陶壺はパイワン族の身分を象徴する宝物である。

パイワンの三宝

くねくねと曲がる坂道を上っていくと、晴れ渡った遠景に高雄の85ビルが見えた。台24号線22キロの地点にある三地門文化館では「パイワン三宝:青銅刀、瑠璃珠、陶壺」という展示が行われ、天地開闢の伝説や神霊信仰について説明されている。

パイワンの三宝からは、パイワン族の社会階級や習慣を知ることができる。同展のキュレーターであり、ガイドも務めるレマリッツさんは陶壺について、こう説明してくれた。レマリッツさんはパイワンの頭目一族の出身だ。持ち手と乳頭状の模様があるのは女壺で、百歩蛇の模様があるのは男壺、中でも光沢があって薄い誕生壺は高級品で、頭目や貴族だけが所有できる。壺の中には神霊が宿ると信じられており、一家の大切な瑠璃珠を壺に入れて神棚に祀ったりもする。

瑠璃珠は、結婚の結納品にも用いられ、代々の家宝とされる。一粒一粒の模様は、パイワンにとって天、地、人の間の思想や信仰を表す。「高貴之珠」は頭目が結婚の結納に使い、「勇士之珠」は功績を称えられた勇士が身につける。

そんな高貴なものでなくても、「蜻蜓雅築珠芸工作室」に行けば、DIYで自分専属の瑠璃珠を作ることもできる。2階の「故事館」には創設者である施秀菊さんの作品やコレクションが展示されており、癌で早逝した母親が施さんのために作手作りした花嫁衣裳や、さまざまな方法や材料を組み合わせた美しい作品の数々を鑑賞できる。海外で台湾の先住民工芸を展示することの多い施秀菊さんは、瑠璃珠をつないで台湾地図も作った。色鮮やかな瑠璃珠は、パイワン文化の発信役を担うだけでなく、雇用の機会や場を提供し、集落の女性たちの自立に役立っている。この後も続く坂道にへこたれないようにと、「勇士之珠」のブレスレットを買ってはめた。くねくねと続く山道が目の前になければ、今日の暖かさはまるで町なかを走っているような錯覚を起こさせる。

蜻蜓雅築珠芸工作室を創設した施秀菊さんの花嫁衣裳、母から譲られた貴重な形見でもある。

ルカイの知恵

台24号線29キロ地点にある覆道まで来た。景色の壮観さは「東西横貫公路」にも引けを取らない。31キロ地点で展望台から隘寮北渓の谷全景を見下ろす。遠くには、橋脚の高さが台湾一の谷川大橋が見える。

谷川大橋は霧台郷に通じる唯一の橋で、かつては「伊拉橋」と呼ばれていたが、八八水害で流されてしまった。隘寮北渓の川幅も50メートルから200メートルになったため、より長く背の高い谷川大橋が設計されたのである。長さは元の54メートルから654メートルに、橋脚は99メートルの高さに作られた。この谷川大橋を自転車で行くと、遙か下の隘寮北渓が目に入り、思わず身がすくんだ。

光り輝く風景の中、穏やかな風に吹かれて進むと、山道のつらさも忘れる。霧台はルカイの里で、台湾で最も先住民集落の姿を留めていると、屏東県原住民処の伍麗華・処長が薦めてくれた。台24号線40キロ地点に着くと、頭目や勇士の像が並び、その前が魯凱(ルカイ)文物館だ。同館でルカイの文化について詳しく学ぶ。

頁岩を一枚一枚積み重ねた壁の続く「岩板巷(岩板通り)」や、霧台小学校の色鮮やかなレリーフはいずれも杜勇男さん・再福さん兄弟の手になるものだという。

杜兄弟の父は人間国宝級の彫刻家、杜巴男氏だ。玉山山頂にあった于右任像の台座は、杜巴男氏がセメントを背負って登って作ったもので、像を加えれば玉山の高さは4000メートルだった。息子たちは父の芸術の才を受け継いでおり、霧台の村では親子の作品があちこちで見られる。

兄の杜勇男さんは杜巴男記念館を引き継ぎ、弟の杜再福さんは民宿「卡拉瓦」を経営して伝説や貴族、勇士を描いた彫刻作品を展示している。ただし見学には予約が必要だ。

自転車を手で押して坂道を上ると、岩板巷のランドマーク「霧台長老教会」が見えてきた。杜再福さんによる設計・施工監督で、建築に6年かけた、ルカイの人々の団結と協力の結晶だ。

教会の屋根は、霧台の石板屋(頁岩作りの家)の中で最も急な勾配を持つ。石板を積み重ねる技術や重量の計算方法は、村の年寄りたちの知恵と経験が生かされている。クスノキ製の講壇は、夫婦とも90歳を超える信徒の寄付による。霧台長老教会の盧華英・幹事は当時を思い出しながらこう語った。「このクスノキは、老夫婦の家の横の崖に生えていたもので、10年前から夫婦は教会に寄付したいと考えていたそうです。そうした彼らの祈りを主がお聞き届けになったのでしょう。ある年の台風でクスノキが倒れ、ちょうど夫婦の家の前に落ちてきたのです」

教会の中にある大きなヒノキの十字架は、ある高齢の猟師が、山奥の台東と屏東の県境で見つけた木で作られている。日本統治時代から伐採されずに残っていたのだ。それを村人が往復に4日かけて引いて運んだ。台湾では類を見ないほど巨大なヒノキの十字架で、見上げていると、この教会が村人たちの団結力や奉仕の精神で作られたことがしみじみと感じられる。しかもこの十字架作りにまつわる苦労の物語は立体彫刻となり、教会の外の階段に沿って並べられている。

「瑪家穀倉」のシェフ、廖秀美さんが手にする祈納富(チナブ)は、パイワン族の冠婚葬祭やもてなしに欠かせない菓子である。

阿礼集落の桜と蝶

遅くなったので霧台集落の民宿に宿泊した。ぐっすり寝た後の2日目は、台24号線における最後のルカイの村——阿礼集落に向かった。

上り坂が続く。少し傾斜が緩やかになったかと思っても、またすぐに急な上りになる。この辺りは八八水害であちこち寸断され、臨時のガードレールが設置されており、落石に遭わないよう速度を上げる。片側は緑深い渓谷で、霧の立ち上ってくる様子がなおさらスリリングだ。標高1200メートルの阿礼集落は年じゅう霧が立ち込める高みにある。霧台や神山の村を見下ろそうとすると、すでに雲海の下となっていた。

「吉露崩壁」「阿礼大崩壁」という二つの断崖絶壁のそばを通る。やはり八八水害で作られた特殊な地形だ。近づいてさまざまな形に削られた壁面を見上げていると、自然の大きな力に畏怖の念を覚えずにはいられない。

台24号線の終点である44.5キロ地点は、仮設道路「臨45便道」の起点でもある。阿礼集落に着いたが、つぼみをつけたカンヒザクラや石板建築が点在するだけで、人の姿は消えていた。ここはかつては西ルカイ族の住む標高最高の古い集落だったが、八八水害後に村は移転、現在では1組の夫婦が暮らすほかは、休日だけの商いをする人が上がって来るだけだ。

阿礼大頭目の家屋の前を通る。家の表の祖霊柱には、陶壺や、伝説の「蛇に嫁いだ姫」の絵などが描かれ、集落における頭目の地位を物語る。

阿礼集落に残った包泰徳さんと古秀慧さん夫妻は「木谷民宿」を経営し、鳥や蝶の観察に来た人や、阿魯弯古道を訪れる登山客を迎えている。また、屏東科技大学森林学科の陳美恵教授の指導を受け、ミツバチ養殖や、葉の美しい蘭「アネクトキルス・ロクスバーギー」の栽培を手がけ、山の集落の経済的可能性を探っている。

ほぼ廃村状態である阿礼集落で包泰徳さん夫婦は、都会の喧騒から離れた自給自足の暮らしをしている。午後は桜の並木道を歩き、夜には果てしなく続く星空を眺め、語らい合う毎日だ。ここには静けさに満ちた心地よい暮らしがある。

杜再福さんが経営する卡拉瓦石屋。屋内に展示された作品は、ルカイの人々の芸術的才能を見せつける。

災害後に出現した秘境

下山時には空も晴れた。下り坂を行くのは自転車の旅の最も爽快な瞬間だ。「下霧台」と呼ばれる神山集落で「神山愛玉」を食べた。愛玉子ゼリーに粟や柑橘類を加えたデザートで35元、山道に耐えた自分へのご褒美だ。遠くに大武山を眺めながら心身ともに癒される休憩となった。

食器を下げている店主の巴義成さんは1985年に徒歩で世界を回る偉業を成し遂げた人物だ。アジア、ヨーロッパ、アフリカの3大陸22か国を2年で回った。自立晩報社によるイベントだったが、同社の系列企業に勤めていた陳春暉さんをそのツアーで射止め、花嫁にした。忙しくゼリーを作りながら陳春暉さんは「まるで運命の出会いでしたね」と言う。巴さんが警察官の仕事を辞め、2ヘクタールの土地で育てる愛玉子の台湾固有種は、集落の特産品となっている。

旅の途中でふと思いつき、哈尤渓に足を伸ばしてみることにした。渇水期の4月末までしか行けない場所で、自転車ではなく、大武集落のジープで送ってもらうことにした。

哈尤渓は隘寮北渓の支流である。1時間余りで谷に着き、そこから更に歩いて上流へ、七彩岩壁を目指す。途中、硫黄温泉もあり、鉄を含んだ玄武岩や石英質砂岩の混じる岩壁がそびえる。渓流の流れが反射して、金色に輝く岩壁は美しく、自然と文明、或いは破壊と再生といった、地球が織り成す物語に思いを馳せる。

大武集落の巴英雄さんはこう語る。八八水害に見舞われるまで、ここは山深い峡谷で、七彩岩壁も猟人だけが通るような稜線から見下ろすしかなく、ましてルカイの人々にとっては聖地だった。災害後にはここまで来られるようになり、秘境の観光スポットとなったが、次に台風が来ればまた閉ざされた秘境となるかもしれない。

だが哈尤渓への秘境ツアーによる自然破壊を心配する声もある。屏東科技大学の陳美恵教授は霧台、神山、大武、好茶、阿礼などの集落を「自然人文生態景観エリア」にすることを提唱してきた。現在、政府関係部門で審査中だ。ガイドによる案内や入山者数の制限が実現できれば、環境保護と経済の両面で好循環を生める。

2019年はちょうど八八水害から10周年に当たる。村の人々と再建の努力を続けてきた陳美恵教授はこう言う。「先住民集落は災害で破壊されてしまったわけではありません。魅力ある文化を持つのですから、倫理的に土地利用を行ない、地元の特色を打ち立てれば、台24号線のエコツアーを発展させることもできます。そうすれば、真珠をつないで首飾りにするように、災害で散らばってしまったこれらの集落をつなぎ合わせることも可能です」

陳教授の描く未来図は、今回の旅でふれた人の温かさや霧台の美しさに裏付けられている。そう感じ、帰路のペダルをしっかりと踏み出した。

霧台の岩板巷のレリーフは、ルカイの人々の芸術的才能を見せつける。

台湾で最も橋脚が高い谷川大橋を、風を切って自転車で渡る。

霧台を自転車で行けば、どこからでも大武の山々が見える。

恥じらうように花を開く霧台のサクラ。

哈尤渓秘境を訪れるには、一時間余りをかけて川床の岩の間を車で行かなければならない。

哈尤渓の七彩岩壁は2009年の台風8号の災害(八八水害)の後、はじめて入れるようになったエリアである。かつては猟師の歩く古道の尾根から見下ろすことしかできなかった。

八八水害から10年、先住民集落は大自然に学び、再び人と大地の共生関係を築いている。