大台南は、産業面ではやや弱いが、長い歴史を持つ古都であることと農業資源が豊かなことから、県と市の合併を経て直轄市へと昇格した。直轄市の初代市長に当選した頼清徳は、台南が産んだ文豪・葉石涛の「夢を見、労働し、恋愛し、悠然と暮らすにふさわしい街」という言葉で台南のビジョンを描く。
面積2200平方キロ、人口187万人、エリートと庶民の文化、都市と農村の資源を兼ね備える大台南は、台南人特有の文化への自信をもって、それをビジネスへと変えることができるだろうか。また、農村の高齢化が進む中で、若い世代に郷里での発展を促すにはどうすればいいのだろう。
古色を帯びた台南の路地には穏やかな空気が流れ、自然と歩みもゆったりしてくる。旧正月前にランタン展が行なわれた台南市神農街は、まるでタイムスリップしたかのようだった。美しいランタンの明かりに人々の影が揺れ、百年前のにぎやかな港町の春節の雰囲気を感じさせる。
石畳の通り沿いには木造の家が並び、ランタンのほのかな明かりに美しく映える。
神農街は昔「一府、二鹿、三艋;舺;(一に台南、二に鹿港、三に万華)」と呼ばれた台南でも最も繁栄した地域だった。通りの全長は300メートル、当時の市街地には安平港とつながった「港道」と呼ばれる通りが5本あり、商店が並んでいた。

後壁ではコメ生産販売専業区を設置して有機農法を積極的に推進し、米のブランド化で新しい市場を開拓している。写真はドキュメンタリー「無米楽」で有名になった黄崑浜夫妻が今年の一期の田植えをする様子。
清の時代、福建省から海峡を渡って来たジャンク船が安平港に到着すると、小舟に積み替えた荷は港道沿いの商店の裏口へ運ばれ、それが商店の表で販売された。かつて「北勢街」と呼ばれた神農街は、5本の航路の中でも最も重要な位置にあった。北港の媽祖が台南の大天后宮に参詣する時には、この通りの端にある薬王廟に一泊し、それから城内をパレードして大天后宮へ向かったという。
「台南市文化協会」理事長の鄭道聡によると、現在の神農街は300年前の道幅を維持していて、建物の裏側の水路は埋め立てられて陸地になっているが、残念なことに300メートルの通りは海安路拡張のために分断されてしまった。十年前に彼らは古い町並みの整備と保存のための予算を要求し、通りに面した昔の商店の店構えや石畳を整備し、昔風の美しい街灯も設置した。住民は今もここに暮らしているので、生活感のある歴史的町並みとなっている。通りに面した関羽を祀る「金華府」も協会の働きかけで市の古跡に指定され保存されている。
台南の歴史が感じられるのはこうした町並みだけではない。孔子廟や安平古堡などの名所旧跡もあるし、昔ながらの商売や暮らし方も残っている。
市内には4世代にわたって受け継がれてきた老舗の茶屋や刺繍店、古来の方法で製造を続ける線香店、珍しい紙の神像を製造販売する店などがあり、ごく普通のチマキ店や冬瓜茶の店の中にも百年の歴史を持つ老舗が少なくない。
腕の立つ職人も多い。武廟の前に店を構える「魏俊邦彫刻社」の魏俊邦は半世紀にわたって特殊な「紙塑」の神像を作っており、さらに泥塑、木彫、仏像装飾、飾り提灯なども作っている。その作品は生き生きとして色鮮やかで、しばしば海外に招かれて展示されており、台南の国宝とされている。

塩水渓は台南県・市を流れる主要河川だが、深刻な汚染で墨のような深緑色の水が流れており、2009年の台風8号では氾濫して甚大な被害をもたらした。汚染の解決と防災はいずれも難しい課題である。遠くに見えるのは南部サイエンスパーク。
時間がゆっくり流れ、文化的な雰囲気に満ちた台南の古い市街地は若い世代をも惹きつけ、新しい創意が発揮されている。若者が古い家屋に手を加えて再利用するケースが増え、「新台南現象」と呼ばれている。
孔子廟の近く、ユニークな店構えの古本屋「草祭二手書店」を経営する蔡漢忠は30代、商業カメラマンだったが、変化のない仕事に嫌気がさして書店を開いた。古い家を借り、前後の棟をつなぎ、地下室の天井を外し、シンプルな店構えにした。最近は古い家屋のリフォーム技術も教えている。
ロック青年とガールフレンドは、鉄道脇の和洋混合の住宅を気に入り、古い家具を持ち込んでレトロな音楽バーを開いた。古い民家を民宿や理髪店に改造したり、アートギャラリーや手作り菓子の店を開く人もいて、経営手法も設計もさまざまだ。
興味深いのは、彼らは古い家屋を改造するだけでなく、自分たちの将来も新たに切り開いていることだ。
ロック青年は「音楽を魂にしたバー」を開く夢をかなえたし、台北に出て挫折し、故郷に戻って古い家を改造したことで町づくりに触れ、近隣との親しい関係を築き、人生への情熱を取り戻した人もいる。余所の土地から台南に移住してきた芸術愛好家は4階建ての古い集合住宅を結婚写真館に改装した。営利目的というより、友達を作るような気持ちで顧客にサービスしており、1階は無料の展覧会場にして芸術創作者に提供し、充実した日々を送っている。

古い集合住宅をユニークな展覧空間に改造するなど、台南市では古い民家のリフォームが盛んに行われており、裏通りでも思いがけない発見がある。
市内を出て台南県に入ると文化的景観は大きく変わるが、沿海地域でも山間部でも民間の自発的エネルギーは変わらない。
さまざまな廟の祭りや、そこで披露される芸陣(伝統的な山車や出し物)こそ台南県の芸術の宝だ。例えば、全国でも台南の麻豆と新営にしか残っていない「十二婆姐芸陣」は臨水夫人の生誕日に行なわれる出し物で、母と子の無病息災を守るとされている。中年女性のお面を付け、派手な花柄の衣装をまとい、扇を手に腰を振りながら踊る姿は人々の笑いを誘う。
「十二婆姐芸陣深耕計画」を主宰する李俊賢によると、麻豆の十二婆姐芸陣は一度は解散しかかったが、地域住民の努力で長老に指導を仰ぎ、今では若い世代が受け継ぐようになって文化産業へと発展しつつあると言う。アーティストと共同で十二婆姐芸陣をテーマにした陶器や銅彫、菓子なども作り、宗教文化産業の道を開いた。
山間のシラヤ文化復興も進んでいる。台南県シラヤ集落連盟幹事の段洪坤によると、白河、東山、大内、官田、佳里、玉井などの地域には今もシラヤの伝統的集落があり、漢民族との境界は明確で、民族としてのアイデンティティも明確だと言う。毎年行なわれるシラヤ伝統の「公廨」の前には祖先を祀る「夜祭」が開かれる。台湾の平埔族は2000年に「正名運動」を開始したが、その中のシラヤの運動は台南県で根を張ってきたのである。
このように台南県の文化は多様で各地に分散しているが、県と市の合併後はこうした資源をどう結び付けていくのだろう。
台南芸術大学建築研究所所長で台南県の元副県長でもある曾旭正は、過去十数年にわたって台南県・市で発展してきた町づくり運動の成果を活かしてプラットホームを作ればよいと提案している。

余所の土地から台南に移り住んだ李忠勲さんと李盈慧さんは古い集合住宅を結婚写真館に改造し、一階は展覧会場に提供している。
曾旭正によると、台南県の31の郷・鎮・市・村の多くは400年前に形成されたという。明の鄭王朝の時代に漢人を中心とした政権が確立して屯田政策を実施し、荒れ地を開墾した先人と各地に駐留する軍隊が漢人の集落を形成していった。
曾旭正の実家は下営ですでに7‾8代続いており、台南県ではこうした旧家が非常に多いと言う。同姓の村落も多い。例えば七股の篤加村では全村300世帯余りがすべて邱という苗字で、全村が大家族を成している。人の緊密な結び付きと大地への深い感情が町づくり活動の大きな力となっている。また、南台湾は平野が広く、集落では共用の井戸を必要とする。こうした条件から、1994年に町づくり活動が推進されるようになって以来、農村の文化と産業が開花したのである。
「大台南はこうした民間の力を活かし、都市と農村の協力関係を確立するべきです」と曾旭正は言う。例えば、ここ数年、台南県は有機農業を積極的に推進してきた。最初は台北と日本を市場のターゲットとしてきたが、最近は台南のマーケットとの協力関係もできた。都会の消費者が農村の有機農家を支持するようになれば、農村は都会の人々に農業体験の機会を提供することもできる。
だが現在の課題は、県と市が双方に垣根を取り払い、互いを理解し合うことである。
シラヤ連盟の段洪坤は、合併前に台南県と台南市の民間団体の会議を開いたことが何回もある。その時に気付いたのは、台南市の団体は台南県の環境や県民が関心を注いでいるテーマをよく知らず、中には「田舎の文化は舞台に載せられるようなものではない」という優越感を抱いている人もいたと言う。今後は話し合いや接触を増やして、双方の考え方を近づけていく必要がある。

新しい台南市
全体を眺めると、既存の基礎の上に都市と地方の資源を結びつけてすぐに実現できるのは「文化観光」だと考えられる。
台南市文化協会理事長の鄭道聡は次のように話す。台南は早くから開け、300年以上前に台江内海(台南市)から倒風内海(台南県)へと発展してきた。その後、この二つの内海は地理的な変化によって陸地へと変わったが、当時の沿岸の各港ではそれぞれ廟が築かれ、民俗活動や政治・教育が行なわれており、それらの遺跡が良い状態で保存されている。南の台南市から北へ永康、新市、善化、麻豆、塩水、新営へ移動していくと、明朝の鄭氏や清朝の遺跡や媽祖を迎える祭典などが残っている。県と市が合併した後は、観光の動線を計画し直し、台南全体を台湾史を訪ねる空間へと変えることができる。
台南には魅力的な歴史と文化があるだけではない。農業の実力と多様性も大きな強みだ。
県と市が合併した台南全体の農地は9万ヘクタール、水田が最も多く、マンゴーや文旦の生産量と技術も台湾でトップだ。さらに、蓮の花やコーヒー豆といった特色ある作物があるほか、蘭の生産も成長し、今後が期待されている。
台南の後壁郷の農家、黄崑浜が主人公となったドキュメンタリー『無米楽』は広く知られている。この作品では、台湾が2000年代にWTOに加盟した後、南部の稲作農家が生存の危機にさらされている様子が記録されている。一年間の稲作による収入は原価より少なく、高齢化した農家の多くは黄金の稲穂が垂れる時代は戻ってこないだろうと嘆く。その後、彼らは農業改良場の協力を得て有機農法を開始し、コメ生産販売専業区を設立してブランドを打ち出し、転機を迎えた。
黄崑浜が加入する「芳栄コメ生産販売専業区」は、後壁郷が近年設立した三つの稲作専業区の一つだ。100人の契約農家が農業改良場の指導を受け、「鴨間稲」――水田に鴨を放って害虫や雑草を食べさせる方法で有機米を栽培している。農薬は一切使わず、鴨の排泄物と豆類を肥料とする。農家と農業改良場の人々が毎日水田を観察してきた結果、ここの米が「チャンピオン米」に輝いた。

美しい飾り燈籠がほのかな影をつくり、まるで昔の港町に迷い込んだような気分になる。豊かな歴史と文化が台南の強みだ。
芳楽米店を経営し、「芳楽コメ生産販売専業区」の執行長でもある黄麗琴は次のように説明する。後壁郷の土地は工場による汚染がなく、烏山頭ダムから灌漑用水を引いており、有機農法で栽培している。そのためここで採れた米が全台湾の14のコメ生産販売専業区のコンクールで、農薬使用の安全性、土壌の質、灌漑用水、経営販売などの面で上位に評価された。
この専業区は毎年コンクールに参加しており、評価にパスすると、政府の農糧署から1ヘクタール当たり6000元の運営補助費が支給される。これは農家の教育訓練やブランド推進に充てられるという。
黄麗琴によると、ここのブランド「芳栄禾家米」は知名度を高めつつある。主にネット販売を行なっており、今年は新光三越デパートからもギフトにしたいという注文があり、かなりの量が売れる見込みだ。
黄麗琴によると、以前は卸売商に30キロ入りの袋で売って1キロ当り0.3‾0.5元の利益しかなかったが、自分たちで販売するようになってからは1袋2キロ入りで数十元の儲けが出るようになったという。こうして品質を確保する余裕もでき、農家には一般より高い買い取り価格を保障できるようになった。農家は収入が安定したので協力の意欲も高く、自家製の米を自分で売ることもできて臨時収入も得られるようになった。
「ブランドを打ち立てるのは大変ですが、希望が持てます」と黄麗琴は言う。この5年、専業区の売上は彼女の会社の売上の5%しか占めていないが、95%の人手がかかっている。しかし、生産販売専業区が自分たちの道を開くことができれば、それだけの価値は十分にあると考えている。
台南の農漁業のイノベーションには政府の協力もあるが、町づくりで培ってきた活力も大きな役割を果たしてきた。
例えば、七股篤加村はボラと虱目魚の養殖を主としており、全国最大の150ヘクタールのボラの養殖場がある。以前はボラの季節になると、漁師たちは漁獲をカラスミ業者に売っていたが、売上は多くはなかった。そこで2006年末に、町づくりを推進してきたコミュニティ発展協会が「新鮮な最高級品」という戦略を立てた。漁師たちからボラを買い取り、地元住民を集めて自分たちで魚をさばいてカラスミを作ることにしたのである。業者が冷凍してから作るカラスミとは違い、新鮮な魚から直接作るのでおいしく、ネットで販売を開始したところ、一年で300万を売上げた。
「篤加コミュニティ発展協会」総幹事の邱英哲によると、村民の日当を差し引いても年間30万元の剰余金があり、これはコミュニティ基金として使っていくという。例えば、台南大学と共同で設置した水生植物による汚水浄化システムの維持費はここから出せるし、地域住民200人が出す廃水も回収利用できるという。
農村の美学台南の豊富な民間エネルギーは農産物の販売だけに活かされているわけではない。販売とは別の「美の産業」という道を開いている人もいる。白河のアーティスト林文嶽は、十年近くにわたって「農村の美学」を提唱してきた。
鹿寮ダムの傍らにある林文嶽の「白荷陶坊」は、陶淵明の描いた桃源郷を思わせる。まったく汚染のない1ヘクタールほどの大地には草花が生い茂り、たくさんの野菜や果物が植えられている。空気は草の香りがし、青い空と白い雲が心身をリラックスさせてくれる。多くの民宿が手の込んだ装飾を施しているのとは違い、白荷陶坊は田園の野趣にあふれており、林文嶽は訪れた人にその「自然」を体験してほしいと考えている。
「大自然は、人が美を感じる感覚を高めてくれます」と林文嶽は言う。台南県の農村は生活のリズムもゆっくりしていて、農村の美学を発展させるのに最もふさわしいと言う。いたるところで鳥や虫の声が聞こえて自然のリズムが感じられ、芸術創作のインスピレーションも絶えることがない。こうした生活の中で育まれる生活の美学は、現代人が追い求めるロハスの境地でもある。
「グローバル化の時代、都市だけにチャンスがあるという迷信は打破されました。農村はソフトな包容力を発揮し、都市がもたらす衝撃を吸収してくれるのです」と話す林文嶽は「農村での起業」には無限の可能性があると考える。その前提は「経済の農村」を「美学の農村」に転換することだ。1本10元のハスの花を、1本100元、あるいは1000元で売れる文化創意商品に変えていくのである。白河を日本の京都のように生活の美を体験する場へと変えることもできる。ただ、この目標を達成するには、まだまだ長い道程を歩まねばならない。
歴史的なつながりしかなかった台南市と台南県が、65年ぶりに一体化した。直轄市「五都」の競争の中で、資源の最も少ない台南が、文化と農業という強みを活かしてその魅力を最大限に発揮できるかどうか、そしてさらには国際都市へと歩み出すことができるか、期待して見守りたい。