国境貿易が生む雑多な文化
保山は雲南中西部、騰沖と大理の近くにある。母親は少女時代に国民党軍雲南遊撃隊に入った。金と権力のある将軍からの申し出を拒み、貧しいがハンサムな父親と結婚した。
メーサロンに定住した後は、母親は家計のために一人で山間の村に入り、地元住民にアヘンを売る代わりに農作物を仕入れ、山のふもとで売った。その稼ぎで生活用品を仕入れ、再び山の人々に売る。度胸と頭脳を兼ね備えた女丈夫だった。しかも料理好きで客をもてなすのが大好き。よその家が美味しい料理を作ると聞けば、そこの台所に入り込んで学んでくる。タイ北部少数民族の料理も同様にして習得してくるので、賀家の食卓には早くから様々な文化が溶け込んでいた。
作者は、保山の様々な伝統料理を紹介することで母親を記す。例えば鶏肉の唐辛子炒め。まず、ショウガ、ニンニク、ネギを炒めて香りを出し、鶏肉を加えて炒める。塩や醤油を少々加えて汁気がなくなったら出来上がり。ご飯によく合うピリ辛の家庭料理で、父親が最も好んだ。鶏肉の代わりに牛肉、豚肉、豚レバー、牛レバーやマメなど、肉類なら何でも美味しく作れる。
本書には「馬幇之女的爆香食冊(馬幇の娘によるレシピ)」という副題がついている。「馬幇」とは、中国、ミャンマー、タイ国境で商う貿易商のことで、作者の両親のルーツだ。数年前、両親が相次いでこの世を去った後、賀桂芬は雲南への一人旅を決めた。両親に思いを馳せ、ルーツを探る旅だった。「両親が生きていた頃は、雲南が故郷とは思わなかったが、親が亡くなった途端、見えない糸が私を引っ張るのである。そうして両親が歩いた道をたどると、雲南の料理によって幼い頃の味を思い起こし、両親が残してくれた料理地図を描くことができた」
旅の2ヶ月間、彼女は雲南をくまなく回り、親戚を訪ね、数多くの少数民族料理を食べた。やがて両親の記念に雲南料理のレシピを書こうと思い至り、5年の熟成を経て同書は完成した。

賀桂芬は台北の自宅の庭にさまざまな香辛料やハーブを植え、料理に使っている。