「今夜は皆で夜市へ繰り出そう。粋に決めて、化粧も忘れずに。老若男女やカップルが通りにあふれ、にぎやかに行き交う。山の幸、海の幸の屋台が連なり、誰もが舌鼓を打つ」
これは閩;南語の作詞作曲家・鄭進一が1991年に発表した「夜市を歩く」だ。台湾で長い歴史を持つ夜市の庶民文化が生き生きと描かれている。
日が傾き、灯りがともり始める頃、台湾の都会から田舎町まで、300を超える夜市がにぎわい始める。通りの両端に「車両通行禁止」の柵が置かれると、そこは「屋台街」となる。数百メートルにわたる空間に、万に上る住民や観光客が押し寄せ、真っ直ぐ歩くこともままならないほどだ。
着飾っていく必要はない。裸足にサンダル、Tシャツに短パンで出かければいい。車の音、人の声、屋台の呼び声が入り混じり、昼間の緊張から一気に解放される。わずかな金額で舌も腹も満たせ、海鮮から軽食や飲み物まで何でもそろう。売っている衣服も安く、ひやかして値切る楽しみもある。
欧米のナイトライフと比べると、夜が更けるほどににぎわう台湾の夜市は特殊な景観と言えるだろう。台湾の夜市にはどんな魅力があるのだろう。夜市の屋台料理(小吃)にはどんな秘密が隠されているのか。
今月のカバーストーリーでは、台湾の夜市文化の歴史を振り返り、来月は夜市経済と新しい味を次々と生み出す台中の逢甲夜市をご紹介する。
台湾に来た外国人観光客に一番人気がある観光地はどこか。答えは、夜市である。故宮博物院や台北101といった観光スポットを抜いて、一番の人気となっている。
交通部観光局が2009年に行なった「来台旅客消費および動向調査」によると、観光客が最も多く訪れるのは夜市(100人中73人)で、続いて台北101(58人)、故宮(52人)、日月潭(29人)、中正記念堂(26人)などとなっている。夜市は連続3年、外国人観光客に最も人気のある観光スポットのトップの座を維持しているのだ。
台湾の夜市を売り込むために、今年8月、観光局は「台湾の特色ある夜市トップ10」の人気投票を行なった。まず各自治体が域内の夜市を推薦し、その中から審査員が10の夜市を選出、そしてインターネットでの投票(総得点の60%)と覆面審査を経て、最も魅力的な夜市、最もおいしい夜市、最も歩きやすい夜市(歩行空間など)、最も友好的な夜市、最も環境に優しい夜市を選びだした(地図を参照)。

夜市の魅力に惹かれて外国人観光客も大勢訪れる。写真は台北の饒河街夜市。
のべ50万人が参加した人気投票の結果、最もおいしい夜市には基隆の廟口夜市と台中の逢甲夜市、最も魅力的な夜市には高雄の六合夜市と台北の士林夜市、最も歩きやすい夜市には台北の華西街がそれぞれ選ばれ、環境に優しい夜市は該当なしという結果に終わった。
このイベントは、実は観光局が、夜市の質の向上に関する議論を呼び起こそうとして考えたものだ。
「観光の第一は台湾の自然景観、第二は地元の生活に触れることにあり、夜市は台湾の庶民文化の象徴です」と観光局の劉喜臨副局長は言う。夜市の人気投票というイベントを通して、自治体に夜市指導を重視させていきたいという考えだ。
劉喜臨によると、夜市の管理は非常に複雑で、主管機関は経済建設部門(県・市の建設局と市場処)だが、警察による交通秩序維持や環境保護部門、衛生部門も関わってくる。かつて屋台は都市の癌とされ、無免許営業も多く、警察の取り締まりの対象となったが、自治体はそれらを放任、または合法視して自然に消えるのを待っていた。しかし、夜市は地域の伝統文化であり、しかも住民の重要な活動の場となっているため、その処理は板挟みとなる。
「今回の人気投票で、県や市の長が自ら地元の夜市への投票を呼びかけたところから見ても、夜市が重要な観光資源として認知されていることが分かります」と劉喜臨は言う。この投票活動によって、県や市には、消費者や観光客が何を求め、どこを改善してほしいか理解してもらいたいと言う。

豚足の醤油煮
台湾の夜市の歴史は200年を超える。清の時代、福建や広東から渡ってきた移住者は、山林の開墾に忙しく、天秤棒を担いだ食べ物の呼び売りが盛んだった。田畑や開墾地へ料理を担いで行って売ったのである。
開墾の時代、無病息災を願う人々は廟を建てて神を迎えた。そこに人が集まるようになれば、食事を出す露店も集まってくる。こうして形成されたのが、台北の華西街や基隆廟口の夜市だ。最も早くから開発された台南には夜市が多く、台南市・県を合わせると100以上ある。民族路の赤崁;楼の横、広安宮の前には「石精臼市場」、大天后宮や武廟の横にも屋台が出ている。台南の人々は、古い廟の近くで料理を食べることによって、神々とともにある安心感をも味わうのである。
歴史家・連横による『台湾通史』には、台南の屋台の描写がある。
「いわゆる『担麺』なるもの、台湾中の人がこれを好む。麺は平常と同じ、食する時は野菜と肉と蝦汁を載せて熱いスープをかけ、黒酢と胡椒をかける。熱気が立ち上り、香りが鼻をくすぐる。夕暮れ時から、それぞれ決まった場所に天秤棒でやってきて、そのまま夜通し動かない。客の信用を失わないためである」
台南で最も有名な夜市「沙卡;里巴(サカリバ)」は1930年代には形成されていた。サカリバとは日本語の「盛り場」の意味で、最初は中正路と海安路の非常に辺鄙なところにあった。周囲には養殖池しかなかったが、後に養殖池は埋め立てられて家屋が建ち、露店が増えて有名な夜市になった。有名なのは「棺材板」(揚げたパンに台湾風のホワイトソースをかけたもの)と田鰻麺、鼎辺趖;(米粉の麺)などの小吃だ。
1984年、道路拡張のために広安宮が廟前の土地を回収し、「石精臼」と呼ばれた屋台街は郊外の小北区へ移転する。それでも商売は繁盛し、200店が集まっていたが、1990年に海安路一帯が火災に見舞われ、多くの店舗が焼けて余所へ移った。1993年には海安路の地下街改築のために取り壊され、今は小学校が建っている。
伝統ある夜市の多くが都市開発で移転させられてきたが、余所へ移った店の多くは、かつて夜市にあったことを強調して「石精臼海産粥」などと以前の夜市名を店名に掲げている。

激辛臭豆腐とアヒルの血
一方、露店は道路を占拠して交通の妨げになり、ごみごみして景観にも影響するため「都市の癌」との批判もある。
1990年代に大型スーパーやデパートが増え、それらが夜市を真似て、屋台料理を売る美食街(フードコート)を地下に設けるようになった。広々とした明るい空間に快適なテーブルと椅子があり、冷房も効いているが、従来の夜市の商売は全くその影響を受けなかった。
夜市文化の特徴はどこにあり、快適なフードコートにも負けないのはなぜだろう。
「人々が夜市に出かけるのは、決して小吃や買い物のためだけではありません。がやがやとにぎやかで、押し合いへしあいしながら買い物をするのが楽しいのです」と話すのは夜市文化を研究する中央研究院民族学研究所副研究員の余舜徳だ。私たちの文化において「にぎやかさ」は人々を鼓舞する一種の「エネルギー」であり、夜市を歩くとそうしたエネルギーを感じられるのだという。
例えば、大勢の人でにぎわう台北の士林夜市では、わずか200メートルの大東路を歩くのに30分もかかる。有名な大餅包小餅(揚げ餅を薄皮で包んだもの)や豪大鶏排(鶏のから揚げ)などを食べるには、蒸し暑い中を行列に並ばなければならない。それでも多くの人は嫌がるどころか、自分の番が回ってきた瞬間、人々から羨ましそうな視線を浴び、それで大いに満足するのである。
余舜徳は夜市の魅力として、露店の並び方に何の計画性もない点も挙げる。洋品店の隣りに麺の店、玩具店の隣りに漢方薬、果物屋の隣りに臭豆腐が並ぶ。こうした雑多なところこそ夜市の特色で、次々と目を楽しませてくれる。多くの人は、特に目的もなく夜市へ出かけ、その時々の気分や雰囲気で食べるものを決め、買い物をする。つまり「夜市の人込みのエネルギーと商品の氾濫と興奮の中に浸る」のが楽しいのだ。
夜市では老舗の懐かしい味が楽しめる一方、最新の商品を買うこともできる。Tシャツが100元、バッグは399元、材質やスタイルはデパートの商品と大差なく、値段は4分の1で済む。ファッショナブルな携帯ストラップやサングラス、ビーズのアクセサリーなど、掘り出し物を探す楽しみもある。

台湾で最も古い媽祖廟、台南の大天后宮は1830年に改築されて以来、小吃の露店が集まり始めた。歴史ある廟の前で食事をすれば、神々に守られているという安心感も加わる。写真は民国初期の情景。
夜市の最大の魅力は食であろう。多くの夜市が有名なのは、そこでしか味わえない「小吃」があるからだ。
「『小吃』、私はこの字面が好きだ。『小』という字には、量は少なめ、形はシンプル、動作はスピーディ、価格は安く、雰囲気は親しみやすくて気軽……という意味が込められている。台湾の小吃の美、その独特の魅力がこの二文字に言いつくされている」と美食作家・葉怡蘭はブログ上に書いている。
余舜徳によると、中国で最も早く夜市に関する記載があるのは宋代の『東京夢華録』と『夢梁録』で、すでに「小吃」が登場している。点心では薄荷糕;、豆児糕;、炒栗子、杏仁糕;、糖茘枝など、羹(スープ)では羊血湯、清汁田螺湯、香辣素粉羹など、おかずでは海蜇;、煎肝臓、野鴨肉、鶏砕などが挙げられている。文字から想像がつくものもあれば、考証の難しいもの(酥油虫包螺など)もあるが、現在の台湾夜市の飲食形態と1000年前の宋代の小吃を比べると、相通じるものがある。
余舜徳によると、小吃は中国の食文化において独特の地位を占めているが、精確に定義されてはいない。
「『ごはん』と『おかず』の間に位置するものは、すべて広義の小吃と言えるでしょう」と余舜徳は言う。肉まんや餃子、麺類、スープ、粥、焼き菓子や蒸し菓子などは小吃と呼べる。小吃は主役として「ごはん」のように腹を満たすこともできれば、「おかず」にもなり、おやつや夜食にもなる。
また「小吃」には特別な文化的意義が込められることも多い。例えば、忘年会で食べる割包(饅頭のような生地に豚の角煮や漬物を挟んだもの)や、旧正月の年糕;(甘い餅)や餃子、小正月の湯円(白玉団子)、清明節の潤餅(生春巻き)、端午節のチマキなど、特別な日には一般家庭でもこれらの料理を用意するが、夜市に行けば、いつでも食べられる。台南の再発号のチマキや台北寧夏夜市の潤餅などが有名だ。

イカのスープ
「小吃」は中国の食文化においては「添え物」のような存在だが、一説によれば、その源流は中国八大料理の一つ、閩;菜(福建料理)に属するという。
「福建料理には羹湯(汁もの)が多い」と基隆歴史研究者の曹銘宗は言う。台湾小吃の中には海鮮の羹湯が非常に多い。サワラやカジキ、ハモ、サメ、シラスなどのスープの他、イカやエビ、カニなどを入れて、とろみをつけたスープも多い。
これは台湾が海産物に恵まれており、初期の漢民族移住者の多くが福建や広東の沿海地域から渡ってきたこと、そしてスペインや日本など、海産物をよく食べる海洋国家に統治されてきたこととも関係する。
かつて漁獲量の豊富だったボラについて、連横は『台湾通史』にこう書いている。「ボラの卵は一胎二腹で、長さは一尺、重さ十余両に及ぶ。塩漬けして日に干し、石で重しをして固くすれば長く保存できる。食する時は酒で濡らし、焦がさずに皮に細かい気泡が出る程度にあぶる。薄く切れば、甘く香り高く、台南の珍味である」
カラスミは昔から台湾料理の珍品であり、高雄の六合夜市では小吃としても売っている。
基隆、台南、高雄は漁港が近いため、魚のすり身を使った小吃も多い。例えば台南の「魚麺」は、経済価値の低いエソという魚のすり身に澱粉を加え、麺状にして茹でたものだ。
魚のすり身を油で揚げるのは日本風の食べ方「天婦羅」(薩摩揚げ)で、台湾では「甜不辣(テンプラ)」と言う。ポルトガル語が語源の日本の外来語で、16世紀にポルトガル人が日本に油で揚げる料理を伝え、これが台湾に伝わったものだと言われている。
基隆廟口16号屋台は台湾で最初に「テンプラ」を売り始めた店で、基隆で水揚げされる小ザメやハモの身に、片栗粉や砂糖、味噌を加えたすり身を使う。低温のすり身を揚げると歯ごたえのあるおいしい薩摩揚げになる。

日本人の女性も夜市を歩いて開放感を味わう。
2007年、経済部商業司が主催した「外国人が選ぶ台湾の美食」人気投票の結果、1位に輝いた台湾小吃は「蚵;仔煎」(牡蠣入りの卵焼き)だった。
蚵;仔煎の起源は福建南部と潮州の「煎蚵;仔」だという説もあるが、台南には別の説もある。
歴史研究者の王浩一が著した『慢食府城―台南小吃的古早味全記録』によると、1661年に鄭成功が台南でオランダと戦っていた時、チマキを食べる習わしのある端午節に、チマキの食材がないため、地元の食材で代用した。サツマイモの粉を生地にし、モヤシやエビを入れて焼いたものをチマキ代わりにしたである。この「煎食追」が蚵;仔煎の前身だと言う。
それが「蠔;仔煎」として福建に伝わり、福建漳;州出身の林語堂やアモイ出身でマレーシアへ移住した陳嘉庚も、これが大好物だったと言う。
台湾の蚵;仔煎は、まず大鍋で牡蠣を焼き、卵と青菜を加えて混ぜ、サツマイモの粉の生地でまとめて甘辛いソースをかける。北は基隆から南は墾丁まで蚵;仔煎があり、どこが元祖なのか誰にも分からない。
伝統の小吃の多くは地域、特に南北で相違がある。
例えば「肉圓」は、サツマイモ粉の生地で肉やシイタケを包んだものだが、蒸してから揚げるのが「彰化肉圓」で、蒸すだけのものが「屏東肉圓」だ。
チマキにも南北の差がある。北部では水に浸したもち米を炒めてから具とともに竹の葉で包んで蒸すが、南部のものは生の米と具を包んで茹でる。

「蛇街」とも呼ばれる台北の華西街。以前のように客の目の前で蛇を絞めることはなくなったが、栄養のある蛇スープを目当てに来る客も少なくない。
異国文化を取り入れてきた台湾では、新しい味も次々と生み出される。名前も奇妙な「棺材板」は、厚切り食パンを油で揚げてくりぬき、そこに鶏レバーやジャガイモ、蝦などを入れたホワイトソースをかけた料理だ。50年余り前、台南の屋台の許六一という人が、これが棺桶に似ているというので命名して有名になった。
2009年、イギリスの旅行サイトで「猪血糕;」が「世界の奇妙な料理トップ10」に選ばれた。今年9月にはアメリカ農業部門が「製造工程が不衛生」として豚血糕;の販売を禁じたと報じられ、台湾では「文化差別」だと反発の声が上がったが、誤解であることがわかった。
だが実際、台湾の夜市で内臓や血で作った料理を見て嫌がる外国人観光客は少なくない。今回観光局の夜市投票で審査員を担当した日本人の作家・青木由香は、夜市は迷路のように楽しいので日本人の友人をしばしば案内するが、多くの日本人は、鶏の爪先やレバー、豚の血や腸といった内臓などは食べようとしないと言う。
猪血糕;も米血糕;も、もち米と動物(豚やアヒルや鶏)の血を固めたものだ。アヒルの血は滋養があり、昔から農家では、アヒルを絞めると、血を捨てるのはもったいないというので取っておき、米と一緒に蒸し固めて食べたという。これが広まって、庶民の味となったのである。
アヒルの血は供給量が少なくて値が高く、鶏の血は固まりにくいため、豚の血がこれに取って代わり「猪血糕;」ができた。現在は、蒸した猪血糕;に甘辛ソースを塗り、ピーナッツ粉と香菜をまぶして食べる。
明朝の『本草綱目』によると豚の血の性質は「鹹、平、無毒」で、血を増やし、中風や腹部膨満、湿熱などに効く。
美食家の焦桐は『台湾味道』の中で、猪血湯(固めた豚の血の入ったスープ)の起源を考察している。それによると、西洋医学を学んだ孫文は猪血糕;を絶賛している。「鉄分を多く含み、この上なく栄養価が高い。病後や産後、貧血などにはかつて鉄剤を用いたが、今は猪血湯で治療する。中国人がこれを食するのは野蛮なことではなく、科学と衛生にかなっている」
焦桐は、赤く柔らかくて肌理が細かい猪血に絶妙な味付けがなされたスープは創意に満ちた庶民の味だと考える。
これら数々の「国民食」的小吃のために、グルメ作家はカロリーオーバーに苦しむこととなる。料理審査員なども務める徐天麟は、一晩に18軒の屋台を食べ歩いたこともあるそうだ。

煮込み豚肉かけご飯
食物の記憶は時を経ても消えないと言われる。それは昔ながらの味を守る心意気でもあり、一種の思いやりでもある。作家の舒国治は、屋台の店主が「真夜中にビーフンスープの大鍋を煮え滾らせているというのは、人に対する一種の思いやりだ」と言う通りだ。
台湾小吃はさまざまな食文化を取り入れ、そこに庶民の知恵が加わって豊かになった。夜市の小吃は時空を超え、るつぼと化している。台南担仔麺が華西街へ、嘉義の鶏肉飯や黒香腸が士林夜市へ、高雄岡山の牛肉麺も各地へと進出し、その動きは止まらない。
小吃は夜市だけのものではないが、夜市で食べることに意義がある。一見秩序がなさそうで実は極めて合理的な空間で、夜という時の自由と開放感を満喫しつつ舌を満足させられる。これこそが、夜市に人が絶えない所以ではないだろうか。

高雄の六合夜市の露店が観光客に台湾のフルーツ蓮霧(レンブ)をふるまう。

鴨血糕

(写真左ページ左から)士林夜市の射的、饒河街夜市の金魚すくいと挽面(糸で顔の産毛を抜いてくれる)。上は小吃を手に夜市見物をする女性。新旧のさまざまなものが混在する夜市は夜が更けるほど賑わう。

肉チマキ

(写真左ページ左から)士林夜市の射的、饒河街夜市の金魚すくいと挽面(糸で顔の産毛を抜いてくれる)。上は小吃を手に夜市見物をする女性。新旧のさまざまなものが混在する夜市は夜が更けるほど賑わう。

(写真左ページ左から)士林夜市の射的、饒河街夜市の金魚すくいと挽面(糸で顔の産毛を抜いてくれる)。上は小吃を手に夜市見物をする女性。新旧のさまざまなものが混在する夜市は夜が更けるほど賑わう。

「特色ある夜市」の投票結果

かつて警察が発行していた露店営業許可証。毎年検査が必要だった。

(写真左ページ左から)士林夜市の射的、饒河街夜市の金魚すくいと挽面(糸で顔の産毛を抜いてくれる)。上は小吃を手に夜市見物をする女性。新旧のさまざまなものが混在する夜市は夜が更けるほど賑わう。

小吃(屋台料理)は夜市で最も重要な存在だ。大盛りの豚骨薬膳スープも安くておいしい。

昼間は車が行き交う通りが、日が暮れるとにぎやかな夜市になる。庶民文化のるつぼである夜市は台湾の重要な観光スポットだ。写真は高雄の六合夜市。

棺材板

基隆の廟口一帯の通りはもともと多数の屋台が集中する露店集中地域だったが、後に一部の屋台が公設市場に入り、廟口夜市だけが残った。写真は1977年の基隆市愛四路。

昼間は車が行き交う通りが、日が暮れるとにぎやかな夜市になる。庶民文化のるつぼである夜市は台湾の重要な観光スポットだ。写真は高雄の六合夜市。