「대만감성」(台湾感性/台湾エモーション)というのは、旅行に来た韓国人が台湾の街の景観を表現する時に使う言葉だ。
この言葉が指すのは、築40~50年を超える古い集合住宅(老公寓)や緑豊かな植栽、また色とりどりのネオンや看板、道路脇に停められたバイクや自動車、住宅街の公園の緑、小中学校、それに鬱蒼とした街路樹や、歩道橋や踏切などだ。
韓国人は、こうした風景が愛らしく、ノスタルジックで、リラックスできると言うのである。
台湾の首都‧台北には「台湾感性/台湾エモーション」という表現がぴったりくる地域がいくつかあり、これらの地域を散策する外国人観光客も多い。
例えば、台湾大学の近く、書店やカフェや小劇場などが林立する温羅汀(温州街‧羅斯福路‧汀州路)エリアが挙げられる。
また、国立台湾師範大学キャンパスの附近、師大路‧浦城街‧龍泉街など、帯状の師大公園を中心としたエリアも見逃せない。
さらに国立台湾師範大学キャンパスから少し歩いたところ、鼎泰豊や永康街氷館、永康牛肉麺などの名店が集中する永康エリアもある。
永康街からさらに少し歩くと、個性的なカフェや茶館が連なる麗水街や金華街、そして静かな日常の暮らしを感じさせる青田街や泰順街の一帯なども雰囲気がある。
これら市民の生活を感じさせる通りや路地に面した建物の大部分は、エレベーターのない4~5階建ての公寓(集合住宅/ウォークアップアパートメント)だ。1階は小さな庭のある店舗になっていて、この店舗を借りて商売をする人が多い。これらの建物の間には公園や緑地があり、ショッピングをしながら緑の中を散策できる。永康街一帯には昭和町文物市場や大院子、殷海光旧宅などのスポットもあり、同時に住宅のベランダの洗濯物や鉢植えなどから市民の穏やかな暮らしを垣間見ることができる。

緑の木々が生い茂る中に並ぶ古い公寓(エレベーターのない集合住宅)は、台北だけでなく台湾の都市で最もよく見る住宅街の景観だ。
戦後の住宅建築の実験場
これらエレベーターのない公寓を中心とした街はどのように生まれたのだろう。建築史に詳しい文化史研究者の凌宗魁さんはこう説明する。第二次世界大戦が終わると台湾の人口は急増し、農業社会から商工業社会へと変わり、都市への人口移動が始まった。そこで増加した住宅需要に応えて大量の集合住宅が建設されることとなった。
当時はエレベーターのあるマンションやビルはまだ珍しく、さまざまな実験的な集合住宅が次々と建てられた。中でも特に実験的な建物には特別な雰囲気があり、今でも街の特徴を成しているものもある。
例えば、螺旋階段やゴミ用ダクトシュートなど、当時としては最先端の西洋の工法を導入して建てられた南機場国民住宅は、フランスのベッソン監督の作品『LUCY/ルーシー』のロケ地に選ばれ、また陳玉勲監督の『海馬洗頭』もここで撮影された。
中山区吉林路にある「機車(バイク)道公寓」は、建物内に螺旋状に設けられた通路をバイクがそのまま階上まで上っていける設計で知られている。住宅としてはバイクの騒音は免れられないが、デリバリーや宅配が盛んな現代では非常に便利でもある。建築学者の李清志さんは「台湾のバイク文化を代表する建築物」としている。
万華にある華江整宅は、交差点のあるロータリーに面した集合住宅の2階通路と、歩道橋とがつながっているという珍しい設計で、戦後世代の6人の建築家——沈祖海、陳其寛、黄宝瑜、高而潘、虞曰鎮、郭炳才が手がけた。非常に珍しい建築物であるため、ミュージックビデオや、映像作品『有生之年』『刻在你心底的名字』などの背景にもなっている。

台湾大学の近くにあるフウチョウボク。毎年春になると淡い黄色の花を開き、周囲の古い建物と織りなす景観に思わず足を止めて見上げる。
低価格で暮らしやすい空間
しかし、これらのユニークな設計が他の地域で大量に複製されることはなく、最終的には階段を上ると各階の踊り場の両側に住戸があるという形の公寓が大量に建てられた。そして、この形の建物が当時から現在まで、台湾の都市生活の共通の記憶となっているのである。
台湾人にとっては、こうした公寓が建ち並ぶ生活感は「台湾感性」とは無関係で、ごく当たり前の景観である。
高齢化社会においては、4~5階建てでエレベーターのない暮らしは不便だが、不動産価格が高騰している昨今、共用部分の持ち分が少なく、四角く整った設計で、採光も通風も良い昔ながらの公寓は、まだ多くの人に愛されている。フードライターの葉怡蘭さんも、公寓についてこう書いている。「単に都市の歴史や生活面での感情的なつながりがあるだけでなく、そのシンプルで機能性を重視した様式、四角く整った間取りや、高い天井などに惹かれ、多くのデザイナーやアーティスト、フォトグラファーなどが敢えてこうした住宅を選んでいる」と。
確かにそのとおりである。『台北歩登公寓(台北のウォークアップ‧アパートメント)』を著した建築家の林君安さんは、エレベーターのない公寓をテーマとして博士論文を書いた。階段で上るタイプの公寓は、もともと第二次世界大戦後に西洋で建てられた社会住宅を参考にしたもので、都市人口の住居問題を解決するために建てられたが、それと同時に内部の空間設計においても工夫が凝らされている。
日本のドラマや映像などに出てくる、長い通路にドアが並んでいるアパートの場合、多くは1DKで単身世帯にふさわしい。台湾で最も普及している公寓の場合、各階に2世帯のドアが向き合っている住居の設計は左右対称で、四角く間仕切りされた3LDKとなっている。農業時代には家族全員が一つの部屋で寝ることも多かったが、現代社会になり、子供の数も減ると、性別ごとに寝室を分ける需要が出てきてこの形になった。

観光客が多い台北の永康街。商店や有名レストランが軒を連ねているが、ノスタルジックな建物を観賞することもできる。
カラフルな衣を着た現代住宅
このような各地にある公寓の中でも、台北市松山区の民生社区は異なる様相を呈している。
林君安さんの案内で、巨大なビルが並ぶにぎやかな民生東路の大通りを歩いていくと、向こうに小さな公寓群が見えてくる。
ここの住宅街には、聯合新村、聯合二村、光武新村と名付けられた古い公寓が並んでいる。林君安さんは、建築家の眼から見ると特別に優れたところがあるわけではないが、選び抜かれた色合いの外壁のモザイクタイルや、汚れが目立たない洗い出し仕上げの壁があり、階段の踊り場には丸窓やレリーフ、装飾的な格子などがあり、それぞれの建物に表情があるという。
こうしたデザインは、公寓が量産された時代のモダニズムが主張する機能優先の原則には反する。「当時の西洋の集合住宅建築を見ると外壁はシンプルな灰色で、構造的機能を持つ赤レンガや色のついた窓枠があるだけです。それに比べると、台湾ではタイルを貼ってあり、モダニズムの構造にカラフルな衣を着せたかのような装飾性や折衷主義が見られ、思いのままに装飾が施されています。こうして見ると、当時これらの公寓が建てられたのは現代化(modernization)のためであって、モダニズムとは関係がなかったように思われます」と林君安さんは言う。
また、当時の台湾には法的な規制がなかったため、家主は各自のニーズや美意識によってベランダや窓、手すりなどに手を加えたり、新たにタイルを貼るなどしてあり、台湾人の自由な気質が現われている。「本当に自由ですよね!」と林君安さんは言う。
林君安さんは、この民生社区は米国に倣った数少ない事案だと言う。碁盤の目に整えられた通りに連続性のある歩道が設けられ、地域の中を大量の公園が貫き、緑の樹木が鬱蒼と生い茂っているが、これらは他の住宅地では見られない優れた点だという。
西洋と違うのはベランダの様相だ。西洋では屋外に面したベランダは遠くを眺めたり、お茶を飲んだり、景観を楽しんだりする場所である。しかし台湾は熱帯、亜熱帯に属するためか、台湾人はベランダでさまざまな鉢植えを育てる人が多い。1階の住人は小さな庭に大樹を植えることも多く、それが大きく育って上の階まで届くようになっても上の住人がそれを気にすることはなく、通り全体が緑に覆われることとなる。
この民生社区には近年、最先端のファッショナブルな店も進出するようになり、商業化が進んでいるが、道路がT字型に配置されていることから、大量の車両が通り抜けることはなく、昼間もやはり静かな住宅地の雰囲気を保っている。

観光客が多い台北の永康街。商店や有名レストランが軒を連ねているが、ノスタルジックな建物を観賞することもできる。
変化する都市の景観
ただ、これらの古い公寓に少しも欠点がないわけではない。例えば、まったく共有スペースがないという不満を口にする人もいる。しかし林君安さんは「古い公寓は都市に属する」と考える。建物の空間は専ら住居用とし、公園の緑地やスポーツジム、映画館、プール、図書館といった施設を利用するには家から出て、都市の公共施設を利用するのである。
もう一つの欠点は、メンテナンスが不十分で建物が古びてしまったり、強制的なルールがないため思いのままに建て増しするなどして本来の建物の姿が失われてしまうことだ。
それでも、これらの古い公寓は今も揺らぐことなく存在していて、再開発なども容易ではない。都市観察をしてきた逢甲大学マーケティング学科の李律峰‧助理教授は、これについて、台湾人は居住環境に関して古くからのものを大切にする傾向があり、また社会的に私有財産を重視しているからだと指摘する。
また、これらの公寓と同時期に多くの歩道橋が建てられたが、これは、かつて道路交通は自動車やバイクを中心とするという観念があったことから来ている。その後、しだいに歩行者の権利が重視されるようになって歩道橋は時代のニーズに合わなくなり、取り壊される運命にある。
このように古い公寓は都市発展の過程における特定の時代を象徴している。こうした都市景観がロマンチックだと言われるのは、異文化に対する観光客のイメージからではあろう。しかしその一方で、人々が暮らしの現実の中で、台湾の気候や風習、法規、生活習慣、社会の発展などに適応しつつ発展してきた独特の公偶の姿は、決して完璧ではないものの、長所もあることを反映しているのかもしれない。

観光客が多い台北の永康街。商店や有名レストランが軒を連ねているが、ノスタルジックな建物を観賞することもできる。

観光客が多い台北の永康街。商店や有名レストランが軒を連ねているが、ノスタルジックな建物を観賞することもできる。

観光客が多い台北の永康街。商店や有名レストランが軒を連ねているが、ノスタルジックな建物を観賞することもできる。

外に螺旋階段が設けられた南機場公寓は、当時としては最先端の設計だった。

現在は夜市で有名な南機場。古い建物に書かれた番号は、建設当時の複雑な背景を反映している。



バイクで上の階にのぼれるスロープと階段が併設された機車(バイク)公寓。

暮らしの雰囲気が濃厚に感じられる古い公寓。

暮らしの雰囲気が濃厚に感じられる古い公寓。

暮らしの雰囲気が濃厚に感じられる古い公寓。

多くの映像作品のロケ地になっている華江整宅。歩道橋と集合住宅の通路がつながった設計がユニークだ。

手すりに赤い滑り止めがつけられた公寓。古い公寓の典型的な雰囲気を感じさせる。

心を込めて緑化を進めた路地には、居住環境を重視する民生社区住民の想いが現われている。

古い公寓を見ていると自由の美を感じると語る建築家の林君安さん。

窓格子や手すり、モザイクタイルなどに建築家のアイディアと、住民の個性が現われている。

窓格子や手すり、モザイクタイルなどに建築家のアイディアと、住民の個性が現われている。

窓格子や手すり、モザイクタイルなどに建築家のアイディアと、住民の個性が現われている。

窓格子や手すり、モザイクタイルなどに建築家のアイディアと、住民の個性が現われている。

窓格子や手すり、モザイクタイルなどに建築家のアイディアと、住民の個性が現われている。


古い公寓が今も使われ続けているのは、台湾人が昔からの居住空間を大切にし、また私有財産を重視するからだと李律峰さんは語る。

多くの人を惹きつける古い公寓は、今後消えていくかも知れないが、現時点では台湾の住宅建築の重要な一角を占めている。

多くの人を惹きつける古い公寓は、今後消えていくかも知れないが、現時点では台湾の住宅建築の重要な一角を占めている。