蘭陽平原の水と人情こそが、宜蘭県の二つの特産だという人がいる。古名をパリサランと称する三星郷にはこの二つの宝がどちらも備わっていて、宜蘭県の11の郷鎮(町村)の縮図となっている。雪山山脈と中央山脈の間に水源を発する蘭陽渓の流れは、三星郷に入って次第に緩やかとなり、広々と広がる蘭陽平原を通っていく。この平原の中で最初に河の恵みを受ける位置にある三星郷は、工業汚染を受けない水質が農業に適し、またこの地の文化を育んできたのである。
羅東から台七丙号の省道を西に向かっていくと、まっすぐ伸びた道の両脇には茄苳樹が風を受けてすっくと立ち並び、その先に広がる水田には緑が濃く薄くグラデーションを見せてすがすがしく純朴な田園の風景を形作る。水田の間を白鷺が行きかい、遥かに連なる山並み、ひなびた農家、石で畳まれた素朴な畦道、すべてが三星郷の静かな美しさを訴えかける。
車がまっすぐ続く国道の端の三叉路に差しかかったとき、三星郷の文化の香りが漂ってきた。右手には清新なデザインのタイヤル大橋が向こうの山に向かって伸びており、左に曲がると呂美麗彫刻芸術館の看板が都市からの観光客の好奇心をひきつける。こんな田舎の宜蘭の農村に、芸術館などというものが存在するのであろうか。
三星郷天送埤位置する彫刻芸術館は、展示館と共に静かな展示即売コーナーとコーヒーショップが併設されており、荘漢忠館長が手ずからお茶を入れながら見学客を迎えてくれる。「この芸術館では展示品を見るもよし、ここでお茶を嗜むもよし、みなさん気軽においでください」と言う荘館長は宜蘭に生まれ育った。何年か前に自分の商売を畳んで、奥さんの呂美麗さんと共にここにやってきて呂美麗彫刻芸術館を設立したのである。よそにはない博物館を運営して、観光客をひきつけなければと、荘館長は現地の自然や文化を結びつけた「天送埤郷土の旅」を打ち出し、観光客に自転車や美しいガイドマップを提供している。これを片手に、のんびりと豊かな田園風景を楽しんでもらおうというのである。
「天送埤は蘭陽平原では海抜が一番高く、土壌の排水がいい上に、蘭陽渓が山から流れ落ちてこの平原に入ってくるので、ミネラルが豊富に沈殿して土は肥え、耕作に適しています。さらに高い山から冷たい空気が下りてきて、空気の流れができます」と、荘館長は話す。空気が動いているので、天送埤の植物や野菜の生育条件は特に優れている。人の身体に例えてみると、どれほど栄養のあるものを食べていても気や血のめぐりがよくなければ健康になれないようなものである。この空気の動きがあるおかげで人の寿命も延びるらしく、ここのお婆さんは八十を過ぎても野菜を売り歩いていると、荘館長は微笑む。

生まれたばかりの雛の毛がまだ湿っている。呂美麗さんの繊細な作品には郷土への思いが感じられる。(薛継光撮影) (薛繼光攝)
面積140平方キロ余りの三星郷は人口2万2000人、平地は全面積の3分の1に過ぎないが、汚染されていない環境で水質がよく、雨が多いために農作物の品質は優れ、代表的な農業地域である。
「これが台湾で最高の葱です」と三星地区農業組合の技術員林さんは、農家の人が重さを量り束ねている青い細葱を自慢そうに指差す。三星の細葱は白い部分が15センチと長く、きめ細かな質で、政府農業委員会の吉園圃マークの認証を受けており、市場では普通の葱の倍の高値で取引される。
「吉園圃の認証を受けたということは、葱に農薬が残っていないからです」と、葱農家の陳さんは話す。三星葱が市場で高く評価されるように、長年にわたり農家では農薬散布の規定をきちんと守ってきた。「農薬を散布できない期間は、人手や昔ながらの方法で虫を駆除しなければならないので、大変です」と陳さんは続ける。
この葱は年間を通じて栽培でき、三星郷の栽培面積は250ヘクタールに上り、宜蘭県全体の葱畑の7割を占める。三星郷の主要な経済作物なのである。
「平均して一分地(約0.67アール)の生産量が2000キロですが、今年は値段がよくなかったので収入は8万台湾ドルで、原価を差し引くと利益は4万になります」と林さんは話す。この利益は、水稲の一分地1万台湾ドルを大きく上回る。葱農家は葱を植えていれば一家を養えるのである。こう見ると「三星郷の葱農家に嫁げば食いっぱぐれない」と言う諺は、不景気の今でも通用するようである。
葱と同じく有名なのがニンニクの苗の栽培で、生産期は冬の2、3ヶ月に過ぎないのだが、蘭陽平原の豊富な雨量に育てられ、ここで収穫されるニンニクの茎は細く柔らかく、香りや辛味などが濃いために、台湾各地の料理方法に向く。そのために最盛期の旧正月の期間には、台北首都圏向けニンニクの大供給地となるのである。台北の野菜市場では、宜蘭の葱、宜蘭のニンニクで知られているが、三星郷はこの名声に与って力がある。

三星郷の地図
7月から8月、三星街道の両脇には、上将梨の看板が目に付く。週末ともなると、その名に惹かれた観光客が梨狩りに訪れ、時には「梨の郷と茶の香り一泊の旅」に参加した台北人の姿も見える。
水気たっぷりの甘い上将梨は、一口噛んだだけでじゅっと汁が溢れ出す。そこで地元でこんな言葉がある。「上将梨を食べるからには、食いっぷりを気にしてはいけない」というのである。1斤100台湾ドルを超える高値がついても、消費者は財布をはたく。
「梨の栽培には重要な条件があります。夜昼の温度差が大きいほど甘くなるのです」と、定年退職した三星地区農協の幹事黄寿華さんは、梨栽培の成功までの道のりを思い起こして感慨を隠せない。それによると、蘭陽渓には朝晩西風が吹いて涼しいのだが、日中は太陽が照りつけるため気温が上がり、温度差が大きいという気候条件を形成するという。梨の名産地の梨山から帰郷した人々が、淮山梨の株に高冷地域の蕾を接ぎ、数年かけて栽培した。さらに栽培技術や病害虫防止のために専門家の指導を仰ぎ、こういった努力のかいがあって三星梨の品質を作り上げたのである。
三星梨の知名度が上がるにつれて、最近は偽物が出回るようになってきた。「ブランドイメージを維持して、消費者に信頼してもらえるためにも、農協としてこれには介入せざるを得ませんでした」と、三星農協の段蓬福さんは話す。収穫された梨は等級別包装場に送られ、品質によって等級別に包装されて冷蔵される。農協では上将梨を商標登録して宣伝カードを作成しており、これを農協から出荷する箱に添付しておいて、消費者が安心して買えるようにしている。

三星郷では薬品を使わない有機的な養鶏を推進している。広い空間を与えられたニワトリは肉質が良く、脂肪も少ないため、農協では産後の栄養補給用などの市場に売り込んでいる。
農産物の品質に配慮しつつ、三星農協は最近旅行会社の業務も始めた。7、8月の上将梨収穫期になると、パック旅行が次々と販売され、忙しく走り回っている、と農協の林さんは話す。農村体験ができるイベントの水準を維持し、利益を農家に還元するために、この業務を旅行会社を通さずに農協自身が取り扱うことにしたのである。
「これまでの農協は、農家に栽培法指導など農業の協力をしていればよかったのですが、今では業務が増えました」と林さんはここ20年の台湾農業の変化を見つめて、とくに感じるところがあるようだ。
台湾がWTOに加盟してから、上将梨の価格は去年下がり始めた。利益が上がらないのに見切りをつけた農家では、減産して模様眺めの態度である。去年、5000トンの韓国梨が輸入されて上将梨も影響は免れないが、WTOの衝撃に直面したとき、これが新しい転機かも知れないと考えている。
「個性を打ち出せば生き残る道はあります」と黄寿華さんは言う。WTOの時代を迎えて、台湾の高コスト問題に高品質で対応しなければならない。つまり、自分だけのものを作ること、あるいは他と同じものであっても質はより高くなければならないのである。

大洲駅は太平山森林鉄道の中でまだ保存されている二つの駅の一つだ。地域住民の働きかけによって、長年放置されたままだった駅は元の姿に建て直され、昔の記憶をよみがえらせる。
農家や農協は手を携えて三星の高付加価値農業や観光農業を推進しているが、もう一つ、文化に関心の高い人々も三星の文化の再生を目指している。
夏休みのある金曜日の夜、誰もがのんびりと週末を過ごしているときに、パリサラン郷土協進会の6人のメンバーが集まった。台七丙号の省道にパリサという道路名の採用を県が推進しており、その決定のために行われる住民投票への対策に、頭を悩ましていたのである。一軒ごとに宣伝のビラを配って、道路名変更にはパリサの県原案支持を訴えるつもりである。
協進会の幹事黄瑞疆さんによると、全長12キロのこの道路はこれまで13段に分割して命名されていたために、外来の客の困惑を招いていた。そこで県政府では今年道路全体をパリサ路に改名する案を提出したのだが、思いがけずも強い反対に遭ってしまった。進退窮まった県は、それなら住民投票を行なって道路の名称を決定しようということにしたのである。
「パリサとはタイヤル語で美しい竹垣という意味、三星の古名の元になっているものでもあります。それが日本時代になって発音しにくいというのでランがついただけなのです。景色のいいこの道の名称の由来がこうでは困ります」と、黄瑞疆さんは地方政治の力関係が複雑にした問題に、諦めるのではなく、実際の行動に出た。
パリサの語源を確かめようと、宜蘭高校で国語を教える黄さんは、多くの資料を調べた。その結果、清朝の劉銘伝の時代から日本時代まで100年余り、支配階級はパリサを行政区画の名称に用いていたことが分かった。これを拠り所に運動を展開したのだが、住民投票の結果は失敗に終わり、道路名はパリサランに決まってしまった。それでも黄さんは敗北を認め、これまでの運動を郷土の文化的教養を育てていくための過程の一つと見ている。
パリサラン郷土協進会のメンバーは教師、医者、牧師、実業家、果物農家などで構成されていて、1998年に設立された。メンバーの共通の関心事には、三星郷の文化、環境保護、町づくりなどのテーマが含まれ、地域の合唱団の設立や、昔ながらの古木の保護から、太平山森林鉄道の復活運動まで、様々な運動を手がけ、地域復興の理想を抱いて活動している。
「私たちは地域意識を結集し、エネルギーを呼び起こすことを目的としています」と、現会長の温淑玲さんは話す。現在のところでは影響力には限りがあるが、それでも地域意識は日々の積み重ねが大事だと、会に参加して4年余り、その活動の一つ一つの過程に収穫があったと考えている。
たとえば、現代の建築に多い冷たいタイルの文化から石の尊厳を取り戻そうと、会では石畳の道を提唱し、町の人が蘭陽渓で豊富にとれる石を生活に取り込むように運動をしている。今では三星では畦を石で作り、街角では花壇や芝生を石で囲ったりと、石の素朴な美が加わってきた。

吉園圃のシールを貼ったおいしそうなネギは三星ネギの質の高さを示しており、今後の高付加価値農業の方向性も示しているようだ。
こういった文化的環境の形成において、太平山森林鉄道の復活はパリサラン協進会が4年にわたり進めてきた重要な計画である。
台湾がWTOに加盟した後、農村では観光農業が重要になると考えて、黄さんたちは鉄道復活に力を注いできた。観光農業の時代の到来にあわせて、昔の鉄道の復活が観光の大きな鍵となるだろうと考えているのである。太平山森林鉄道は、牛闘から三星まで計9.6キロで、沿線には山あり谷あり、また田園風景や小さな町が点在し、どこをとっても観光向けの魅力を備えている。鉄道が再開されれば、民宿や飲食業などの周辺産業の掘り起こしにもつながるし、また鉄道自体が有する歴史的な意義も重要である。太平山のヒノキ林は日本時代初期に日本人に発見されて伐採が始まり、かつては台湾の重要な経済の柱であった。宜蘭県第二の都市である羅東は、太平山の木材集積地として栄え、その昔日の繁栄ぶりは西部の平野の大都市を凌ぐほどであったと言う。日本時代の中ごろには、沿線住民の要求に応じて、木材輸送専門だった鉄道で旅客輸送が始まった。その後1970年代には、太平山の観光ブームで座席指定の急行も運行され、観光客でにぎわった。ところが道路が整備されて客を奪われ、そこに台風による破損が加わって、鉄道はついに1979年に運行を停止する。
太平山から切り出した材木の総体積は、その最盛期には阿里山のそれを上回っていたと、黄さんは言う。ただし阿里山の方が開発が早く、鉄道もよく保存されて今も運行しているためにそちらの方が有名になったが、太平山こそが台湾林業の雄だったのである。
現在、かつての太平山森林鉄道の跡は残っているが、レールはすべて撤去されており、運行の再開には億単位の経費が必要となり、簡単に行なえる事業ではない。協進会ではこの4年間、一万人の署名運動や地方のお年寄り座談会などで共通認識を形成し、地方の政治家を訪問して支持を取り付けたり、鉄道跡地を調査してパンフレットを作成するなどの活動を続けてきた。それがようやく県政府の目に留まって、評価が行われることになったのである。昨年、県政府は歴史的建造物保存の短期目標に基づき、天送埤駅の補修経費を計上した。傾きかけてきた駅舎が再び地域に蘇り、かつての面影を思い起こさせる。

三星の上将梨はWTO加盟の衝撃を受けているものの、農家の人々は質の高さで高コストという台湾農業の体質を克服しようとしている。
パリサラン協進会の地域再興を目指す運動に対して、荘漢忠さんと呂美麗さん夫妻の三星芸術館の物語は一つの美談である。
なぜこんな田舎に芸術館をと尋ねてみると、「呂先生の創作のためです」と荘館長は答える。他に生計の道を求めなければ、年数点の作品では生活できない。しかも人生と青春をかけた作品を売ることも出来ないのである。鶏が虫を探して土を掘るみたいなもので、ここにいなければあそこを掘るしかないと、荘館長は言う。スポンサーに左右されては創作は出来ないということで、地価が安く静かで創作に適した三星郷の土地に、小さくとも質のいい芸術館を開設し、自給自足の創作の路を選んだと話は続く。
呂美麗さんは若い頃をデザイナーとして過ごしてきたが、スポンサーに制限されるデザインの仕事に嫌気が差し、別の道を求めた。焼き物、彫刻、美術は全部学んだというが、その後、木の香りが気に入って彫刻の路を選んだ。さらに多くの年月を木彫りの研究に費やし、人生の目標を見出したのである。呂美麗さんの彫刻素材は主に黄楊の木で、題材は大自然の昆虫や蘭そして仏像である。「殻から孵化したばかりのヒヨコの和毛を見てください」と、荘館長は見学者をガイドしながら館内の作品の鑑賞を手ほどきする。生きているかのようなイナゴが飛び立とうとしているところ、ひらひらと花の間を舞う蝶の姿、優雅な蘭の花などが次々と目に入ってきて、その精確で繊細なタッチの彫刻の技術の高さに驚かされるが、また作品一つ一つにあふれる作者の郷土の自然への愛情には心打たれるものがある。
「私の作品はお子さんにもお年寄りにも見ていただけます」と、内気で無口な呂美麗さんは言う。芸術は額縁に縁取られたままではなく、生活の中に入り込んでいかなければいけないのだと、彼女は考える。そこで彫刻の作品ばかりではなく、ガラスの装飾品、中国結びの作品やギフトなども彼女の創作範囲に入っている。そのデザインした木製の壁飾り「充満勝算」(中国語では葱満盛蒜と発音が似ている。ニンニクとネギをモチーフにした作品)は、政府農業委員会の「一郷一休閑」(一村一リゾート)のアイディアお土産品コンテストで上位に入賞した。展示即売センターを一回りしてみると、そこここに女性ならではの繊細さとアイディアが満ちている。芸術が生活に入り込むという考え方こそが、三星郷の産業や自然を活用して、田園情緒の自転車の旅を開始した思いに結びついていく。
黄昏の三星郷はようやく涼しくなってきた。タイヤル大橋付近の玉蘭お茶畑に登ってみると、遠く蘭陽平原を見晴らすことができる。千年余りに渡ってここに暮らしてきたカバラン族、タイヤル族などの先住民と、後に移住してきた漢民族とは、険しい山を越えたこちら側で、努力しながら故郷を作り上げてきたのである。この精神が今日にまで伝えられて、WTOへの挑戦、そして地域を作り上げる頑張りにつながり、また芸術家が独自の彫刻の道を歩む基盤にもなり、この世代の人の血の中にも脈打っている。

木彫家の呂美麗さんと夫の荘漢忠さんは、自然に囲まれた静かな三星郷天送
の地を自らの故郷に選んだ。創作に励むと同時に、地元の大自然や文化を結びつけて、観光客にさまざまなアドバイスをしている。

幾重にも連なる緑のネギ畑に子供たちが遊ぶ美しい田園風景。三星郷の人と水の物語は、蘭陽平原の文化を象徴している。

石を積み上げて作った「草垺」に多くの観光客が足を止める。同じようにして作った植木鉢も味わい深い。パリサラン郷土協進会がこの石の文化の推進者だ。