馮光遠の新たな挑戦
中国時報紙の出身で、映画、劇場、ラジオ、テレビなどに豊富な経験を持つ馮光遠は、昨年、同級生のよしみで金石堂のマーケティング・ディレクターを引き受けた。金石堂の親会社、高砂紡績の社長周伝芳シ氏の妻が大学のクラスメートだったからだ。大きな権限を与えられた馮光遠は金石堂再生に乗り出した。
馮光遠の専攻は図書館学で、コネティカット州でマスメディアを学び、また中国時報のアメリカ支局で編集翻訳を行った。10数年のアメリカ生活で、彼は常に笑いはその国の文化にいい影響をもたらし、アイロニカルな表現方法もある種の芸術の形だと考えるようになった。台湾に戻った後、中国時報の執筆委員となり、皮肉を交えながら政治家を語るコラムを担当した。これが人気となり、台湾の政治評論にアイロニーという新しい道を切り開いたのである。
マスコミに「アイディアマン」と称されることについて、彼は中国時報で卜大中や張大春、劉黎児など「奇人」と言われる人が多かったせいだと考えている。当時、創業者の余紀忠氏のもと、それぞれが自由に発想して名を馳せた。評価はさまざまだが、ルールに従う人の多かった時代に自由にやった人のほうが、企業にないものを生み出し、知名度とイメージの向上をもたらしたのだ。
馮光遠は老舗書店との出会いで学んだことがある。それは「アイディア」は、さまざまな世代や文化を経験してやっと生まれるということだ。長い時間の蓄積がなければ自分のスタイルは生まれない。金石堂に必要なのは、まさに時間が築いてくれるスタイルなのだ。
作家のコーヒーカップ
「私の文学書房」のカフェには、作家たちのカップが飾ってある。作家がここを自分の家のように感じ、コーヒーを飲みに来てほしいからで、そのために作家たちに自分のカップを置いてもらった。だがまだ完璧ではない。作家の名前や物語をカップの横に置こうというのが彼のアイディアだ。また作家は「酒で筆が進む」と言われているので、今後はグラスを置き、ここで一杯やってほしいとも思っている。西洋の文化的な宣言や運動は、パブや喫茶店、サロンなどから生まれており、ここも同じように文化人や芸術家が交流し刺激を受け、インスピレーションを得られるような場にしたいのだ。
「私の文学書房」は、非常になごやかで快適なスペースとなっており、誰でも読書が楽しめる。馮光遠はアメリカにいた時、何軒か足しげく通う古書店があった。それらの店には、例えばソファだったり、片隅の椅子だったり、すばらしいコレクションだったりといった引きつけられる理由があった。古書店には、変なものも見つけられるという偶然の出会いの喜びもあった。馮光遠はついこの間完成した文学書房が、それぞれの読者にとって暖かな思い出のつまった場所になることを期待しているのだ。