台北関渡の北台湾科技学院(前身は光武工業専科学校)には世界初のロボット博物館がある。ロボット研究が盛んな日本の、名古屋にあるロボットミュージアム(2006年10月設立)より早く開館した。
人型と昆虫型ロボット1000点、200種以上が収められたこのロボット博物館は学生と教員が一緒に作り上げたもので「怪獣電力公司」と名づけられた。2005年末の開館以来、1万人以上の小中学生が見学に訪れている。ロボットが人類の生活にどのような影響を及ぼすのかを知るには、まずここを訪ねてみたい。
学校は夏休みだが、北台湾科技学院電機学科はにぎやかだ。7月からロボットサイエンス合宿が始まり、子供たちはロボット博物館で楽しく過ごしていた。
電機学科ビルの4階にある博物館の面積は80坪、入口には日本のアニメ「機動戦士ガンダム」の主人公ザクが立っている。人と同じ背丈のザクに子供たちの目は輝き、皆が写真を撮る。
博物館は、生物ロボットと人型ロボットの二大テーマに別れている。前者はペットロボット、水中ロボット、昆虫ロボットなどで、人型ロボットは200種以上のスタイルがある。
展示されたロボットは、スイッチを押してモーターとチップを起動すると、手足を動かして踊り始める。前後に歩く姿を観察すればロボットのメカとエレクトロニクスの構造や設計原理が分かってくる。初期のロボットはモーターで歯車を動かしているが、新しいものはマイコンやセンサーを用い、主人の命令に従う。
傍らの舞台には20頭余りの恐竜型ロボットと、2つのモーターと32本足で歩くムカデロボットがあり、子供たちは手にとって動かすことができる。解説員は、言葉を話すドラえもんや、とんぼ返りや腕立て伏せをするロボットを動かして見せる。
子供たちが大きな収穫を得られるよう、博物館は「見学した後、6本足の昆虫ロボットを組み立てなければ帰ってはいけません」というルールを定めている。図解を見ながら組み立てれば1時間で完成し、みんな充実した表情で帰って行く。

ソニーが開発したAIBOは人間のよき友人だ。長く飼ううちに行為能力も成熟していく。
科学好きのピーターパン
空間に工夫を凝らした一般の博物館と違い、ここは狭く、解説員も学生や先生が担当している。ロボット博物館開設は、北台湾科技学院電機学科の潘同泰副教授の夢だったのである。
潘さんの英語名は「子供のまま時間が止まった」ピーターパンと同じだ。1985年に逢甲大学自動制御工学研究所を修了、ドイツ留学経験のある徐佳銘先生に学び「ロボット視覚システムの設計」で教育部の青年発明賞を受賞した。これに勇気付けられ、以来20年間ロボットを愛し、研究し続けてきた。
卒業後、潘同泰さんは工業研究院に就職した。機械研究所で開発に携わった工業用ロボットは、自動車工場のハンダ付けや塗装を手伝うもので、台湾の機械産業を大幅に向上させた。その後、中山科学技術院に移って、工業ロボットの国防への応用を研究した。
長年の経験を積んだ後、1992年に教職に就いた。「少数の人しか技術を知らないので、もっと社会に役立つことをしたい。展覧会や博物館を開くのが、一般の人々に科学知識を普及させる最良の方法だ」と考えていた。
この夢を実現するために、友人に頼んで、外国に行く機会があれば玩具店などで新型のロボットを買ってきてもらった。また資料を調べ、初期のロボットの所有者が分かれば、手紙を書いて譲ってくれるよう頼んだ。さらに荒野保護協会やコミュニティカレッジで解説員の訓練に参加し、展示活動のノウハウを学んだ。
同時に、学生を率いて教育部が主催する各種のロボットコンクールやマイコンシステム設計コンクールに参加して国家科学委員会からロボット計画経費を勝ち取り、賞金の数十万元でさらにロボットを購入した。

解説員は多足歩行のムカデロボットを操作し、子供たちにロボットが歩く原理を教える。
ロボット展示の専門家
ロボット博物館は2005年11月にオープンした。ロボットを通しての科学教育普及が評判になると、中国時報が主催する「2006年ロボット教育博覧会」に協力してコレクションを台北、桃園、台中、高雄で130日にわたって展示した。50万人が入場し、学生も教員も疲れ果てた。
「ロボット展が化石展と違うのは、手にとって動かしてもらう必要がある点です。子供が遊んでいるうちに恐竜の顎が取れてしまったら、すぐに修理しなければならないので、それが大変です」
展覧会に協力したことで、潘同泰さんは多くの人と出会い、博物館のことを知った企業がロボットを寄贈してくれた。エ}衆展覧公司が寄贈してくれたロボットには高価なものも多い。1体250万元、身長120センチのセキュリティロボットもあれば、漫画ファンが大好きな日本の「鉄人28号」、それにタイム誌が2005年の最も優れた発明に選んだ日本のZMP社のnuvoもある。
「鉄人28号」は、日本の漫画家・橫;山光輝が1956年から描き始めた同名の漫画の主人公である。このロボットは日本で200体だけ販売された限定品で、シリアルナンバーがついている。頭は小さく身体はたくましい二足歩行のロボットで、ABS樹脂のブルーのボディーは堂々としていて、漫画ファンに愛されている。
有名なnuvoは、世界初の家庭用二足歩行ロボットで、フランス語のnuvoには「斬新、特別」という意味がある。高さ39センチのこのロボットは歩行やダンスができ、言葉を話したり音楽を流したり、時間を知らせたり、握手したりできる。無線オンライン機能があり、頭部のカメラを通して、外から携帯電話で家の中を監視することもできる。
ロボット博物館は多くの人の協力を得て成り立っているが、まったくゼロからスタートしたわけではない。潘同泰さん自身がロボット研究者だからである。
潘さんはロボットの視覚システムの研究から入った。「以前のロボットには眼がなかったので、工場で作業をする時には部品をきちんと並べておかないと、ロボットはそれを取れませんでした。今は画像処理と円形識別システムがあるので、仕事の効率も高まりました」と言う。
1999年、潘同泰さんは昆虫ロボットの開発を始めた。メカ、サーボモーター、モーターコントローラー、マイクロコントローラー、赤外線センサーなどを用いて6本足の甲虫ロボットが完成した。「難しいのは、本物の虫のように歩かせるためにモーターをコントロールするプログラムです」
彼は野外で昆虫の歩き方を観察した。出来上がった甲虫ロボットは前進、後退、方向転換ができ、物にぶつからないように歩く。ラジコンにしてカメラで目標をモニターすれば、任務を遂行することもできるだろう。
「中文ではロボットを機器人と言いますが、実は精確ではなく、誤解も生じます。初期の工業用ロボットは1本の腕だけで、人の形はしていませんから」と話す潘さんによると、多くの人は人型ロボットを好むが、2足歩行は平らでないところでは転びやすい。6本足の昆虫ロボットは安定していて山地や地震発生時の救難にも役立つのである。

ロボット研修キャンプでは、子供たちは自分で簡単なロボットを組み立て、達成感を味わうことができる。
人類のよき友人
ロボット教育を普及させるために、潘さんはこの4年間、学生とともに各種ロボットを持って台湾各地の小学校をまわり、100回以上ロボット研修キャンプを開催してきた。このように努力するのは、ロボットは人類のよき友だと信じているからである。
歴史を紐解くと、ロボットが登場して300年になる。1624年、イタリアのブラチェルリが初めてのロボットの絵を描いている。この人の姿をしたロボットは、身体も手足も四角い機械の構造をしていて、後のロボット設計に大きな影響をあたえた。
1920年、チェコの作家カレル・チャペックが戯曲の中で初めてrobotaという言葉を用いた。強制労働という意味があり、英語ではrobot、中文では機器人と訳された。これによって、自分に似た機械を作るという人類の夢が始まったのである。
1927年にオーストリアの監督フリッツ・ラングが制作したSF映画「メトロポリス」はこんな物語だ。未来の世界では資本主義が過度に発達して生産は完全に機械化され、人々は階級に分かれて対立している。ある資本家が、労働者階級のリーダー、マリアに一目惚れして彼女をさらい、彼女にそっくりのロボットを作って労働者をコントロールしようとするが、暴動が起きる。
歴史におけるロボットの進化を理解するには、ロボット博物館の歴史エリアを時間をかけて見学する必要がある。さらに時代を追っていくと、1939年に日本のKT社が製造した最初のブリキロボットがあり、続いてソニーの五世代のAIBOが7匹並ぶ。
1匹10数万台湾ドルのAIBOは、ロボットテクノロジーの進化を代表している。二代目AIBOは前身に18のモーターがあって四肢がたくみに動き、頭を180度動かすことができる。視覚や聴覚、触覚などがあり、飼い主の命令を聞く。飼い主に頭をなでてもらったり、足を握ってもらったりするのが好きで、うれしい時には目が緑に光り、怒ると赤く光る。五代目のAIBOはもっとすごい。長いあいだ飼っていると、本物のペットのように心や行為が成熟していくのである。
「AIBOの情緒反応は、内蔵された消えないメモリーから来ていて、電源を切っても前回飼い主に頭をなでてもらったことを覚えています。触角は手足と頭と背中にあるマイクロスイッチ、聴覚はマイクですが、手をたたくとやってきて、言葉が聞き取れるというのは、ソフトエンジニアの力を示しています」と潘さんは言う。
半世紀前、アメリカの作家アシモフは小説『われはロボット』の中でロボット研究の3原則を提起した。第一に、ロボットは人間に危害を加えてはならず、人間が危害を受けるのを座視してはならない。第二に、第一の原則に反しない限り、ロボットは人間の命令に従わなければならない。第三に、上の二つの原則に反しない限り、ロボットは自己を守らなければならない、というものだ。

恐竜型ロボットに興味津々の子供。
テクノロジーを集約する分野
1977年のハリウッド映画「スターウォーズ」には銀河の600言語を解する愛らしいロボットC-3POと、メンテナンスロボットR2-D2が登場し、人間とともに宇宙を旅していた。後の『ターミネーター』には殺人ロボットが登場する。人間は昔から「もう一人の自分を創ること」の喜びと、自分が創造した物にやられるという恐怖の間を揺れ動いてきた。
哲学的な問いの答えはすぐには出ないが、人々が昔から思い描いてきた「ロボットが人間を手助けする」という状況は少しずつ実現しつつある。
「初めて映画に登場したロボットは悪い女性でしたが、ロボットは確かに人間の力になるものです」と潘さんは言う。1960年代にアメリカの自動車工場で初めて腕の形のロボットによる塗装作業が行なわれるようになって以来、ロボットは40余年も黙々と人間を手伝ってきた。しかも危険できつく、きたない3Kの仕事が多い。例えば放射性廃棄物の処理やネジ締め、あるいは人間には行けない深海の探査や宇宙ステーションのメンテなどである。
「ロボット産業は国の産業発展にとって非常に重要です。情報、光電、材料、機械、電子などの各分野を集約した総合テクノロジーだからです」と話す潘さんによると、政策的にこの分野が重視されないこともあり、ブームになったり、冷え込んだりする。だが今はこの博物館があるので、持続的に運営していき、展示品を拡充していくことで一般市民にロボットに触れる機会を提供していけば、この分野の起伏も少なくなり、世界の趨勢に大きく後れを取ることもなくなるだろう。
ロボット博物館は北台湾科技学院の学生と教員の夢をかなえた。彼らは、博物館を通して、一般の人々とロボットテクノロジーの距離が縮まることを願っている。
所在地:台北市北投区学園路2号, 北台湾科技学院電機学科4F
開館時間:月曜から金曜, 午前10時から午後5時
入場料:維持修理のため1人30元
サイト:www.tsint.edu.tw/museum