一枚一枚のレンガに込めた思い
台南からさらに南へ、高雄市の大樹区を訪ねてみよう。ここはかつて台湾で最も多くのレンガ窯が集中していた地域である。「全盛期には100以上の窯がありました」と三和瓦窯の林昭如は言う。1970年代に時代が大きく変わって鉄筋コンクリートがレンガに取って代わり、1988年には三和瓦窯が大樹区で唯一のレンガ工場となった。
レンガ工場で育った李俊宏は、銀行に勤める傍らで、レンガ工場を経営する叔父の李玉柱と母親を手伝って配送などをしていた。高齢になった李玉柱は、このまま廃業するのは惜しいと考え、李俊宏に家業を継ぐ気はないかと幾度も訊ねた。幼い頃に父親と一緒に過ごしたレンガ工場は、李俊宏にとって父親との思い出の場でもある。
いろいろと考えた末、李俊宏は銀行の仕事を辞めてレンガ工場を継ぐことを決意する。当面の急務は、衰退したレンガ工場に新たな道を見出すことだった。
母親が箸立てを作るのが趣味だったことがヒントになり、李俊宏は工芸品にチャレンジすることを考えた。だが、伝統のレンガ工場でどのように工芸品を作るのか。
ちょうどその頃、東方技術学院(現在の東方デザイン学院)美術工芸科の学生が、卒業制作でレンガ彫刻を作りたいというので訪ねてきて縁が結ばれ、三和瓦窯に工芸品への道が開けた。
レンガは焼成後に細かい彫刻を施すのは難しく、焼く前なら細緻な彫刻ができるが、今度は窯のコントロールが難しくなる。そこで李俊宏は、台湾工芸所にレンガ彫刻を「コミュニティ工芸育成計画」に入れるよう働きかけ、東方技術学院の学生による地元住民の育成が開始され、工芸品開発が始まったのである。
政府による3年間の助成プランが終わる頃、工芸品の種類と販売ルートも少しずつ確立し、李俊宏はデザイン会社を設立し「三和瓦窯」というブランドを打ち出した。
赤レンガの道に沿って行くと、三和瓦窯のショップ「磚売店」があり、美しいレンガ製品に巡り合える。