この、高さ3メートル、重さ3トンの巨大な彫刻作品はふっくらしたラインと冷たい鋼鉄の質感を持ち、意外性、剛と柔、新旧の間のバランスの美を示している。「台湾如意生命」と名付けられた作品は、康木祥の「生命」シリーズの最新作で、中国伝統の「如意」のデザインを用いて、祝賀のめでたい意味を込めた。
「如意(意に叶う)の名は吉祥で、不求人(孫の手、人に求めないの意)は運を手にし、他に求める必要がないという意味です」と康木祥は説明する。中国的意匠の作品は、カールスルーエの都市建設300周年を祝賀する贈り物である。
「ドイツ人はリサイクルと環境保護を重視しますが、この作品はその精神にかなっています」とドイツ経済弁事処のロランド・ウェイン処長は康木祥の作品について、現代の素材と伝統的イメージを結び付け、廃棄されたワイヤーに新しい生命を吹き込んだと評価する。
天地自然を師に、芸術性を獲得
今年54歳になる康木祥は、数少ない生粋の台湾芸術家と称される。若い時に伝統の木彫技術を学んだが、その作品は古い文化の枠を乗り越え、自身の様式を確立している。
康木祥は13歳で木彫を学んだが、若い頃の作品は、誰もがよくわからない、何を彫っているのかと、変人扱いされた。
「小さい頃から、他人と同じものは彫らない、自分の彫刻を作ると決めていました」と康木祥は語る。木彫職人は、お客が関羽をと求めれば、長い髭に青龍刀の像を彫る。それは職人の生きる道だが、自分は単に生存するのではなく、自分の生を生きたいと考えた。
康木祥は苗栗県通宵の木工職人の家に生れ、木工職人の生活はよく知っていた。青少年期を迎えた1970年代は、台湾経済の成長期に当り、裕福になった人々は札束を掴んで、あちこちに美術品を買い漁り、木彫産業も黄金時代を迎えた。
しかし、康木祥は自分の空はもっと高く、職人ではなく芸術家になると考えていた。
1990年代に入ると、木彫産業は転換期に入り、木彫職人も製作ではなく創作に向い始めた。人に先んじて創作を開始していた康木祥は、しばしば展覧会を開き、その足跡は南アメリカ、東南アジア、日本に及んでいたが、この時、創作の壁に突き当っていた。
2002年、大型台風が台湾を襲い、大量の流木が台湾東北角海岸と亀山に堆積した。観光局東北角風景管理処はその処理に困り、費用をかけて廃棄するより、芸術家を招き作品にしようと考えた。
そこで、康木祥は無人島の亀山島に上陸し、世の中から隔絶した創作生活を開始した。
本物の天地を目にしたと、康木祥は語る。ただ一人、毎日空と星と海に向合うことで、生命の儚さ、小ささを痛感した。この一年に及ぶ独居生活が、その後の創作意欲の源となった。特に無数の流木との出会いは、自然の神秘を感じさせた。「これらの流木は、山で数十年数百年を生きてから、山、川、海、潮を辿って島に漂着したのです。私と何らかの縁があるのではないでしょうか」と康木祥は笑う。毎日創作に明け暮れ、時には食事も忘れていつの間にか一年が過ぎた。
無限の生に
亀山島での独居生活を経験し、康木祥は生命をイメージした創作シリーズを展開する。
生命のテーマは幅広い。康木祥は巨大なふっくらした円の母体と、か弱く小さな嬰児を通して、母に抱かれた生命の最初のイメージを表現した。大きな円は陰陽五行を包括し、康木祥の多年にわたる修行による会得を示す。
生命シリーズが康木祥の創作の主軸となり、三義にある彼の美術館の主要コレクションとなった。それが2013年になって、康木祥は台北101と出会い、その生命がさらに先に延びていく。
台北101は世界最高のグリーン建築だが、また世界最速の超高速エレベータを擁する。その使用するワイヤーの強度は言うまでもないが、年月を経て摩耗し交換せざるを得ない。台北101の宋文琪・董事長によると、交換したワイヤーは長さ数百メートル、重さ数トンに達し、かつては台北101を支えたものだが、捨てるには惜しいと倉庫に保管してあるという。
再利用プランを考えたが、いいアイディアが浮かばず、多くの芸術家に創作を持ち掛けたが、誰もが首を縦に振らなかったと、宋董事長は話す。それが友人に康木祥を紹介され、このワイヤーに再利用の道が開けた。
ワイヤーは何万本ものスチール線が撚り合されていて、屈曲させるのは不可能で、まして芸術作品にはなりそうもなかった。経験のない素材でこの難題に挑戦するに当り「誰もが無理と言いましたが、やると言えばやるのが芸術家です」と康木祥は言う。ワイヤーは極めて高品質で、しかもかつて延べ660万人を運んだもので、数多くの生命がここに絡まっていると思った。「流木が少なくなり、値段も上がっているので、新しい素材を試そうと思ったのです」と笑う。
作品制作前に、まず輪郭を描き細部を修正してから、発泡スチロールで10分の1の模型を作り、全体の造形を確認した。この作品は最初から最後まで一続きのワイヤーで構成されるため、まず太い麻縄で試作品を製作し、手順、曲げや巻きの角度、長さを確認してから作品制作にかかった。
「このワイヤーは本当に手強くて」と、康木祥は手に残る数多くの痣を指さす。
長年の使用でこびり付いたオイルを薬品で洗浄し、高温でワイヤーを柔らかくして引っ張り成形してから、内部の骨組みに溶接した。
康木祥と助手はまるまる一年半の期間をかけて困難な作業を完成させた。完成した時には筋肉を傷め、やけどの跡が点々とし、溶接で目を傷めたのだが「短い生と引き換えに、子孫に残せる芸術の永遠の価値を手に入れたのですから、満足です」と康木祥は語る。
台湾からの祝福、如意生命
ワイヤーを使った康木祥の作品「無限の生命」は完成後に台北101の前庭に置かれ、足を止めた通行人は解説パネルを読んで「エレベーターのワイヤーが芸術作品になるのか」と驚いた。
2014年に外交部の史亜平・次官がドイツを訪問して、翌年がカールスルーエの都市建設300周年に当たることを知った。「この機会にドイツとの友好を深めたいと思ったのですが、イベントや公演は一時のものなので、長く残るものはないか考えました」と、台湾を代表する芸術作品を贈ろうと考えた。そこで「厚かましくも、康木祥先生に電話でお願いしたのです」と彼女は言う。思いがけずも、康木祥は二つ返事で快諾し、無償で創作を提供すると言って、彼女を感動させた。
カールスルーエは連邦憲法裁判所の所在地であるが、その都市計画は自然を尊重し、緑と共生することで知られる。またドイツはそもそも環境とリサイクルを重んじる国柄で、これも康木祥の気持ちを惹きつけた。
カールスルーエ市で都市景観を担当する委員会はこの芸術作品の受け入れを決議し、市の中心部にあるショッピングセンター前の一等地、コンサートホールの隣に設置することにした。
台北101がワイヤーを提供し、エバーグリーンは輸送費を負担し、特製コンテナを調達して、巨大な芸術作品をドイツまで送り届けた。
カールスルーエでは都市建設300周年の記念イベントが6月末から始まり、康木祥も8月には招かれて、木彫の実演を行うという。
エレベーターのワイヤーの再利用創作で康木祥は世界の先を行っている。自然を愛する彼はこれからもチャレンジしていくという。未使用のワイヤーについて、長い白髪をたなびかせながら康木祥は「この作品は開始に過ぎません。台北101からこのワイヤーが五大陸に延びて、世界を繋ぐワイヤーとなるでしょう」と力強く語った。
康木祥の代表作「生命シリーズ」は、ふっくらした滑らかなラインで母体と幼子の愛情を表現する。
長い白髪と髭がトレードマークの康木祥だが、ワイルドな外見の中に繊細で優しい心を秘めている。
ワイヤー作品の制作過程では、完璧な美を追求するためにゴーグルをつけずに溶接したため、目を傷めた。右は骨組の中に自ら入り込んでワイヤーを成形する様子。
ワイヤー作品の制作過程では、完璧な美を追求するためにゴーグルをつけずに溶接したため、目を傷めた。右は骨組の中に自ら入り込んでワイヤーを成形する様子。
左から、外交部の史亜平・次官、ドイツ駐台弁事処のロランド・ウェイン処長、康木祥、台北101の宋文琪・董事長らの力が合わさり、「如意生命」が誕生した。