百年の水田を守る使命
貢寮にある阿先小農場の主人・楊振鑫も、楊儒門の誘いを受けてマーケットに出店し、環境にやさしい農業の理念を広めている。
14年前は台北で自動車修理店を経営した楊振鑫は、病気の父を看護するために一家で貢寮に戻った。そこで父の農作業を手伝っていた子供時代を思い起こし、家の農地で野菜やサツマイモの栽培を始めたが、次第に興味がわいてきて、農業委員会の環境課程に出席した。そこで、意外なことに現在は農家10軒ほどの貢寮がかつては3000ヘクタールの棚田を有していたことを知った。
四季を追って谷間の棚田の景色は変化する。緑なす田植から黄金の波の収穫まで、季節の変化を見せる貢寮は桃源郷と称された。しかし時代は変化し、商工業の発展につれ若い世代が流出し、農業は衰え棚田は雑草の荒れ地となった。かつての貢寮の風景を思い、楊振鑫は言葉に詰まる。
環境にやさしい農業の理念を広めようと、楊振鑫は宜蘭県大宅院のファーマーズ・マーケットに出店した。マーケットは小規模農家と消費者との交流の場になると考えたのである。2回のマーケットに出店しても、1回の収入は500元にも満たないが、それでも第一線に立って消費者に環境にやさしい農業の楽しさを伝えることができる。
新店市碧潭のマーケットに出店してからも、貢寮の棚田を紹介し、水田が土地にもたらす利点を語る。その売り場に出向くと、貢寮の棚田復原を目指すその使命が書かれているが、売り場には米は売られていない。収穫を待たずに、すでに20人余りの常連客が予約購入していたのである。
その20人余りの常連客は、楊振鑫が環境にやさしい農業を始めたこの6年に口コミで伝わり、彼を支えてきてくれた人々である。
時には消費者から有機農業の真偽を問い質されることもあるが、消費者の不信の声にも、楊振鑫は多くを語らない。何よりも、自身で産地を見てもらうのが一番だからである。
環境そのものが一番の証明で、農薬で破壊された土地には虫や鳥の声が聞こえない。農薬の有無は、産地を見れば一目でわかるので、楊振鑫は消費者を農場に招きその目で確かめてもらうので、常連の20人も一度は農場を訪れたことがある。
互いの信頼関係以上に、楊振鑫は感謝の念も忘れない。故郷に戻り農業で生計を立てようとしても収入は及ばず、まだパートに出ざるを得ない。常連客が収穫を待たずに振り込んでくれる代金は楊振鑫にとって貴重な収入となる。
休日のファーマーズ・マーケットで野菜や果物を選ぶ消費者に、販売する農家は一つひとつ丁寧に説明する。