今から36年前の『光華』1983年4月号の記事「僻遠中の僻遠:長浜」は、思いがけず台東県長浜中学の生徒にたくさんの思い出と感動をもたらした。2019年、『光華』のフェイスブックに王さんという人から「1983〜84年発行のバックナンバーはまだあるでしょうか」という問い合わせがあったのだ。彼らは、中学一年の時にクラス全体で『光華』の取材を受けていた。「当時、担任の先生が『光華』を一冊購入し、クラスのみんなに回し読みさせてくれました。ただ、もう30年以上も前のことなので…」とある。当時の校舎のそこここや生徒たちの記憶の中のシーンが『光華』の中に残されていて、それが学級全体の共通の記憶となっている。これは「台湾の僻地教育」のドキュメンタリーでもあった。
北台湾の基隆と瑞芳の名家である顔家は、台湾では数少ない企業家出身の名門で、『光華』が1994年3月号の記事で「顔雲年と九份金鉱の物語」を報じたことに対し、顔女史からしばしば感謝の言葉が寄せられてきた。この記事のおかげで一族の歴史を子孫に伝えることができるということだ。この記事は顔一族の記録であるだけでなく、台湾の歴史ファイルとしても貴重な資料である。顔女史はまた、『光華』の中国語・英語対称訳も称賛してくださった。顔家の子孫は欧米やオーストラリア、日本などに分散しており、中国語の読めない親戚も英訳を通して家族の歴史に触れられるからである。
こうした読者からの感謝の言葉は非常に有難く、『光華』一同の励みになるものだ。これからも、一つひとつの記事を通して台湾のさまざまな時代の変化や人々の姿を生き生きと記録していこうという原動力になる。
今月号も、こうした深く掘り下げた内容をお届けする。台湾の繊維産業の革新をテーマとする特集のほか、台湾と日本の学校間の交流、そして放置されていた空間の再利用による地方創生の物語、アジア各国への協力を惜しまない台湾アジア交流基金会などだ。
今年『光華』は学校や書店、中央研究院などを訪ねて座談会を開催している。そのテーマは「新住民」「翻訳」「写真」「慈善事業」などさまざまで、読者と向き合って踏み込んだ討論をしている。創刊43年目を迎えた『光華』は、これからもより謙虚に、台湾の人や文化、多様性を記録していき、台湾の厚みのある「warm power」を世界に伝えていこうと考えている。