——『台湾水没』
初めて『台湾水没』を見た時、その清々しく穏やかで優美な雰囲気に惹きつけられた。しかし、その雰囲気は人々の注意を引くための手段に過ぎない。その唯美主義の背後には、地盤沈下や海岸線の浸水といった、過度の開発による環境問題が込められている。
地盤沈下などの問題を提起する報道写真は、一般にはドキュメンタリーやリアリズム、悲劇といった方法で災難として表現されることが多い。一方のサロン写真の場合は、さまざまな手法によって唯美的なスタイルを採り、背後の物語を取り去って美しい景観として表現する。興味深いのは、楊順発は『台湾水没』において、「現実への関心」と「唯美主義」を融合させている点だ。第一印象としては、まずその美的な表現に引き寄せられるのだが、作品の中の水に浮かぶディテール(土地神様の祠、トーチカ、軍事施設、塩田事務所、養殖場、民家など)の現実へと目が向けられると、地盤沈下や海岸の浸水といった問題を考えさせるのである。
『台湾沈没』は、水墨画を思わせる淡泊な美学をもって、広大な水の風景の中に浮かぶ建物をとらえており、それを楕円形に切り取って表装する形で表現している。またそれは、沈昭良や呉政璋らがとらえてきた台湾の奇観とも異なり、楊順発はデジタル写真をつなぎ合わせる形で背景の風景を合成している。言い換えれば『台湾水没』は絵画と写真の融合にも似ている。単に現実の風景を再現するのではなく、虚構や合成などの手段で風景を再構築しており、観る者にイメージを構築させるのである。