田中マラソンでは住民総出で沿道に並び、ランナーに声援を送る。
田中は、台湾中部の農業大国である彰化県の小さな町だ。ここで開かれる「田中マラソン」では、住民が熱意を込めてランナーたちをもてなし、サポートする。大会当日は沿道に並んで「がんばれ」と声をかけ、エイドステーションでも水分や食べ物をたっぷりと提供するので、参加したことのあるランナーからは「一生に一度は体験すべきマラソン」と称されるほどだ。
一方、同じく彰化県にあり、田中と隣り合う二水郷では、濁水渓の水を引く「八堡圳」(用水路)が豊かな農産物を育んでくれることに住民は感謝の気持ちを忘れない。この「彰化の母なる河」に親しんでもらおうと二水が催すのは、二水ウォーターマラソン(「二水跑水馬拉松」)だ。
八堡圳沿いに走れば、田園風景が思う存分楽しめる。(フランク・チェン撮影)
「おもてなし」の田中マラソン
さわやかな秋晴れの続く11月は二期作収穫の農繁期でもあるが、田中鎮では4万人に上る住民が総出で、「台湾米倉田中マラソン」に参加するランナーを出迎えた。
台湾で最も盛大な歓迎を受けるので「一生に一度は参加すべき」と言われるこの小さな町のマラソンは、台北、新北、高雄での三大都市マラソンに並び、台湾で人気ある4大マラソンの一つとされる。2012年に第1回目を開催し、パンデミック以前には抽選で応募者のわずか3割しか参加できないという記録を打ち立てた。
ランナーたちがこぞってエントリーする理由は、田中の人々がランナーを「賓客」のようにもてなすからにほかならない。
補給食はロブスター。食べずに通り過ぎるわけにはいかない。
祭りのようなマラソン
11月の第2土曜日早朝、田中マラソンに参加する1万6千人のランナーがこの町に集まって来た。普段はのんびりと静かな人口4万人の町が、にわかにお祭りのような賑わいだ。
「林〇如、走れ!」「曽〇晴、がんばれ!」といった、ランナーの名を呼ぶ声が大きく響き、鍋やお玉といった台所用具を鳴り物にして応援する女性たちもいる。こうした熱のこもった応援に、喘ぎ喘ぎのランナーたちも、思わずエネルギーがみなぎるだろう。
田中の小中学校も「選手村」に変身だ。ランナーたちの宿泊場所となり、テントを張ってキャンプもできる。ランナーたちが最も喜ぶのは、提供される豪勢な食べ物だ。地元で採れたドラゴンフルーツやトマトといった果物のほかに、焼きビーフンや寿司、魯肉飯(ルーローハン)などもお代わり自由に食べられ、エイドステーションによっては子豚の丸焼き、ロブスター、ビールまであるというもてなしぶりだ。
ほかにも、ナイトマーケットで人気の地瓜球(さつまいもボール)、地元の企業提供のインスタント炸醤麺(ジャージャー麺)、靴下メーカーからはソックス、ステーキハウス提供の牛ステーキなど、まるで朝から夜市が出現したようだ。エイドステーションのあまりの誘惑に、ランナーたちはこの大会を「速く走れないマラソン」と冗談めかして言う。
田中マラソンに参加したことがあるユーチューバーの小科さんは「食べて食べて食べまくる」という気持ちで走ったという。動画の中でも「田中マラソンは楽しむために参加する大会」と語っている。「行こうとは思いもしなかった場所を訪れ、その地の文化にふれることができたうえ、全住民挙げてのもてなしを受けました。感動でした。田中という小さな町の魅力をぜひ体験してほしいです」と薦める。
田中マラソンが好きな理由は地元の人に囲まれて走る楽しい雰囲気だと言うランナーもいる。彰化にある「二八水文史工作室」を運営する張錫池さんは「普段の田中にはこれほどの大型イベントがないので、住民にとってランナーたちはもちろん大切なお客様なのですよ」と言う。
豪勢な補給食で知られる田中マラソンでは、ステーキ店の和牛も提供される。
ボランティアをする名誉
ほかのマラソンにはない補給食や住民の熱心な声援で、田中マラソンは話題を集めてきた。この大会の実現に大きく貢献したのは、田中マラソンの創設者であり、彰化県マラソンロードランニング協会の現理事長でもある鄭宗政さんだ。
2011年、鄭さんは日本の東京マラソンの盛況を見て考えた。もし故郷でマラソン大会が開催できれば、観光客を呼び込んで経済を刺激できるだけでなく、地元産業のレベルアップにもつながる。良いことづくしではないかと。この「自分の故郷を自分でプロモートする」という考えは、当時の田中鎮長だった鄭俊雄さんの賛同を得た。
しかし、小さな町には大都市ほどの豊かなリソースがない。田中をPRするには、地方ならではの人情味が頼みの綱だと鄭宗政さんは考えた。町民には「伝統行事の小正月や媽祖の祭りのようなもので集客力が見込める」と説明した。こうして22の地区と22の地域発展協会が動き、応援団やチアリーダーが組まれ、補給食の手配などが進められていった。今や「田中マラソン」はすでに田中鎮の代名詞だ。しかもこの大会では炭素排出量の測定も実施しており、台湾式サスナビリティの実践の場となっている。
「田中マラソンの運営に加わり、ボランティアをすることは一種の名誉なのです」田中マラソン広報主任の李彦勲さんによれば、住民の多くがボランティア参加を希望するので、大会のボランティア数は8000人にも及ぶ。
一方、鄭宗政さんたちはロードランニングを推進することで、田中をスポーツの町に変えた。例えば、小中学校での卒業ロードランニング大会開催、コミュニティ大学でのロードランニング、撮影、地域ツアーガイドなどのコース開設、民間団体によるロードランニング合宿などの開催を手掛けてきた。「朝早くから夜中まで、いつでも走っている人を見かけますよ」この町の医者からは「商売上がったりだ」と文句を言われるほどだと、鄭さんは笑う。
補給食に欠かせないのが、地元メーカーのインスタントラーメンだ。
コースに広がる風景
田中マラソンのコースには、ボランティアたちの温かい声援があるほか、美しい山や水の風景も楽しめる。
その昔、この地の主な集落は多くが田んぼの真ん中にあったことから「田中」という名がついたという。日本統治時代には縦貫鉄道と砂糖運搬用鉄道が通って交通の便も良くなった。農業は八卦山脈と八堡圳に沿って発展し、良質な黒米と白米を生産するため、日本統治時代から「台湾の米蔵」と呼ばれてきた。土壌の良さ、気候の良さ、水源の良さのおかげである。
1719年、施世榜らが資金を集めて用水路「八堡一圳」(当時の名称は「施厝圳」)を開削した。台湾最古の水利工事である。続けて黄仕卿ら地元の名士によって「八堡二圳」が作られ、この二つを合わせて「八堡圳」と呼ぶようになり、やがて北西にも延長された。濁水渓という豊かな水源をもつこの水路は18の自治体(郷や鎮)を潤して豊作をもたらし、彰化県は農業大国となった。八堡圳が「彰化の母なる河」と称されるゆえんだ。
彰化の人々が八堡圳に深い愛着を持っているのは、マラソンコースからも見て取れる。田中マラソンは田中と社頭郷を通るが、全コースの3分の2が八堡圳に沿って走るようになっているのだ。「よその人に、母なる河が潤す大地を見てもらえます」と鄭宗政さんは言う。
八堡圳を訪れてみると、辺りには緑豊かな田園風景が広がり、水のせせらぎが聞こえ、土の匂いまで感じられる。水路沿いの並木道の下を走れば涼しさも倍増だ。張錫池さんは「水路の水が発するマイナスイオン、それに八堡圳両側の並木が陰を作ってくれるので、ここは心地よく走れるのです」と言う。感じられる土の匂いは、濁水渓から運ばれてきた土砂の香りだ。ここでは水や土がぐっと近くに感じられる。
台湾四大人気マラソンの一つ、田中マラソンを立ち上げた鄭宗政さん。(林旻萱撮影)
玉山連峰を眺めながら
田中マラソンのコースは、建築家・姚仁喜氏の設計による台湾高速鉄道彰化駅のそばも通過する。同駅は、アメリカの著名な建築サイトArchitizerによる「A+アワード」の駅部門で2016年に人気投票最多賞を受賞している。
同駅のメインホールの柱は花弁の形にデザインされており、花卉で有名な彰化のイメージにマッチし、エレガントなムードをかもし出す。
内壁に沿って並ぶワシントンヤシの根元には、濁水渓から運ばれた黒土が用いられている。この土は水はけがよく、乾くと粘着性が増すため、移植した植物が枯れにくい。「最も特別なのは、彰化駅の入口から東を見ると天気の良い日には玉山山脈全体が見渡せることです。どのピークもはっきりと見え、彰化駅ならではの魅力になっています」と張錫池さんは言う。
コメ生産の需要から日本統治時代に建てられた「台中州農会田中倉庫(現「彰化県農会田中倉庫」」は、かつては肥料の配送所で、敷地内に肥料運送のための鉄道が敷かれていたが、後に穀物倉庫となり、それが現在、歴史的建造物として保存されている。園内には精米場も残るなど、昔の風情を色濃く留めており、彰化県はここを将来、芸術文化の展示や公演を行う場にする計画を立てている。
ほかにも、田中マラソンのコースは「社頭靴下産業パーク(社頭織襪園区)」の中も通るので、大会当日はエイドステーションで多くの靴下メーカーが、ランナーたちに台湾製ソックスを配る。社頭靴下産業パーク発展促進会の陳敬霖理事長は「台湾製の靴下がこんなに精緻できれいに作られていることに、ランナーたちは気づいてくれるでしょう」と言う。
大会後に贈られる記念品は、田中の有名な穴窯「田中窯」でデザイン・制作されたものだ。素朴で自然を感じさせ、その土地ならではの味わいがある。
「コース沿いのあちこちで、田中の豊かな文化が感じられます」田中マラソンは、美しい風景、温かい人々、力ある産業といった、この小さな町の魅力にふれるマラソンなのだ。
「台湾米倉」の田中マラソンが終わってもらうおみやげには、やはり田中米が欠かせない。(林旻萱撮影)
台湾唯一のウォーターマラソン
八堡圳は、田中と隣り合う二水郷から水を引いている。施世榜が八堡圳を開削した当初は、うまく水を引き入れることができなかった。後に「林さん」という人物が「籠仔篙(籠状の装置)」を用いて水を引き入れる方法を伝授してくれたおかげで試みは成功し、一帯の田畑が潤うようになった。地元の人は用水路の脇に林さんを祀る「林先生廟」を建て、今もこの恩人を偲んでいる。
現在、彰化県主催で毎年11月の収穫の頃に「二水跑水節(ウォーターランフェスティバル)」が行われている。昔ながらの習わしに則って林先生廟で催される。また2016年には、水路の一区間をコースに組み込んだ「二水ウォーターマラソン」が催しに加わった。マラソンを通し、この地域の独特な歴史や文化にふれてもらおうというものだ。
二水ウォーターマラソンはハーフマラソン(21.1キロ)で、コースは主に八堡圳に沿って進み、引水公園、濁水渓水防道路を経て、地元では「桃花園」と呼ばれるエリアに入る。桃花園は桃などが植えられた果樹林で、車が入ってくることもないし、果樹農家によって新鮮な果物が提供されるなどのサプライズもある。
果樹園を出て、紫薇橋を過ぎて左折した後、もし水路を走りたいなら、全長450メートルの八堡圳水路を選ぶ。水路を歩くためのサンダルとタオルが主催側から提供されるので安心だ。その後は再び水路沿いの道を走り、県指定文化財である二水駅まで来るとゴールは目の前だ。
鄭宗政さんは「水路を走るのはわずか450メートルとはいえ、水はかなり冷たく、足が凍ってしまうほどですよ」と言う。
完走者への記念品は、有名な田中窯で作られた工芸品だ。(林旻萱撮影)
四大山脈の眺め
鉄道の縦貫線と集集線が合流する二水には、八卦山(台地)と濁水渓を主軸とした風光明媚な景観があり、すがすがしい自然を味わえる。晴れ渡った日には、雪山、玉山、阿里山山脈、中央山脈の四大山脈の壮大な眺めも楽しめる。
毎年11月第1日曜の二水跑水節が催される頃には、濁水渓の河原や河岸に野生種のサトウキビが咲き乱れ、彰化平原も黄金色の稲穂で埋め尽くされるので、二水サイクリングロードで自転車を走らせながらゆったりと田園風景を楽しんだり、林先生廟を訪れたりするのもよい。ほかにも籠仔篙作りや泥田での綱引きなどの体験活動もある。
或いは、員集路にある「董坐石硯芸術館」を訪れるのもいいだろう。200年の歴史を持つ同館は、螺渓石硯の工芸を紹介している。
「石材を探し求めてあちこちの山や川に行きました。大変なことですよ」硯刻家の董坐さんは、硯作りに必要なのは、石材、器用な手、経験だと言う。同館の展示物で最も重要な「百龍硯」は重さ400キロ余りあり、董さんが23カ月かけて彫り上げたものだ。ぜひ見ていただきたいと董さんはすすめる。
清の時代1723年に県の置かれた彰化は300年の歴史を持つ。台湾で最も面積の小さい県でありながら、直轄市を除いて台湾では唯一人口が100万を超える大きな県だ。現在も農業が盛んで、工業や商業も次第に発展している。
マラソンコースを走れば、自分の足でこの地とつながりが結べる。そうすることで、あなたとこの町だけの物語を紡いでみてはいかがだろう。
ランニングは幼い頃から。田中鎮では幼稚園から中高まで卒業ロードランニング大会がある。
二水ウォーターマラソンは台湾で唯一、水路を走るマラソンだ。
二水にある董坐石硯芸術館には「台湾黒玉」と称される螺渓石の硯が展示されている。
マラソンのおかげで田中はスポーツの町となった。ロードランニングのトレーニングを行う民間のグループもある。
高速鉄道彰化駅は2016年に米Architizer主催の「A+アワード」駅部門で人気投票最多勝を受賞した。田中の重要なランドマークだ。(林旻萱撮影)