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台湾をめぐる

風と海と夕日と——

風と海と夕日と——

自転車で行く苗栗県「海線」

文・鄧慧純  写真・莊坤儒 翻訳・松本 幸子

4月 2019

西湖渓の河口近く。風力発電の風車と列車と波を一枚の写真に収めることができる。

さかのぼること1922年、苗栗から彰化の海岸沿いを走る鉄道「海岸線」(通称「海線」)が開通し、物資輸送の増大とともに沿線の町も栄えた。だが、鉄道輸送はやがて高速道路に活躍の場を奪われ、海線はさびれていった。それでも列車は変わらず田園と海岸の間を疾走し、沿線の古い木造駅舎は百年の鉄道文化を懐かしむ空間になっている。

苗栗の海線沿線には、ほかにも白沙屯の拱天宮媽祖廟や、故郷にUターンした若者たちが組織する「掀海風」など、美しい風景を織り成す存在がある。

今回我々の自転車の旅は、台61号線を走り、苗栗の「海線」を訪ねてみた。

台湾鉄路の山線と海線は台湾の鉄道でも最も懐かしさを感じる路線だ。北は竹南駅で線路を分かち、彰化駅で再び1本になる。海線の五つの駅は日本式木造駅舎が残るので鉄道ファンに「海線の五宝」と呼ばれるが、そのうち談文、大山、新埔の3駅はいずれも苗栗県にある。

談文、大山、新埔の3駅の駅舎のスタイルはよく似ている。1922年の完成からすでに100年近くが経っているが、当初の姿がよく保存されており、海線鉄道建設の歴史を今に伝える歴史的建築物である。

列車を追う旅

今回の旅のスタート地点は談文駅だ。かつては造橋の木炭、公館の赤瓦、南庄の石炭といった各地の物産の輸送中継点として談文駅は栄えた。古くは「大山脚駅」という名だった大山駅は、苗栗の後龍にある。そして通霄にある新埔駅は、西部幹線では最も海の近くにある駅で、駅を出ると目の前に海が広がる。

純朴なたたずまいのこれらの駅が建てられたのは1922年、すでに100年近い歴史を持つ。建材は杉で、切妻屋根に円型窓、また柱上部の筋交いや版築などが特徴だ。貨物輸送量の縮小によって発展からは取り残されたが、むしろそのおかげでこれらの駅は、海線開通時代の建築様式を今にとどめている。

再び台61号線に戻って自転車を走らせる。このルートには、鉄道ファンなら必ずSNSなどにシェアしたがる撮影スポットがある。台61号線106.3キロ地点から脇道に入り、西湖渓河口付近で西方向にカメラを向けると、列車と風力発電の風車、そして背景に海が収まる場所があり、夕方には夕日も入る。我々は、龍港駅から白沙屯駅への列車時刻を計算して待ち、三叉河橋を通過する瞬間をとらえて連写した。

近くの旧過港トンネルも訪れたいスポットだ。台湾のトンネルでは最も低い海抜にある。1970年代の鉄道電化で線路が他所に移されて以来、この3本のトンネルは使われなくなっていたのを、今は自転車道を通して照明もつけ、散歩やサイクリングが楽しめるようになった。トンネル内部は馬蹄形に赤レンガを積み上げた設計で、天井には今も蒸気機関車の煤が残る。

トンネルの外には「過港貝化石層」があり、むき出しになった地層に無数の貝の化石が見える。今は海岸から0.5キロ離れているが、100万〜600万年前には海中にあった証拠で、台湾が隆起を続けているという生きた地理教材となっている。

建物を装飾する牛目窓は、日本式木造駅舎である談文駅、大山駅、新埔駅に共通する特徴である。

電車レストラン「石蓮園」

引き続き台61号線を下り、海沿いの細い道を行くと、電車レストラン「石蓮園」が現れた。経営17年目になる「石蓮園」は、廃車となった車両を海岸の景観が楽しめる場所に置き、レストランと民宿に作り変えたものだ。

オーナーの駱石蓮さんは家が白沙屯にあり、学生時代は海線に乗って竹南に通った。1970年には台湾鉄路公司の就職試験に合格、その頃はまだ蒸気機関車が走っていた。毎日やはり海線で通勤し、またたくうちに33年が過ぎた。

一度、視察でインドを訪れた際に寝台車に乗り、台湾にはないので興味深く感じた。そして「定年退職したら、列車でレストランと民宿を経営するのも悪くない」と思いついた。

列車を買うのは容易だったが、難しいのは運搬だった。鉄スクラップ1キロ1.2元という価格で、30トンの車両を5両買ったが、運送費が100万元もかかった。大き過ぎるので一般道を夜間に運搬するしかなく、高雄から苗栗まで2晩かけたからだ。途中の踏切りでは、送電停止を申請して電線を持ち上げたりしなければならず、最後には50トンクレーンを2台動員して車両を設置した。

駱石蓮さんは車内を指差して言った。「この600形電車は1940年代に日本人によって作られたものですが、ステンレスの荷棚や窓など、今でも十分使えます。日本の技術の高さがわかりますよ」と言う。

鉄道レストランにはオープン以来、多くの客が訪れ、鉄道ファンなら内装や車両の下の台車まで詳しく見ている。また、電車に揺られた昔を懐かしみながら、車窓から海や夕日を楽しむ人も多い。海を眺めるにはまさに一等席だ。

建物を装飾する牛目窓は、日本式木造駅舎である談文駅、大山駅、新埔駅に共通する特徴である。

信徒とふれあう媽祖

苗栗の海線一帯の信仰の中心である白沙屯拱天宮も忘れてはいけない。決して大きいとは言えない廟だが、毎年旧暦3月の媽祖生誕日に合わせ、媽祖像とともに多くの信徒が雲林北港まで練り歩く。400キロ以上の道のりだが決まったルートはなく、すべては媽祖のご意向のままに進む。

拱天宮の林幸福・委員は「うちは伝統を厳しく守ってきました。それが今や白沙拱天宮の特色となったのです」と説明する。

昔は多くの廟でこうした練り歩きを行なっていたが、時代とともに大型バスでの移動が普通になったのを、白沙屯だけが徒歩を守り続ける。それに、媽祖様のご意向に従って毎回ルートが変わるのも、各地の人々との結びつきを深めている。白沙屯の媽祖は自ら信徒のところに出向いていくというわけで、毎年何万人もの人が詰めかけ、媽祖様に手を合わせる。そうした人々はそれぞれ、媽祖にまつわる物語を持っている。

媽祖のエピソードはさらに豊富で、地元のお年寄りによれば、ある年は媽祖像を取り違えたとか、神輿が川の中に入って行ったこともあるという。「民間信仰は人々の暮らしを反映します」と林幸福さんは言う。秋から冬に季節風の吹き荒れる白沙屯では、かつて人々の暮らしは厳しく不安定なものだった。それが媽祖への帰依を深め、信仰が人々の心の拠り所となっていった。媽祖が道を変えながら練り歩くのも、だからこそ生まれたやり方だと言える。「人々の暮らしは日々さまざまな問題と出会います。だから白沙屯の媽祖様はこのやり方を続けるのです」と林さんは言う。

今回の苗栗行きはあいにく冬で、今年は暖冬だったとはいえ、海岸の町に吹く風はすさまじく、立っているがやっとというほどだった。林さんには「来る日を間違えたね」と笑われたが、この地の暮らしの厳しさを窺える旅となった。

この気候がこうした習俗を生み、ひいては白沙屯の人々の性格にも影響しているという。17歳から媽祖の北港行きに徒歩で参加しているという林さんは「白沙屯の人間は負けず嫌いですね。できそうなことなら、何でもやってみようとします」と言う。文化とは、人間が生存の道を求めて環境に適応しようとすることにほかならない。そういうことの実感できる興味深い旅となった。

建物を装飾する牛目窓は、日本式木造駅舎である談文駅、大山駅、新埔駅に共通する特徴である。

大地とのつながり

続けて自転車を走らせ、苗栗の最南端、そして今回の旅の最終地点でもある苑裡に到着した。新興路に入り、我々の目的地である、昨年8月に開幕したばかりの「掀冊店」書店に向かう。ここは苑裡「掀海風」のワークショップでもあり、小さな苑裡の町では初の独立系書店だ。

「掀海風」ワークショップは1970〜80年代生まれの世代による運営で、劉育育さんと林秀芃さんが創設した。二人は苑裡の「反瘋車運動(風力発電所建設反対運動)」で知り合った。彼女らはそこで多くのことを経験し、やがてこう考えるようになった。「運動は一時的なものです。社会を良い方向に変えたいのなら、根本である大地に帰らなければ」と。

大地とふれ合い、大地とのつながりを取り戻すためには、まず苑裡をよく知らなければならない。そこで彼女らは町のあちこちをフィールドワークして回った。そして農家のために、働き手不足や販売ルートの問題などの解決に当たった。また、苑裡のかつての名産だったイグサ編み産業の復活にも取り組んだ。カヤツリグサ科のシチトウの種を撒いて栽培し、30年以上もイグサ編みから遠ざかっていた女性たちを励まして、この伝統工芸の伝承を目指した。

台湾はかつての高度経済成長で豊かにはなったものの、その代価は地球の資源を使い果たすことだった。林秀芃‬さんの世代まで来た今、経済成長は大切なこととはいえ、大地とのつながりを生む産業とはどんなものか、台湾にとって未来の小規模経済スタイルとはどのようなものか、彼らは考え始めたのである。

2015年、「掀海風」はフィールド調査の成果として、苑裡ミニ・ツアーを開始した。天下路商店街にある草編み用品店や、120年の歴史を持つ市場、台湾民族音楽の先駆者である郭芝苑の旧居などを回るツアーだ。また2016年には地域の暮らしを紹介する出版物も出し、文化の記憶を留めようとしている。2017年には「海風祭」を催した。「海風」の中国語読みに音が近いので英語名は「Hi Home Festival」、「故郷にHiと挨拶しよう」という意味だ。昔のにぎわいを再びと、媽祖廟の正面に舞台を組み、母語によるコンサートを開いた。ほかの町の人に苑裡を知ってもらうだけでなく、他所に行った人々にも戻ってきて、変化した苑裡を見てもらうのが願いだった。

「こうした活動を続けるうちに、地元の子供たちに目を向けなければと思うようになりました。文化の根本は教育なのだと。地域を知らなければ、そして自分を知らなければ、自信は生まれません。だから『読書』は大切です」書店が激減するこの時代に、あえて「掀冊店」を開いた理由を林秀芃‬さんは語る。

夜に本屋に灯りがついていると誰かがそばにいてくれるような感じがすると言って、ご近所のお年寄りたちも書店のオープンを喜んでくれた。「高齢者ケアがよく話題になりますが、これこそケアと言えるでしょう」と林秀芃さんは言う。また、子供たちにとってこの書店が世界と接する窓になれば、地域のために種を撒くことにもつながると考える。

2018年で掀海風は創設4年を超えた。林秀芃さんは、「故郷へのUターンそのものは難しいことではありません。難しいのは故郷に留まることです」と言う。幸い彼女たちは孤独ではない。思いを同じくする仲間たちがいてくれるからだ。周りの強風にめげず、彼女たちが歩き続けてくれることを願わずにはいられない。

これまで、海線一帯は、経済的資本がなく、文化資源にも乏しいと、貧しい弱者だと見られがちだった。だが、今回の旅では「掀海風」の物語が聞けた。海風にあおられ、吹き飛ばされそうになっていたのを、故郷にUターンした青年たちが自分たちの力で、その風向きを変えようとしつつある物語だ。それはまた我々にとっても、向かい来る風を突き進み、自転車の旅を続ける動力になってくれそうである。

好望角に立つと、田畑と風車、台湾海峡を一望にでき、時折列車が緑の中を駆け抜けていく。

「旧過港トンネル」は、今ではサイクリングロードとして整備されている。アーチの力学を用いて馬蹄型にレンガが組まれており、天井部には蒸気機関車の煤の跡も残っている。

駱石蓮は廃棄された車両の昔懐かしい空間を利用してレストランと宿泊施設を経営している。

白沙屯拱天宮は、苗栗海線地域の進行の中心である。

ワークショップ「掀海風」の創設者である劉育育(左)と林秀芃(右)は、受け身のまま海風に流されるのではなく、能動的に流れを変えたいと考えている。

イグサ編みは昔から苑裡の暮しに根付いてきたが、編めるのは今では60歳以上の女性しかおらず、何とかして継承していく必要がある。

好望角からは真っ青な台湾海峡が見渡せ、海岸には風力発電の風車が立ち、海線の景色を一望にできる。(荘坤儒撮影)