大地とのつながり
続けて自転車を走らせ、苗栗の最南端、そして今回の旅の最終地点でもある苑裡に到着した。新興路に入り、我々の目的地である、昨年8月に開幕したばかりの「掀冊店」書店に向かう。ここは苑裡「掀海風」のワークショップでもあり、小さな苑裡の町では初の独立系書店だ。
「掀海風」ワークショップは1970〜80年代生まれの世代による運営で、劉育育さんと林秀芃さんが創設した。二人は苑裡の「反瘋車運動(風力発電所建設反対運動)」で知り合った。彼女らはそこで多くのことを経験し、やがてこう考えるようになった。「運動は一時的なものです。社会を良い方向に変えたいのなら、根本である大地に帰らなければ」と。
大地とふれ合い、大地とのつながりを取り戻すためには、まず苑裡をよく知らなければならない。そこで彼女らは町のあちこちをフィールドワークして回った。そして農家のために、働き手不足や販売ルートの問題などの解決に当たった。また、苑裡のかつての名産だったイグサ編み産業の復活にも取り組んだ。カヤツリグサ科のシチトウの種を撒いて栽培し、30年以上もイグサ編みから遠ざかっていた女性たちを励まして、この伝統工芸の伝承を目指した。
台湾はかつての高度経済成長で豊かにはなったものの、その代価は地球の資源を使い果たすことだった。林秀芃さんの世代まで来た今、経済成長は大切なこととはいえ、大地とのつながりを生む産業とはどんなものか、台湾にとって未来の小規模経済スタイルとはどのようなものか、彼らは考え始めたのである。
2015年、「掀海風」はフィールド調査の成果として、苑裡ミニ・ツアーを開始した。天下路商店街にある草編み用品店や、120年の歴史を持つ市場、台湾民族音楽の先駆者である郭芝苑の旧居などを回るツアーだ。また2016年には地域の暮らしを紹介する出版物も出し、文化の記憶を留めようとしている。2017年には「海風祭」を催した。「海風」の中国語読みに音が近いので英語名は「Hi Home Festival」、「故郷にHiと挨拶しよう」という意味だ。昔のにぎわいを再びと、媽祖廟の正面に舞台を組み、母語によるコンサートを開いた。ほかの町の人に苑裡を知ってもらうだけでなく、他所に行った人々にも戻ってきて、変化した苑裡を見てもらうのが願いだった。
「こうした活動を続けるうちに、地元の子供たちに目を向けなければと思うようになりました。文化の根本は教育なのだと。地域を知らなければ、そして自分を知らなければ、自信は生まれません。だから『読書』は大切です」書店が激減するこの時代に、あえて「掀冊店」を開いた理由を林秀芃さんは語る。
夜に本屋に灯りがついていると誰かがそばにいてくれるような感じがすると言って、ご近所のお年寄りたちも書店のオープンを喜んでくれた。「高齢者ケアがよく話題になりますが、これこそケアと言えるでしょう」と林秀芃さんは言う。また、子供たちにとってこの書店が世界と接する窓になれば、地域のために種を撒くことにもつながると考える。
2018年で掀海風は創設4年を超えた。林秀芃さんは、「故郷へのUターンそのものは難しいことではありません。難しいのは故郷に留まることです」と言う。幸い彼女たちは孤独ではない。思いを同じくする仲間たちがいてくれるからだ。周りの強風にめげず、彼女たちが歩き続けてくれることを願わずにはいられない。
これまで、海線一帯は、経済的資本がなく、文化資源にも乏しいと、貧しい弱者だと見られがちだった。だが、今回の旅では「掀海風」の物語が聞けた。海風にあおられ、吹き飛ばされそうになっていたのを、故郷にUターンした青年たちが自分たちの力で、その風向きを変えようとしつつある物語だ。それはまた我々にとっても、向かい来る風を突き進み、自転車の旅を続ける動力になってくれそうである。
好望角に立つと、田畑と風車、台湾海峡を一望にでき、時折列車が緑の中を駆け抜けていく。
「旧過港トンネル」は、今ではサイクリングロードとして整備されている。アーチの力学を用いて馬蹄型にレンガが組まれており、天井部には蒸気機関車の煤の跡も残っている。
駱石蓮は廃棄された車両の昔懐かしい空間を利用してレストランと宿泊施設を経営している。
ワークショップ「掀海風」の創設者である劉育育(左)と林秀芃(右)は、受け身のまま海風に流されるのではなく、能動的に流れを変えたいと考えている。
イグサ編みは昔から苑裡の暮しに根付いてきたが、編めるのは今では60歳以上の女性しかおらず、何とかして継承していく必要がある。
好望角からは真っ青な台湾海峡が見渡せ、海岸には風力発電の風車が立ち、海線の景色を一望にできる。(荘坤儒撮影)