台灣 是我的家 照亮姐妹的燈塔

曾女香
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2018 / 3月

文‧李珊瑋 圖‧莊坤儒


越南是一個古老的國度,和中國歷史有著密不可分的關連。其中儒學的智慧精髓,不僅是越南歷代經世的骨幹,更是文化思想的主軸,無論是風俗民情或是禮教倫常,都留下不可磨滅的印記。

曾女香就是在一個尊崇儒家傳統的華裔家庭中成長。在成為台灣媳婦後,二十多年來,不僅家庭和樂美滿,更無私的照顧弱勢姐妹。在忙碌中,不斷求知進修,努力實踐自我,足堪新住民典範。


 

「我以為這一輩子不會結婚了,沒想到39歲那年卻嫁來台灣。」曾女香回想起和先生相識的過程,真是印證了「千里姻緣一線牽」這句話。婚後兩人總是笑著說:「因為我們的姻緣線,繞了半個地球,所以才要等那麼久。」而這條姻緣線的起點,不在越南,在北歐。

繞了半個地球的姻緣

家中有6位手足的曾女香,眼見姐妹們都成家了,原本抱定單身過一輩子,唯獨父母始終不死心,不斷地為她介紹,但從未打動過她的芳心。移民北歐的弟弟,無意間和台灣來的好友談起曾女香,沒想到對方卻認真的希望能到越南和她相見。

相親之日,曾女香從容赴會,根本不抱任何希望。閒聊間,男方卻發現曾女香是個不折不扣的瓊瑤迷,對每部小說和電影都如數家珍。這個話題,立即拉近了彼此的距離,彷彿劇中男女主角,就這麼浪漫的情定終身。

用愛經營和樂的家

「結婚後,我們一直和婆婆同住。」雖然先生排行老四,但是曾女香嫁到台灣後,就一肩挑起媳婦的責任。「人心換人心,我婆婆也把我當女兒一樣疼愛呢!」曾女香談起家庭生活,滿臉洋溢著幸福。

曾女香一心想為婆家生個孫子,為此可真是吃盡了苦頭。「醫生說我是『超超超』高齡產婦。」不顧醫生和夫家的勸阻,她甘願拿命來搏。雖然用盡各種方法,屢試屢挫,頻受打擊,但是她卻總是抱著一線希望,不願放棄。5年後,44歲的曾女香終於如願以償,生下一個可愛的女娃兒。

「婆婆幫我做月子,我現在身體狀況,比年輕時更好。」說起婆婆,曾女香滿心感恩。當年已經七十多歲的婆婆,在曾女香生產前,就認真的學做越南月子餐。台式加越式,用愛心把曾女香的身子,補的滿滿。

「好多姐妹都說生了孩子後,手關節一到冬天就會又麻又痛,可是我一點兒也不會。」曾女香說,「整整兩個月,婆婆都不准我碰水,她每天為嬰兒洗澡,家事更是一手包辦。」這樣的婆媳關係,真是情逾母女。

「路是人走出來的,要的時候想辦法,不要的時候找理由。」身兼數職的曾女香,雖然非常忙碌,但是始終把家庭放在第一位。尤其是婆婆在2012年中風後,曾女香推卻了許多工作。每天餵食、洗澡、復健,把照顧老人家視為最重要的工作。

朋友鄰居都說她傻,為什麼不讓其他兄弟輪流照顧母親?曾女香卻很不以為然,「老人家都90歲了,未來的日子是有限的,為什麼不肯把握機會,做到圓滿呢?」篤信佛教的曾女香,總是把婆婆對她的恩情,感念在心,而有機會回饋,是上天給她的福報。

付出是幸福的泉源

「在越南時,我就在外語中心教華文。」從小接受華文教育的曾女香,是由注音符號學習繁體字。一直是職業婦女的她,來台後,成為全職家庭主婦,直到女兒進入幼稚園,才有機緣重回職場。

「婆婆和先生一聽我要到醫院工作,全部投反對票。」當時衛生局需要通譯人員,協助到醫院就診的東南亞移民、移工。「我告訴婆婆和先生,只是先去面試,不一定會錄用喲!」來台7年後,曾女香用忐忑的心,寫下第一份履歷表。「沒想到,她們立刻要我馬上上班。」能夠看得懂中文,又能說國、台語的優勢,讓曾女香出師大捷。

雖然後來經費中斷,但她覺得仍有很多姐妹需要幫助,所以留在仁愛醫院擔任志工。「我也希望因為我的表現,能夠扭轉以往對越南人的歧視!」十多年來的恆久堅持,因服務超過5,000小時,獲衛生福利部頒發「志願服務績優銀牌獎」。

「語言不通,真的很痛苦。」曾女香回想起在仁愛醫院服務時,有一位姐妹向她哭訴。醫生聽不懂她的訴求,無法對症下藥,讓她痛苦到要回越南就醫。「我安撫她的情緒,陪她到和平醫院去看病,向醫生解釋她的情況,終於治好了。」表達的障礙,讓姐妹走了好多冤枉路,還抱怨台灣醫生不好。曾女香搭起溝通的橋樑,也導正了姐妹們錯誤的認知。

還有一位住在泰山的姐妹,因為不會說國語,不敢就醫,一再拖延,曾女香知道後,就從新莊帶她去仁愛醫院就診。在一段不算短的治療期間,曾女香每週陪著她往返,直到痊癒。不求回報的付出,讓姐妹們感受到無盡的溫暖。

越南姐妹的燈塔

文化的差異,是誤解的源頭。曾女香期待眾人了解越南文化,「就是這種使命感,讓我無怨無悔。」看到近年來新住民生存環境的大幅改善,是她最大的喜悅。

2006年時,曾女香接受賽珍珠基金會的培訓,取得通譯人員資格。隨後,開始在台灣高等法院及各地方分院擔任司法通譯,並在台北市新移民會館擔任諮詢人員,接觸到許多越南移民的社會案件。

「很多事,不能只看表象。當我們指責越南新娘逃跑時,誰又能體會她們滿腹的辛酸?」在那個非法仲介猖獗的年代,越南新娘和夫家都是受害者。夫家豐厚的聘禮,可能大部份都被仲介中飽私囊。

一個年輕女子,隻身來台,無依無靠,如果夫家不愛護她,她真的不知道要怎麼保護自己?逃跑,是一種最無奈的下策。娘家人都以為台灣比越南進步,嫁到台灣,就像上了天堂。受到家暴的姐妹,也只能眼淚往肚裡吞,不敢讓父母擔心難過。

「因為不懂法律,姐妹們吃了很多虧。」明明來台3年後,即可取得台灣戶籍,卻有很多姐妹嫁來10年,卻還沒有台灣身分證。因為害怕隨時會被遣返越南,為了留在孩子身邊,無知的姐妹只得忍氣吞聲,任人宰割。

當年還有被欺騙來台的年輕女子,被賣入火坑。曾女香親眼看到姐妹們受到蹂躪的慘狀,心裡好痛。

知識就是力量,剛自稻江大學法律系畢業的曾女香,希望未來能夠幫助更多弱勢的姐妹,不再受到委屈和迫害。

用美食拉近彼此距離

「我出生在朱篤市,那裡的小吃非常有名。」從在仁愛醫院做志工開始,曾女香不時帶些自製的家鄉味給姐妹們解饞,大獲好評。沒想到無心插柳,竟因此開啟了她教學的生涯。

2010年時,在南洋姐妹會取得東南亞文化講師證照,2011年開始在永和社區大學講課。曾女香首開先例,用美食引導民眾認識越南文化,也教授越南語。她自製食譜,一期18週,每週一美食,這一教,就是3年。不僅解了姐妹的鄉愁,也讓台灣人品味越南美食。口碑建立後,又轉到新莊社區大學開課。除了美食,更將越南傳統舞蹈帶入課程。

為了推廣越南文化,曾女香還到大理國小、中港國小、八里國中授課。雖然舟車勞頓、收入微薄,但是看到小朋友期盼的眼神,再累,也不忍放下他們。她還在台灣廣播電台主持「越南溫馨味」,希望能幫助來台的越南姐妹,融入台灣生活。「先學禮,後學文。」曾女香在節目中鼓勵姐妹們一同參與孩子的教養,即使不會中文,也可以用身教來教導生活禮儀。

身教重於言教

「千萬不要和婆婆計較,就算爭贏了,也是輸。」談起家庭和樂的方法,曾女香搬出孝敬公婆的儒家傳統思維。「不聽我勸的姐妹,下場都不好。」在同一個屋簷下生活的兩個女人,要雙贏,還是雙輸?「對婆婆愈好,先生會對我們更好。」有時輸了面子,贏了裡子,才是一種智慧的抉擇。

身教重於言教,因為曾女香和先生對婆婆無微不至的照料,被婆婆一手帶大的孫女,每天放學回家,就先和祖母撒嬌,讓曾女香輕度失智的婆婆,笑得好開懷。今年已國中三年級的她,傳承了曾女香的勤奮孝順,更對越南語和其文化深具興趣。

「人在做,天在看。」尊崇儒家傳統的曾女香認為,篤信「積善之家,必有餘慶」的道理。「接納就是愛的表現,我們都是一家人。」嫁到台灣,就要珍惜緣分,「因為我是台灣媳婦,這裡是我的家。」                                                           

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台湾は私の故郷

ベトナム出身の曾女香さん

文・李珊瑋 写真・莊坤儒 翻訳・松本 幸子

ベトナムの歴史は、中国史と深く関わっている。とりわけ儒教の精神はベトナムでも代々受け継がれ、考え方や礼儀などに深い影響を残した。

曽女香さんは、儒教の伝統を重んじる華僑の家庭に育った。やがて台湾に嫁いですでに20数年、円満な家庭を築いただけでなく、台湾にいる同郷の人々の世話に尽力する。そんな忙しい毎日だが、なおも学ぶことを続け、自己実現を目指す彼女は、いわば「新住民(結婚で海外から移り住んだ人)」の模範とも言える。


「私は生涯、結婚しないだろうと思っていました。それが39歳で台湾に嫁いで来ようとは」曽女香さんとご主人との出会いは、まさに「赤い糸でつながれた」ような縁だった。「地球を半周するような長い赤い糸だったので、出会うのも遅かった」と二人は笑って話す。しかもこの縁のスタート地点は、ベトナムではなく北欧だった。

地球を半周

6人兄弟の曽女香さんは、姉や妹が嫁いでいくのを見送りながら自分は独身のままだろうと思っていた。あきらめない両親はいろいろな人を紹介してくれたが、彼女の心が動かされることはなかった。ところが北欧に住んでいた弟が、台湾から来た友人に何気なく女香さんのことを話すと、思いがけず彼は「ベトナムに行ってぜひ彼女に会いたい」と希望したのだ。

お見合いの日、曽さんは落ち着いていた。何の期待もなかったからだ。が、おしゃべりするうちに、曽さんが熱烈な瓊瑤ファンで、瓊瑤の作品なら小説でも映画でも詳しく知っているとわかると、この話題で二人の距離は一気に縮まった。まるで瓊瑤の恋愛小説さながらに、運命的な出会いとなったのである。

愛で営む家庭

「結婚後はずっと姑と同居です」夫は兄弟の上から4人目だが、台湾に嫁いで以来、曽さんが一手に嫁としての責任を担う。しかも姑のために孫を生んであげたいと曽さんは思った。「『超超超』高齢出産になると医者に言われました」と言うが、医者や周囲の忠告にも耳を貸さず、命がけでもといろいろ方法を試し、挫折を繰り返した。それでも希望を捨てずに努力を続け、5年後、44歳の曽さんはついに可愛い娘を授かった。

「姑が全面的に産後の世話をしてくれたおかげで、今は体の調子もよく、若い頃より健康なほどです」と姑に深く感謝する。当時すでに70歳を超えていた姑は、曽さんの産後の滋養のためにと熱心にベトナム料理を学び、台湾式とベトナム式の料理を作って産後の曽さんの体を気遣った。

「私の姉妹は皆、出産後は冬になると手の関節がしびれたり痛むと言いますが、私はそんなことはありません。たっぷり2ヵ月間、姑は私に水を触らせず、赤ん坊の入浴も家事も、みなやってくれたのです」

「道というのは人が歩いてできるものです。やりたければ何とかするし、やりたくなければ口実を探すものです」多くのことを手掛ける曽さんは多忙だが、それでも家庭は常に最優先に置いてきた。とりわけ姑が2012年に卒中で倒れてからは多くの仕事を辞め、姑の食事、入浴、リハビリと、その世話を最も大切な任務にしている。

そんな彼女を見て「ほかの兄弟にも順番で介護を代わってもらえばいい」と周りは言うが、曽さんは「もう90歳になる姑の残された日々を大切にしてあげたいのです」と言う。敬虔な仏教徒である曽さんは姑への恩を忘れず、恩返しができるのは天がくれた幸せだと感じている。

「人のため」は幸福の源

「ベトナムにいた頃は外国語センターで華文を教えていました」と言う曽さんは、幼い頃より注音符号や繁体字を習い、華文教育を受けていた。ずっと働いていたが台湾に来てからは専業主婦となり、娘が幼稚園に入ってから仕事に復帰した。

「私が病院で働くと言うと、姑も夫も口をそろえて反対しました」衛生局が東南アジア言語の通訳スタッフを求人していたのだ。患者のために通訳をする仕事だった。「採用されるとは限らないし、面接に行くだけだと姑と夫に言いました」台湾に来て7年、曽さんはドキドキしながら初めての履歴書を書いた。「ところが、すぐ働くことになったのです」中国語が読め、中国語も台湾語もできる曽さんは優れた人材だった。

後に経費削減で給料が中断したが、多くの人が助けを必要としていると、彼女は仁愛病院でボランティアを続けた。「きちんと勤めることで、ベトナム人に対する見方を変えてほしかったのもあります」10年余りの努力で勤務時間総計が5000時間を超え、衛生福利部から奉仕活動優秀賞銀賞をもらった。

「言葉が通じないのは本当につらいです」曽さんは働き始めた頃に出会ったベトナム人女性のことを思い出す。痛みがひどいのに訴えが医者に通じず治療してもらえないので、ベトナムに帰って医者に診てもらうしかないと泣いていた。「彼女をまずなだめ、和平病院に連れて行き、医者に症状を説明して、やっと治りました」言葉の壁に多くの人が涙を呑み、そのうえ台湾の医者に不満を感じてしまう。そんな場合の意思の疎通を彼女は手助けし、台湾への間違った誤解も解いている。

新北市泰山に住む、あるベトナム人女性は、中国語が話せないので病院に行けないままだった。それを知った曽さんは彼女を迎えに行き、仁愛病院に連れて行った。決して短いとは言えない治療期間中、毎週その女性を送り迎えしたが、あくまでボランティアだと見返りは求めなかった。

ベトナム人女性の灯台

文化の差はよく誤解のもとになる。皆にベトナム文化を理解してもらいたいと願う曽さんは「使命感があるので不満も悔いもありません」と言う。それに近年、新住民の生活が大幅に改善されたことも、彼女にとって大きな喜びだ。

2006年、曽さんは賽珍珠基金会の養成講座を受け、通訳の資格を取得した。それに伴い、台湾高等法院や各地方法院で司法通訳をするようになり、台北新移民会館でも相談窓口で働き、ベトナム人移住者たちの相談事に接している。

「多くのことは表面からだけではわかりません。ベトナム人妻が逃げてしまったと責めるだけでは、彼女たちのつらさも見えません」かつて違法仲介業者がはびこっていた時代、ベトナム人妻も、その夫と家族も、みな被害者だった。新郎側が渡した結納金のほとんどが仲介業者の懐に入ってしまうこともあった。

若い女性がたった一人で台湾に来て頼る人もなく、もし夫やその家族が彼女を守ってくれなかったら、本人にはなすすべがない。逃げ出すというのは仕方ない選択だったのかもしれない。実家のほうでは誰もが「台湾はベトナムより発展している。台湾に嫁ぐのは楽園に行くようなものだ」と考えているため、夫から暴力を受けても親を心配させまいと、じっと耐えるしかないのだ。

「法律のことがわからないので、多くの不利益をこうむります」台湾に嫁いで3年たてば台湾国籍が取得できることになっているが、多くの女性は10年たっても取得できていない。いつベトナムに送り返されて子供のそばにいられなくなるかと恐れるあまり、がまんして、苛まれるままになってしまう。騙されて台湾に連れてこられ、売春させられる若い女性もいる。同胞が蹂躙される姿に、曽さんの心は痛む。

知識は力だ。稲江大学法律学科を卒業したばかりの曽さんは、将来は、弱い立場にいるベトナム人女性が虐げられたり迫害を受けないよう、助けになれればと考えている。

「私はチャウドック市で生まれました。B級グルメで有名な町です」仁愛病院でボランティアを始めた頃から、曽さんはお国料理を作っては皆にふるまっており、とても評判がよかった。そこから、彼女の教師としての道もスタートした。

食べ物で親しみを

2010年、東南アジアからの移住者に、文化講師の資格取得という道が開け、2011年に彼女たちは永和コミュニティカレッジで授業を始めた。曽さんも先駆けとしてベトナム料理を紹介、ベトナム語も教える。1コース18週、自分で作ったレシピを週1品ずつ教え、すでに3年になる。料理で同胞のホームシックを和らげるばかりか、台湾人にも文化に親しんでもらえる。口コミで評判が広がり、新荘のコミュティカレッジでも開講となった。ベトナム伝統舞踊コースも同時開催だ。

ベトナム文化紹介のためにと、大理中学、中港小学校、八里中学にも曽さんは赴いて授業をする。あちこち回っても収入はわずかだが、子供たちの期待の眼差しに、疲れてもやめられない。そのうえ、台湾ラジオ局でベトナム語番組のパーソナリティも務める。台湾に暮らすベトナム人たちが台湾社会に溶け込めればと願うからだ。「まず礼を学び、後に文を学べ」という言葉を用い、曽さんは番組で同胞に呼びかける。たとえ言葉ができなくても、子供の教育に進んで関わり、身をもって暮らしの礼儀を子供に教えようと。

言葉より身をもって

「決して姑と競ってはいけません。たとえ勝っても負けたのと同じです」家庭円満の話になると曽さんは、舅姑に仕えるべきだという儒教の教えを説く。「私の忠告を聞かなかった人は皆ろくなことになっていません」一つ屋根の下に二人の女性が暮らせば、どちらも勝つか、どちらも負けるかしかない。「姑によくすれば、夫も私たちによくしてくれます」表面上は負けでも内心で勝っていればよく、それこそ賢い選択だという。

姑を甲斐甲斐しく世話する曽さん夫婦の姿を見て育ったおかげで、曽さんの娘は学校から帰ればまず祖母のもとに行って甘えるので、軽度の認知症が始まった姑もとても嬉しそうだ。中学3年の彼女は、曽さんの勤勉さと親孝行さを受け継ぎ、ベトナム語やその文化にも深く興味を持つ。

「人のすることを天は見ている」と、儒教の教えを守る曽さんは「積善の家には必ず余慶あり」という言葉も信じている。「受け入れることが愛です。我々は家族なのですから」台湾に嫁いだ彼女はこの縁を大切にする。「台湾に嫁に来たのですから、ここが私の家です」と。

Taiwan is My Home

Tang Nu Huong

Lee Shan Wei /photos courtesy of Chuang Kung-ju /tr. by Phil Newell

Vietnam is an ancient land, and its history is inextricably tied to that of China. This includes the essence of Confucianism, which was not only the backbone of Vietnamese statecraft over the ages, but also the main axis of cultural thinking, leaving an ineradicable mark both on popular customs and on etiquette, ethics and morality.

Tang Nu ­Huong grew up in a family of Chinese ancestry that respected Confucian traditions. After marrying into a Taiwanese family, over the past 20 years and more she has not only enjoyed a full and happy family life, but has selflessly looked after her disadvantaged Vietnamese “sisters.” Though constantly busy, she continually seeks to improve her knowledge and works hard at self-realization, setting an example for her fellow immigrants.

 


 

“I used to think I would never get married. Little did I expect that the year I turned 39, I would marry into Taiwan.” Tang recalls how she and her husband got to know each other, a story that corroborates the old saying: “Two beings destined to marry, though born a thousand miles apart, can be tied together by a single thread.”

The day of their arranged interview as prospective marriage partners, Tang went to the meeting without any nervousness. While chatting, the man discovered that Tang was a diehard fan of the writer ­Chiung Yao. This topic of conversation immediately closed the distance between them, and like the male and female protagonists in a drama, they each romantically found the love of their life.

Managing a happy family with love

“Since getting married, we have always lived with my mother-in-law.” After coming to Taiwan, Tang has had to bear the responsibilities of a daughter-in-law and show filial respect to her mother-in-law. “A heart for a heart—my mother-in-law has also loved me like a daughter!” As Tang talks about her family life, her face is filled with happiness.

Tang was determined to bear a child for her in-laws, and to this end she really went through a lot. “The doctor said I was ‘super, super, super old’ to have a child.” Although they tried all kinds of methods and failed repeatedly, she always held onto a thread of hope, and was unwilling to give up. Five years after her marriage, at age 44, Tang finally had her wish fulfilled, giving birth to an adorable daughter.

“My mother-in-law really helped during my lying-in month, so now my health is even better than when I was young.” As she talks about her mother-in-law, Tang’s heart is filled with gratitude.

“For two whole months, my mother-in-law forbade me to touch water. She washed the baby every day, and did all the housework single-handedly.” The relationship between Tang and her mother-in-law was closer than between a mother and her own daughter.

“Life is what you make it. If you really want something, you’ll find a way, and if you don’t, you’ll find a way out.” Although Tang is busy with multiple jobs, she has always put the family first. This has been especially the case since 2012, when her mother-in-law suffered a stroke, and Tang cut down on her outside work. Every day there is feeding, washing, physical rehabilitation… she makes taking care of the elderly woman her most important task. Tang explains, “She’s 90 years old, and doesn’t have a lot of time left, so why not grasp the opportunity to do things right?” Tang, a firm believer in Buddhism, has always kept in mind her mother-in-law’s kindness to her, and she feels that having the opportunity to repay that is a karmic reward given to her by Heaven.

Giving is the source of joy

“When I was in Vietnam, I taught Chinese in a foreign language school.” Tang, who had always been a career woman, became a full-time housewife after coming to Taiwan. It was only after her daughter entered kindergarten that she had the chance to reenter the workplace.

At that time the Tai­pei City Department of Health needed translators to help immigrants and migrant workers from Southeast Asia during hospital visits. Seven years after coming to Taiwan, Tang nervously wrote out her first CV. “I never thought they would want me to start working right away.” Having the advantages of being able to read Chinese, as well as speak both Chinese and Taiwanese, Tang was able to get employed immediately.

Although later the funding for translators was cut, she felt that there were still many “sisters” (other Vietnamese immigrant women) out there who needed help, so she decided to stay on at the Ren’ai Branch of Tai­pei City Hospital as a volunteer. “I also hoped that by my example I would be able to change the prejudice that has existed toward Vietnamese people!” After more than ten years of determined perseverance, in 2015 she surpassed 5000 hours of service, and received a silver medal for voluntary service from the Ministry of Health and Welfare.

“It’s really hard when you can’t speak the language.” Tang recalls that when she was serving at the Ren’ai branch hospital a “sister” came to her to lament that the doctor didn’t understand her complaints, and so couldn’t treat her properly. It had gotten so bad that she was planning to go back to Vietnam for medical treatment. Her inability to express herself had caused her to make many wasted trips, and she complained that Taiwan doctors were no good. But Tang built a bridge of communication, and corrected her mistaken perception.

Another Vietnamese woman, who lived in New Tai­pei City’s Tai­shan District, kept putting off going to the doctor because she didn’t speak Chinese. After Tang found out, she met the woman in neighboring Xin­zhuang and brought her to the Ren’ai branch hospital. Throughout her longish treatment, each week Tang accompanied her to the hospital and back, until she had fully recovered. Tang’s way of giving without asking anything in return is something that her Vietnamese sisters find immensely heartwarming.

A beacon for her Vietnamese sisters

Cultural differences are a fountainhead of misunderstandings. Tang looks forward to better public understanding of Vietnamese culture. “I feel a sense of mission, so I have no regrets.” Her greatest joy has been in seeing the big improvement in the living environment for immigrants in recent years.

In 2006, Tang underwent training by the Pearl S. Buck Foundation, and gained her qualification as a judicial interpreter. She then began working as an interpreter in the Taiwan High Court and in district courts, while also serving as an advisor at the Tai­pei City New Immigrants’ Hall, encountering many criminal and civil cases involving Vietnamese immigrants.

“For a lot of things, you can’t only look at the surface. When we criticize Vietnamese brides for running away, who can understand the misery that they feel?” In that period when illegal marriage brokers ran wild, both the Vietnamese brides and the families of the husbands were victims. Perhaps it was the broker who stuffed his pockets with the greater part of the generous betrothal gift offered by the husband’s family.

“Because they didn’t understand the law, a lot of sisters lost out.” In fact they were eligible for ROC citizenship three years after arriving in Taiwan, but a lot of women had been married here for ten years and still hadn’t gotten a Taiwan ID card.

In those days some young girls were deceived into coming to Taiwan and then sold into prostitution. Seeing their tragic situation caused Tang great pain.

But knowledge is power. Tang, who has just graduated from the Department of Law at Toko University, hopes that in the future she can help even more disadvantaged immigrant women, so that they no longer are wronged and persecuted.

Food brings people together

“I was born in the city of Chau Doc, which is very famous for its snacks.” Ever since she became a volunteer at the Ren’ai branch hospital, Tang has often brought along some food she makes herself to give her Vietnamese sisters a taste of home, much to their delight.

In 2010, she got a professional certificate as a lecturer in Southeast-Asian culture from the Trans­Asia Sisters Association, Taiwan, and in 2011 began teaching at ­Yonghe Community College. She broke new ground by using cooking classes to introduce people to Vietnamese culture, and also began teaching the Vietnamese language. Using her own adaptations of traditional recipes, she taught one dish per week for 18 weeks each term. After teaching in ­Yonghe for three years and building her reputation, she transferred over to Xin­zhuang Community College to offer courses there. Besides cuisine, she has also introduced traditional Vietnamese dance into the curriculum.

To further spread Vietnamese culture, Tang teaches classes at Da Li Elementary School in Wan­hua, Zhong­gang Elementary in Xin­zhuang, and Bali Junior High in Bali. Though the journeys are exhausting and the income very small, when she looks into the children’s expectant eyes she can’t give up on them no matter how tired she gets.

She also hosts a program on Taiwan Radio aimed at helping her Vietnamese sisters integrate into life in Taiwan.

Teaching by example

“Never bicker with your mother-in-law. Even if you win, you still lose.” Talking about her secrets for a happy family life, Tang hauls out traditional Confucian thinking on filial piety toward one’s in-laws. “The better we are to our mothers-in-law, the better our husbands will be to us.” Sometimes you lose on the surface, but you win the substance: that’s the wise choice.

Teaching by example beats explaining in words. Because of the meticulous care given to her mother-in-law by Tang and her husband, every day when Tang’s daughter, who her mother-in-law helped so much to raise, gets home from school, she first affectionately plays up to her grandmother, making the elderly woman, who suffers from mild dementia, laugh happily. The child, now in her third year of middle school, has inherited Tang’s diligence and filial piety, and is very interested in Vietnamese language and culture.

“People act, Heaven watches.” Tang Nu ­Huong, who respects Confucian traditions, believes deeply that good deeds will get good returns. “Acceptance is an expression of love; we are all one family,” she says, and as marriage has brought her to Taiwan, she should treasure the relationships that fate has given her. “I am a daughter-in-law of Taiwan; this place is my home.”                           

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