劉天和は2015年、澎湖県を代表して十大神農に選ばれた。IT神農と称えられる彼の受賞範囲は養殖、養豚、養鶏、養鴨、野菜栽培など広い範囲にわたる。消費者はアプリを使って食材の生産履歴やSGS検査の結果、栄養成分、それに詳細なレシピなどを見ることができる。
IT神農
「IT神農」と称えられるのには根拠がある。劉天和は農業の素人だったのが、情熱とやる気だけを頼りに魚の養殖という困難な事業を始めたのである。事実に基づいて真理を追究する彼は、養殖の過程におけるさまざまな問題を解決していき、数々の前例のない方法を編み出し、新しい記録を打ち立ててきた。
その一つは魚の生産履歴の確立だ。
IT業界出身の劉天和は、養殖においても情報化を進めてきた。稚魚の仕入れから養殖、切り分け、輸送まで全てのプロセスを記録し、初めて養殖魚の生産履歴を確立したのである。「天和珍鱺」(スギ)は彼が2年をかけて打ち出した台湾初の生産履歴を持つ養殖魚である。
彼の養殖で最も特色があるのが「魚の入浴」というプロセスである。
絶対に抗生物質を使わない養殖にこだわってきたため、はじめた当初は魚の2割しか無事に成長しなかった。そこであちらこちらに教えを請い、薬品を使わなくても寄生虫にやられない方法を探し求めた。そうしてようやく見出したのが、淡水を使う方法だ。海水魚をプラスチックで作った淡水の池で4~5分泳がせるのである。そうすると、魚の身についた寄生虫は浸透圧のために破裂して死滅するのである。淡水に入れる時間が長すぎると、魚の方が死んでしまう。これは時間も手間もかかる作業だが、薬品を使わない養殖においては非常に重要なプロセスである。
もう一つの大きな突破は、ハーバード大学と協力して、魚の内臓や血、海藻などからオメガ3を豊富に含む有機飼料を作ることに成功したことである。これによって、天和は畜産業や農業にも進出することとなる。
2007年、劉天和はバンクーバーの顧客からハーバード大学で脂類医学を研究するJing X. Kang教授を紹介された。話し合いの末、産学協力を行なうこととなり、Kang教授の協力で技術移転が完了した。それまで魚の内臓や血や海藻などは廃棄処分していたが、養殖の過程で薬品を使っていないため、それらがオメガ3を豊富に含む有機飼料となったのである。天和はこれを養豚や養鶏に用いることにし、後の商品である海藻豚や海藻鶏が誕生することとなった。
名声の裏に巨額の損失
目を細め、口を開けて笑う劉天和の笑顔はさまざまなメディアで紹介されるようになった。しかし、その笑顔の陰で、大きな苦痛とプレッシャーにさらされていることを知る人は少ない。
「本当に辛いですよ。今年は何とか努力して赤字を3000万に抑えられればと思っています」と劉天和は笑顔のまま驚くべきことを言う。
「有機農業は長く続ければ続けるほど損失がふくらんでいきます」と言う。数々の賞を取ったが、十数年かかっても収支のバランスは取れず、「孤独で険しい道」だという。
「十大傑出漁民」「科技農企業菁創賞」「台湾水産精品賞」「中小企業創新研究賞」「創意生活賞」「十大神農賞」などなど、十数年来、劉天和は数えきれないほどの賞を受賞してきた。だが、各界から高い評価を得ても、持続可能な安定した経営は実現していないのである。
澎湖西嶼の外海、25ヘクタールの面積に生簀がある。ここが、劉天和が自ら選んだ最良の養殖基地である。澎湖の海域は重金属や工業の汚染はないが、夏は台風、冬は北東からの季節風が吹き、これが養殖業者にとって最大の不安材料、大きなリスクとなる。
2007年4月には突然の竜巻が襲い、劉天和が心血を注いだ養殖場がダメになってしまった。翌年2月には、百年に一度という寒害に襲われ、1万尾を超えるスギが凍死してしまい、救えたのはわずか2尾のみ。再び無に帰してしまった。
養殖は確かに難しい。天候、生簀の環境、飼料など、さまざまな要素が生産量に影響する。天和の主力であるスギの場合、1尾7~10キロのものを育てるのに1年半から2年かかる。成長は速いが、冬を2回越さなければならない。高価なクエの養殖には4~5年もかかる。
自分がやらなくて誰がやる?
IT産業からオーガニックの養殖や畜産へと転換して12年。2度の寒害と1度の竜巻ですべてを失ったが、安全な食材を生産するという劉天和の情熱の火が消えることはなかった。
「使命感と自分自身の需要から、軽々しくあきらめることはできないのです」と言う。大腸がんを患い、大腸を切除して小腸とつなぐ手術を受けた。彼は医師のアドバイスに従い、消化のよい魚を多くとるようにしたが、本当に安全な魚がなかなか手に入らないことがわかり、いつの日か、安心して食べられる魚を自分で育てようと決意したのである。
「がんも私の命を奪わなかったのですから、何か良いことをしなければなりません」と劉天和はその思いを語る。
劉天和が長年資金を援助している台中の塗成小学校の教員と生徒は、劉天和があきらめてしまわないよう、2000人余りの生徒と教員全員が彼に手紙を書いて応援している。
「知れば知るほど、普通に売っているものは怖くて食べられなくなります」と劉天和は言う。市場には食品添加物を使って消費者の味覚を欺いている食品が多く、彼は、本物の食材の本来の味を味わうよう人々に呼びかけている。
産地から食卓まで
天和鮮物でマーケティング企画を担当する林瑜婷によると、劉天和董事長は、安全な食の推進を口を酸っぱくして呼びかけているという。天和では2カ月に一度、健康講習会を開いており、劉天和はどんなに忙しくても必ず消費者に自ら健康な食の概念を語る。「澎湖にいても、講習会のために飛行機で飛んできます」と言う。
リスク分散のために、劉天和は多角化経営を開始し、天和生機牧場(台中、嘉義)、天和緑色農場(嘉義中埔郷、澎湖西嶼)を設立、畜産と農耕にも事業を拡げた。漁業で出る魚の内臓や海藻を餌にして「海藻豚」や「海藻鶏」を育て、さらに畜産で出た動物の排泄物を有機肥料として野菜を育てている。
劉天和はどんなに辛くてもあきらめることはなく、ますます事業を拡大し、質を高める。
2008年9月、劉天和は大金を投じて台北駅に近い一等地に400坪を超える旗艦店「天和鮮物・海島食堂」をオープンした。「天和鮮物」は自社で育てた魚類や畜産物、有機野菜など、安全な食材を売るスーパーマーケット、「海島食堂」は、同じくオーガニックの食材を使った鍋料理やサラダを扱うレストラン、ベーカリーなどから成る。こうして「産地から食卓まで」という劉天和の理想が実現した。
劉天和が強調する経営戦略は「差別化」である。台湾のオーガニック食品の流通を見ると、全体の7割を乾物が占め、生鮮食品は3割に満たない。そこで天和鮮物はその逆を行き、生鮮食品が7割を占めるようにした。現在では天和鮮物は全台湾に8つの直営店を展開し、SOGOなどに200以上の販売拠点を置いている。
また2015年のミラノ国際博覧会の「未来のスーパーマーケット」に登場したインタラクティブな情報システムが、天和の海島食堂ですでに利用されている。
海島食堂ではAR(拡張現実)技術を用い、50のメニューの生産履歴が見られるようにしている。スマホのアプリをダウンロードしてメニューにかざせば、その料理の主な食材が出てくる。「神農餐」というセットだと、魚、豚肉、鶏肉、牡蠣、野菜の全ての食材が出てきて、それをタップすると、生産履歴、検査報告、栄養成分、レシピなどが見られ、公開性と透明性が十分に確保されている。
核心的価値:公開と透明化
「生産工程を公開し、透明化するというのが私たちの核心的価値です」と劉天和は言う。
自分たちが食べる物がどこから来たのか。どのように生産され、どう調理されたのか――天和では、これらをはっきりと詳細に消費者に知らせているのである。
例えば、人気のある天和のベーカリーでは、壁に「主要商品分析表」が貼られており、小麦粉や酵母、ナッツ類など主な原材料のブランド名や産地、供給元などが明記されている。
消費者に自分の目で見て安心してもらうために、澎湖旅行も実施している。澎湖の旅にふさわしい夏は牡蠣の最盛期でもあり、実際の養殖や生産過程を消費者に見せている。
この他に、自ら産地を確認して、日本の海産物やアメリカのオート麦、欧州のオリーブ油などの有機食材を輸入している。海外の食品見本市にも出展し、毎月平均3回も海外出張している
劉天和は今年65歳。大腸がんを患って以来、規則正しい生活を心がけ、毎晩8時過ぎには就寝するが、夜中の2~3時に目が覚めてしまう。休日なら3時過ぎから四獣山に登り、平日は横になったまま経営戦略を考えるという。
「とにかく赤字を減らすこと」と劉天和は真剣に言う。「今年は経営戦略を調整し、目標は赤字を3000万元以内に抑えることです」
6月、天和鮮物では、忙しい会社勤めの人やシニア層などのために、栄養バランスの良い安全で健康的な弁当も提供し始めた。
「後悔していません」と劉天和は言う。自分がやりたくてやっているので不満や後悔はない。だが、天候などの影響よりも難しいのは複雑な人事管理だと言う。サービス業には情熱が必要だが、積極的で能動的、仕事を大切にする若者は非常に少なく、社員の定着率は低い。第一線の人事管理をどうするか、神農と呼ばれる劉天和の力が試されている。
魚、鶏、豚、牡蠣、野菜と、たくさんの食材を使った「神農餐」セット。
天和海島食堂では、産地から食卓までの理想を実現するために「鮮食調理吧」を打ち出し、会社勤めの人やシニア層を対象に、栄養バランスの取れた安心食材の持ち帰り弁当も販売している。
人気のある天和ベーカリーでは、原材料のブランドや産地、供給元まで公開し、消費者に安心を提供している。
一般のオーガニックショップでは乾物がメインなのに対し、天和鮮物では自社生産の魚、豚、鶏、野菜など生鮮食品が7割以上を占めている。
海の魚を定期的に淡水に放つと、魚の身についた寄生虫を浸透圧で殺滅することができる。薬品を使わずに魚の病気を防ぐ方法である。(天和鮮物提供)
劉天和は全方位型のハイテク神農と言える。写真は、魚の内臓や海藻で作った有機飼料を食べて育つ海藻豚。(天和鮮物提供)