自分の役割を見つける
インドで農業の第一線を見た簡子倫は、次は農業の後端と言えるマーケティングを探るために日本へ行った。そこで見たのは、食物への極度なこだわりだった。「私から見れば、食物博物館のようでした」古い食物と言えば江戸時代まで遡ったり、弥生時代の食卓を再現したりしていた。
日本での経験で、簡子倫は自分のやりたいことが見えた。産業には仕事の分担がある。日本人の共同作業を見て、産業全体の問題である種子保存も、一人では立ちゆかないと悟った。「種子の保存にも人それぞれの役割があります」タネを植える人、品種を保存する人、料理を作る人、歴史を研究する人、報道する人、教育する人と、さまざまな役割がある。「今日残っている品種は、祖先たちがよく食べたからこそ残ったもので、よく食べることも種子保存になるのです」と彼は目を輝かせて言う。
例えば、朝6時に畑に行き、小刀で粟の房を切り取っていくティナたちも、種子保存の一端を担っている。またカメラを持ってそれらを記録する簡子倫も保存に加わっているのだ。
このドキュメンタリー撮影に簡子倫を誘い込んだのは羅紀彦で、彼は慈心有機農業発展基金会による南安の有機稲作とブヌンの豆プロジェクトの発案者でもある。
粟の標本を作るには、研究者である林志忠のところにサンプルが送られる。農作の現場にはいなくても、彼も種子保存で研究者の役割を担う。
幼い時に故郷を離れた蘇志民は現在、屏東で飲食店「小農餐桌」を経営するが、家族連れで帰郷した。ブヌンの豆を用いた新たなメニューを作るつもりだ。これも種子保存における料理人の役割であり、文化の継承者でもある。
デザイン会社「三月半」は、プロジェクトのイメージ及びパッケージ‧デザインを担当する。またドキュメンタリー作りを支援するのは林務局花蓮林区管理処だ。
南安ツーリストセンターで会ったティナ‧ブニは、センターの前に台を設け、ブヌンの豆を売る。村の人から豆を買うので、村の豆栽培についてよく知っている。「これも種子保存の仕事です。彼女はブヌンの豆の総代理と言えます」と簡子倫は言う。
この一日で我々は、種子保存に関わるさまざまな役割を知ることができた。
潘竹菊はブヌン伝統の豆類を保存している。縞模様があるのはバイヌ・メウと呼ばれ、集落では八家将豆とも呼ばれている。